かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【#4 僕のこと。】-03

(承前)

 僕たちは駅まで歩いて行き、電車に乗った。ずっと風が吹いていたけれど、美春と田野さんが両横にいてくれたから、あまり寒い思いはしないで済んだ。
 道々、こんな時間に遠くへ出かけたら両親が心配するかも、と相談した。すると田野さんは、それはこちらでなんとかする、と言ってくれた。具体的になにをどうするのかはわからなかったけれど、彼らのことだ。きっとうまくやってくれるんだろうと思った。
 改札口は、田野さん、僕、美春の順で通った。切符を出したのは、もちろん僕だけだ。
 僕は笑いを堪えるのに必死だった。改札の駅員さんは僕だけを見て、僕に“さあ切符を出せ、でないと乗せてやらないぞ”という風に手を突き出した。僕の目には、ふたりがこんなにはっきり見えているのに、彼には見えないんだ――そう思うと、奇妙とか不思議とかを通り越して、僕はただもうおかしいと思ったんだ。
 その時間、僕たちが東京タワーへ向かうには、混むのとは反対方向の電車に乗ればよかった。おかげで僕は、ずっと座っていくことができた。美春たちは、僕の前に、わざわざ吊り革につかまって立っていた。
 その光景は、僕の目からはごく普通に乗客がいるように見える。けれど他のひとたちにはどう見えていたんだろう。美春と田野さんが捕まっている吊り革は、他の吊り革とは違う揺れ方をしていたはずだ。それも、かなり変な揺れ方を。
 僕はそんな様子を見ながら、なるほどな、と思っていた。
 確かに僕の世界は、僕だけのものだ。
 美春たちが見えないひとには、その光景の実際を説明したってわかってもらえないだろう。僕が変人扱いされるのが関の山だ。
 でも本当は違う。僕にははっきり見えている。ふたりは確かに、存在する。
(もしかしたら)
 僕は思っていた。
 実は僕だけじゃなく、他のいろんなひとたちにも、そのひとにだけ見えるなにかがあるのかもしれない。僕には見えず、あのひとにも見えず、そのひとだけが見ている光景。
 それはなにも、美春や田野さんみたいな“ひと”だは限らないだろう。額に雄々しい一本角を生やした馬が見えるひとがいるのかもしれない。背に巨大な鷲の翼をつけたライオンを見たひともあったかもしれない。
 それを見たひとたちのことばや絵を、見えないひとたちはきっと“想像力”のひとことで済ませてきたんだろうな。でもそれは、まぎれもない現実だったかもしれないんだ。
 そう考えてみると、ことばは便利だし、不便でもある。伝えることはできて、印象を共有することはできる。けれどことば自体には実体がないから、実感することができない。
 ことばで知り合うことはできる。でも、ことばで繋がりあうことは、できないんだ――。
「ねえマサフミ。駅に着くよ、大門駅」
 美春に言われて、僕は我に返った。思わず「ああ」と声を出しかけて、飲み込んだ。
 なんとなく暗い印象のある駅に降りて、地上に上がる。外はもう真っ暗だ。
「ほら、あっち」
 美春が指さす。美春が示した先には、巨大な鉄塔が、そのあちこちに照明灯を貼りつけた姿で、にょっきり立っているのが見えた。
 はっきりと見えるのは、まだ客が入っているらしい展望台と、特別展望台の部分だけ。それ以外は意外に黒々と地味に沈み込んでいて、昼間に見る時の赤と白の悪趣味な目立ちようとは、ずいぶん違ったものに思えた。
「で、どうするんです?」
 タワーに向かって歩きながら、僕は田野さんに尋ねた。田野さんは「うむ」と頷き、言った。
「特別展望台に登ろう」
「でも、閉館までもう時間がありませんよ」
「大丈夫。登った後、適当に隠れていればいい」
「隠れる? そんなことをしたって、入館者の数を数えてたらバレちゃいませんか」
「いや、大丈夫。任せておくのだ」
 田野さんは言って、美春の顔を見た。美春はにっこり笑って、こっくり頷いた。
 タワーの足元に辿り着く。人影はもうほとんどない。タワーに登るには、入場券を買わなければならないらしい。僕はポケットから財布を出しかけた。
 と、美春がそれをとめた。
「大丈夫。あたしたちに任せておいて」
 言うなり美春は、僕にからだをグイッと押しつけてきたのだ。
「え、えっ……。そんな……」
 僕は驚いていた。美春のからだに、感触がある!
「手、繋いで」
 美春が言って、手を差し出す。僕は恐る恐る自分の手を伸ばして、それを握った。
 ……握れる。確かにそこに、美春の手がある。美春が今、肉体を備えている。
 僕は尋ねた。
「なぜ……どうして? 美春たちって、突き抜けるものじゃなかったの?」
 田野さんが答えた。
「我々はそもそも、存在そのものがキミたちの常識から逸脱したものなのでね。ただ、突き抜けないのには、それなりの事情も必要なのだが」
「でも……」
 問い続けようとする僕に、美春が鋭い口調で言った。
「黙って!」
「え?」
「声は、消せない」
 言いながら美春は、ずんずん歩いていく。そしてドアを開け、東京タワーの足元のビルに入っていった。
 もちろん僕も、それについていく。というより、手を握られて引きずられていく。
「え、えっ? 今、美春、ドアを開けた」
「だから黙ってて!」
 インフォメーションの女性が、怪訝な顔でドアの方を見た。彼女は独り言を呟いた。
「……今日、そんなに風が強いのかしら」
 僕はその時、ようやく状況を理解した。
 どうやら僕の姿もまた、今は、見えなくなっているらしい。なぜ?……多分、美春に触れているからだろう。実体がないはずの美春に触れられるということは、きっと僕が今、美春と同じようなものになっているということだ。それなら、美春を見ることができないひとに、風だけがドアを通り抜けたように見えても、おかしくはない。
「そういうことだよマサフミ。……ああ、返事はしなくていい。キミの姿は見えなくても、声は聞こえるのだからね。我々の声は、他に聞こえることはないのだが」
 なぜ触れられるのかも未だに疑問だけれど、触れるとなぜ僕の姿まで消えるのか、なぜ声だけ残るのか、訊きたいことが山ほどあった。でも僕は、とにかく口を噤んだ。
「では、待とう。上へ向かうエレベーターが動くまで、ね」
 エレベーターの入り口は開かれて止まっている。けれど、上へ向かうひとがいないからか、動きだす気配はない。
 僕たちはエレベーターガールの横をすり抜けて、エレベーターに乗り込んだ。一番奥まで入り、壁にぴったり身をつけて待つ。
 美春が話しかけてくる。
「返事はしないでね。……とにかく特別展望台まで行くわ。そしたらそこで、隠れて待つの。完全に日が暮れて、夜になるまで。そこからの景色を見ながら、後の話をするわ」
 言いながら美春は、僕の手をずっと強く握っていた。
 柔らかい手だった。
 こんな風に女の子の手を握っているなんて、何年ぶりのことだろう。小学校の、それもまだ低学年のうちに、フォークダンスかなにかで触れたきりなんじゃないか。
(……温かいんだ。温かかったんだなあ、美春の手って)
 僕はそんなことを思って、照れくさいような、でもとても嬉しいような気分を味わっていた。

(続く)