かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【#2 図書室のこと。】-05

(承前)

「何度も聞くけどさ、美春って何者?」
 答えは期待していなかったけれど、とにかく僕は尋ねてみた。僕はそれをどうしても知りたい、聞きたいんだ。そうしなければ落ち着かない。
「ミハルはミハルだよ」
 彼女は案の定の答えを返してきた。ただ、そこに悪意の類がないことだけは、僕にもわかった。もしかしたら彼女自身、自分が何者であるかを本当に知らないのかもしれない。
 その日、学校での授業は適当にやり過ごし、放課後は図書室にも寄らずに、僕は真っ直ぐ家に帰ってきた。もちろん、美春もいっしょだ。
 彼女は本当に一日中、僕の近くにい続けた。どういう事情かはわからないけれど、とにかく彼女が僕のそばにいなければならないというのは事実らしい。これまではそれでも、ちょっと距離をおいていたわけだけれど、僕に存在を知られた今となっては、なんの遠慮も必要ないという感じだった。
 といっても美春は、ずっと僕の隣に居すわっていたわけじゃない。僕の目が届く範囲で、美春はあっちへこっちへと落ち着かず動き回っていた。
 もちろん彼女の存在には僕以外の誰も気がつかないわけで、美春はそれをいいことに、好き放題に振る舞った。時には教卓の上に座り込んだり、時には先生の背中にぺったり貼りついてみたり。飽きると、教室の隅っこの方へ行って寝転がったりもしていた。
 彼女について、もうひとつ気づいたことがある。どうやら彼女は、実体をともなわないものであるらしい。昨日のハンド部の連中との件でもなんとなくわかったことだけれど、今日はもっとはっきりと、それがわかった。
 たとえば美春が教卓に座り込んでいる時、先生が教卓の上の物を取ろうとしても、彼女の体はなんの邪魔にもならなかった。
 僕の目にそれは、えらく異様な光景に見えた。先生の手は美春の体の中にめり込み、抜け出す。アニメとかの類だと、そういう存在は半透明っぽく描かれていたりするものだけれど、彼女は違う。本当にリアルに見える。そこにいきなり手がめり込んだり抜け出してきたりというのは、頭がクラクラするほどおかしな光景だった。
 そうしながら彼女は、ずっと僕の方を窺っている。窺うとはいえそれは、じろじろと見回すという感じじゃなかった。僕がこの場にいるということを、確かめ続けているという感じだった。時々僕から目を逸らすと、妙に遠くを見る目になったり、瞼を閉じたりする。休んでいるのかとも思うけれど、すぐにまた目を開いてこっちを見てきたりするのだから、実際のところはよくわからない。
 いろいろ話しかけたかったし、尋ねたいこともあったけれど、だからといって実際にそうしたら、僕は他の誰かの目には危険な独り言男になってしまう。
 でも訊きたい、知りたい。
 それで僕は、図書室に寄りもせず、とにかく急いで家へ戻ってきたのだった。
 自分の部屋に入ってしまえば、誰の目を気にする必要もない。じっくり時間をかけて、美春と話をすることができる。
 けれど、それは結局のところ、徒労ということになってしまったようだった。
「美春はどこから来たわけ?」
「うーん、説明できない。秘密だってわけでもないんだけど、どう言えばいいのかわかんないんだ。あたし、あんまりキミたちのことばは得意じゃないし」
「じゃあ美春は、日本人じゃないわけ?」
「ん、確かにそうね。日本人じゃないよ」
「でも髪も目も黒いし、少なくとも今のところは流暢な日本語を話してる」
「話してると思ってるのは、キミだけ。本当は話なんかしてない」
「……美春って、女の子だよね」
「そうかもしれない。でも自分じゃよくわかんない」
「でも、女の子のかっこうしてるじゃん」
「かっこうなんかどうにでもなるもんじゃないの?」
「ならないよ、普通は」
「じゃあキミは、あたしが普通のものだと思ってるってこと?」
「いや……それは……」
「まあ普通っていうよりは……ふ……ふ……普遍……かな、その方が近いかもね」
「普遍? 美春が普遍?」
「違うのかなあ。それっぽいことばを探すと、そういう感じなんだけど」
「探すって、どうやってるんだよ」
「それはまだ、言えない」
 ――万事がこの調子で、全然話が前に進まない。聞けば聞くだけ、疑問の方が増えてきてしまう。かといって、苛立つわけじゃない。むしろ脱力してしまう。
 ただ、ひとつはっきりさせておきたいことはあった。僕はそれを尋ねた。
「で、美春は……昨日まではどこにいたの? 今夜からはどうするの?」
 これは僕にとって、かなり切実な問題だった。
 美春は、僕のそばから離れるわけにはいかないという。ということは、風呂に入ったり眠ったりする時もそばにいるってことなんだろうか。
 昼間、トイレに行きたくなった時には、さすがに『ついて来ないでくれ』と呟いた。そして美春はそれに従ってくれた。
 けれど、これからはどうなるのか。
 それに、なるほど美春は普通のものじゃないみたいだけれど、だからって外に追い出すわけにもいかないだろうし、追い出そうとしても簡単に追い出されてはくれないだろう。
 だとしたら、今夜以降、夜はどうするつもりなのか。
 こうなってくると、なまじ可愛いのが困る。僕だって一応、中学二年の男なんだ。
「昨日までも今日からも、あたしは変わらないよ。キミのそばにいるだけ。昨日までは、一応、家の外にいたけどね。今日からは、部屋の中にいようかなあ」
「それ……なんかすごく困るんだけど……」
「そう? あたしは困らないよ。だってさ、外にいたって、キミがなにをしてるかなんてことは、全部わかるんだから」
 僕は、ああそうか、と納得する一方で、身の置き所もないほどの恥ずかしさを感じた。
 じゃあ彼女は、僕が風呂で最初に体のどこを洗うとか、パジャマに着替える時はどっちの足から先にズボンを穿くかとか、そういうことを全部知ってるってことか?
 いや、それだけじゃなく、あんなこととか、こんなことも、もう……。
 首から上が熱くなる。きっと今僕は、顔を真っ赤にしてしまっているに違いない。
「あ、キミさ、あのね」
 僕の様子を気づかってか、彼女が言う。
「別にあたし、キミの私生活がどうってことには、興味ないから。そういうのは、まあわかろうと思えばわかることもできるけど、だいたいやり過ごしちゃってるから」
「……でも、だけど」
「そんな細かいこと、気にしない! 男の子なんでしょ?」
「男の子だから気になることもある。それに」
「……それに、なに?」
「自分でもどういうことだかよくわかんないんだけど、興味ないって真っ正面から言われたら、なんか傷ついた」
「あ……そう。ごめん。あたし、ひとの気持ちってよくわかんないから」
「……わかったよ。いいよ。でも、じゃあ、ひとつだけ頼んでもいいかな」
「言ってみて」
「僕が眠る時は、とりあえず僕の見えない場所に行ってくれる? あと、風呂とトイレの時も」
「わかった。約束する」
 美春はそう答えて、おおげさに何度も首を縦に振った。
 ポニーテールのしっぽがぶんぶん揺れて、なんだかやたらと可愛かった。

(続く)