かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

3月11日のこと

※筆者は東京の城東地区在住です※

 本震発生。
 その時、東急ハンズにいた。
 とあるファッションビルの、地上七階。

 この冬のあんまりな乾燥で、アコースティックギターのネックが逆反りしまくっててさ。
 調整するのに必要なレンチ、なぜか合うやつがなくて。
 それを買いにね。

 目的のものを見つけたあと、ふとスマホのケースのコーナーに寄った。
 自分はまだガラケーすら持っていないのだけれど、家人は最近スマホ買ったんだよ。それで「ああ、これ買ったら使ってもらえるかな」とか思ってさ。
 揺れ始めた。
 気づいてない。まだ誰も。
 長い。
 棚の向こう側にいた女性が、不審そうな顔になる。
 大きい揺れがきた。
 悲鳴は聞こえなかった。エスカレーターを見る。動いているからまだ大丈夫か。
 でも、長い。そして揺れはどんどん激しくなる。
「壁から離れてください。広いフロアに移動して、体を低くしてください」
 店員が呼びかけている。
 館内放送が流れた。この建物は耐震構造だから大丈夫だ、と。
 レジの中の女の子が、啜り泣きし始めていた。
 不思議なもんだね。ひとりがそうしてあわて始めると、周囲はむしろ冷静になる。レジの順番待ちをしていたおばさん(魔女系)が、泣き出した女の子を撫でて励ましている。
 床抜けを懸念して、柱に寄った。まだ揺れている。二本足で立っていられない。柱に体重を寄せ、25゚ で体を支える。

 揺れが収まった。
 スマホケースはあきらめ、空いたレジを見つけてレンチだけ会計。
 こちらはけなげにも正気を保っていた女の子(ちょっとおっぱい大きかった♪)が言う。
「お帰りの際は、エスカレーターやエレベーターは使われない方がよろしいですね」
 そうですね、ありがとう……と言って、その場を離れる。

 非常階段へ向かう。が、階段の入り口に青年が立ち、先を塞いでいる。
「今はご遠慮ください。安全が確認できてから開きます……すみません」
 普段は男性向けブティックで働いている子らしい。なかなか着飾っている。
 が、表情には見るからに怯えの色が見える。
 近くにあった椅子に坐り、鞄に入っていた泡坂さんの本を読み始める。ものの数ページと読まないうちに、ネクタイ姿の中年が走ってやってきて、怯えの青年に「階段、開放しなさい」と言った。
 とっとと降りることにする。
 やや混雑気味。どういうつもりか、上層階へ上ってゆく女の子の一団を見る。店員ではなかったっぽいんだが……無防備すぎないか?

 ビルを出て、駅前の空中広場に出た。
 ちょっとおもしろい光景だった。
 ひとびとの半分は俯いている。半分は高いところを見上げている。くっきり二分。
 俯いているひとたちは、一様に携帯電話を握りしめていた。見上げるひとびとは、さて、いったいなにを眺めていたんだろうね。ビデオサインに映るであろうニュー速を待っていたんだろうか。それとも、雲の流れでも見ていたんだろうか。

 家人の仕事場が、そのビルの近所にある。
 不幸中の幸いと、歩いてそこへ向かった。
 途中、商店街を通り抜ける。
 大したことはない……と、最初は思った。
 玩具屋の、外に出されたショーケースの中で、ザクが倒れている。うん、まあその程度だろう、と思った。
 が、進むにつれ、そうでもないらしいことに気づく。
 壁面のタイルが剥がれ落ちたビルがいくつか。
 客商売の店の奥から、割れた食器類を片づけているらしい音が聞こえてくる。
 酒屋の前を通った時、「……高いところにいたから揺れを大きく感じたってわけじゃなさそうだな」と、はっきりわかった。
 道路いっぱいに漂う芳しい香り。
 棚の瓶が落ち、砕けていた。
 呉服屋では、足下にある在庫のひき出しが、全部、全開になっていた。

 家人の仕事場に着く。
 話を聞く。その時、家人は路上にいたらしい。周囲の若い女の子たちが騒ぎ立て、不安を感じたのだそうだが、たまたま隣にいたお婆さんに励まされ、ずいぶんと落ち着いたという。
 点けられたラジオから、繰り返し津波警報が伝えられている。
 なにはともあれ、自宅へ戻ることにする。家人はまだ残るつもりらしい。
 電車は動いていないことを確認済みなので、徒歩で帰ろうと思った。歩いても、一時間はかからない。が、家人に「あたしが乗ってきた自転車を使いなよ。あたしが帰る頃には、電車もきっと動いてるから」と強く勧められ、それに従うことにした。

 自転車で帰路を辿る。
 ひとが多い。
 普段はぽつりぽつりとしかひとのいない道に、ひとが集まっている。
 みんな電車をあきらめ、徒歩で動ける場所まで動こうとするひとたち。
 大きな橋を通った。歩道、大混雑。この橋の歩道がひとでいっぱいになるなんて、花火大会の時以外には見たことないよ。

 家に着く。
 けっこうな有り様。
 玄関には、長さ2m強の材木を初め、板や棒の類、つまりは工作の材料を立てかけておいたのだけれど、これが全部すっ倒れていた。ドアが外へ開くものでなかったら(まあ玄関のドアはたいがい外へ開くものだけれど)、家に入ることもできなかっただろうな。
 中に入れば、本は崩れ落ち、冷蔵庫は10cmほど動き、TVは台から転げおちている。
 TVの下敷きになって、TVの上に置いてあったリモコンの類のいくつかが壊れていた。
 奇跡的にも、ブラウン管は無事。これが割れていたら、洒落にならないところだった。

 実家に連絡をする。電話が繋がらない。
 やがて向こうから入電。父は無事だという。が、母は今日、観劇の予定があるとかで、出掛けているとのこと。
 とりあえず母の携帯電話へメールを送る。
 その後、母帰宅の報せが入る。なんでも、電車の乗り換え駅で本震に遭遇し、たまたま近くにいた三十路の会社員と、まめな駅員とに助けられ、タクシーを見繕ってもらって帰宅できたのだという。
 母は病の手術で片肺を失い、最近は長い距離が歩けない。もし電車に乗っていて、線路の上を歩いて避難なんてことになっていたら、けっこう大変だったろう。
 間がいいね。
 遭遇した場所といい、周囲の優しいひとびととの巡り合わせといい。

 本やらなにやらを片づけつつ、あちこちとメール等で連絡を取り合う。
 19時半頃、家人から入電。
 帰るという。電車はまだ動いていない。歩くという。
 途中まで迎えにゆくことにする。時刻を打ち合わせ、家を出る……寸前に、母から再入電。
 母の友人が10数キロ先の街で足止めをくらっていて、宿の手筈もつかないのだそうだ。
 その友人、自宅が遠方なのだそうで、ならば今夜は家(自分の実家ね)へ泊まってもらおうと考えたのだが、それにつけても交通手段がない。
「車で迎えにゆけないか」
 と言われる。難しいことだなあ。
 とりあえず今は家人を迎えに行かねばならないことを伝え、一時間後に再び電話することに。

 待ち合わせ場所へ行ってみると、ありゃりゃ? 家人、自転車に乗ってるよ。
 聞くと、仕事場の入っているマンションに住むひとが、貸してくれたのだとか。
 そのひと自身、銀座で地震に遭い、徒歩で帰宅を決意するも、途中で自転車を購入。そのままそれに跨がって帰ってきたのだとか。
 それまで会話したこともないひとだったが、今日たまたま部屋を出た時に鉢合わせ、少し会話を交わすうちに「歩いて帰るの、大変でしょう? これ乗っていくといいですよ」と貸してくれたのだそうだ。
 おかげで帰りは、けっこう楽だったらしい。
 ありがたいことだなあ。

 家へ戻り、実家へ電話。家人とも相談した結果、ここは多少無理しても迎えにゆこうということになる。家人は家人で、何度も家人実家へ電話している。仕事場からもかけたものの、繋がらなかったそうだ。
 一方、母によると、友人からの連絡が止まったという。
 しばらく待つが、連絡はつかない。見切り発車することにする。その時ちょうど、家人実家との連絡がついた。義父母、義妹一家、全員が無事とのこと。安心して車を出す。
 実家に寄って母を拾い、友人のいる街へ向かう。ものの数キロ程度走ったところで、ようやく母友人からメールが届く。
「行かなくて大丈夫になったみたい!」
 なんでも、すでに満室になっていたホテルが、帰宅難民にボールルーム等を開放し、食事も振る舞うことになったのだそうだ。
 引き返す。なにはともあれ、落ち着いてよかった。

 母を実家へ送り、帰宅する。もう十時近い。
 幸い自宅は、各種ライフラインが全部生きている。今のうちに、ということで、入浴し食事し、TVを眺める。
 東北の被害の甚大さに呆然とする。
 いや関東だって、横浜や千葉で、大変なことが起きてはいるのだが……。
 けれど東北の比ではない。

 今は、被災された方々の状態がわずかでもよい方へ向かってくれることを祈るばかり。