かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#1-06】

(承前)

 リクが俯き、小さなため息をついた時に、リンゴーはようやく口を開いた。
「……なるほどね。いろいろと、かなりわかってきた気がするよ。そういうことなら、確かに探らなきゃならないんだろうねえ」
「ま、そういうことさ」
「じゃ、次の質問、いいかな」
「……なんだよ」
「リクがどうして、その兄貴の行動に詳しいのか、ってことだね。一日中、彼の後にくっついて歩いてる、ってわけでもなかろうにさ」
「どういうことだよ」
「そもそも、その兄貴はリクたちの目を盗んで出掛けてるんだろう。なのに何処かへ行ったってことを知ってるってのは、ちょっと話の筋がおかしくないか」
 リクはリンゴーの、意外にも正しい突っ込みに、う、と言葉を詰まらせた。
「思うに、どこかにすでに彼を見張ってるやつがいるか、あるいは彼の行動をリクに逐一報告してくれる身近なひとがいるか、ってとこだねえ」
 腕を組み、リンゴーはリクを、問い掛けるような目で見ていた。答えなければ協力しないよ、とでも言いたげな、かなりの力が籠もった目だ。
 リクは唇をへの字に曲げて、答えた。
「……わかったよ言うよ。ヴィレンには、エイミっていう彼女がいるんだよ」
「リクの立場からすれば、姐さんだね」
「ああ。そのエイミが、いろいろ俺に相談してくれたんだよ。ヴィレンがおかしいわ、どうしちゃったのかしら……って」
 リンゴーは一瞬、目だけで天井を睨み、んん? と唸った。そしてすぐに、ははあ、と頷き、にたぁっと笑って、組んでいた腕をほどくなり両手をパンと打ち鳴らした。
「わかったよ、わかった。そういうわけね。リク、でも、それはやばいよ。それはなるほど、内緒にしといた方がいい。兄貴のカミさんは、魅力的でも確かに鬼門だ」
「……あんたが言えっつったから言ってやったのに、なんだよその態度はよ!」
「いやいや……まあ、その。でもほら、俺、ボコられるかもしれないんだろう? それなのになにも知らないってのは、ちょっと納得できないじゃあないか」
「……まあ、そりゃそうだけどさ……。でも憶えとけよ、これ話したのあんただけなんだからな。絶対に誰にも言うんじゃねえぜ!」
 リクは言って、椅子の上でくるりと体を回し、全身でそっぽを向いた。リンゴーが「大丈夫、俺は誰にもなにも言わないから」と言っても、返事もしない。照れているのか悔しいのか、顔色がちょっと赤くなっている。
「それからね」
「……なんだよ。まだあるのかよ」
「なんでまたこの街では、今まで抗争の類が起きなかったんだろうね。そういう少年団がまず第一にやらかしたがるのは、抗争の類だと思ってたんだけどな」
 リンゴーが立て続けにまともなことを言ったので、リクは驚き、改めて体をリンゴーに向けなおした。
「……さあね。それは知らない。ひとつには、この辺が新しいから、なんじゃないかな。とはいっても、俺は生まれた時からこの街だけどな」
「なんか昔に、不可侵条約を結ばざるを得ないようなことがあったんじゃないかなあ」
「知らねえよ、そんなの。俺、ヴィレンの下について四年だぜ。それより前のことなんか、知るわけねえだろ」
「ああ、そりゃそうだなあ。ふーむ、となると、なんで最近急に統合騒ぎが起きたかの本当の理由、なんてのもわからないんだろうなあ……」
 リクはなんとなくむかついた。リンゴーの『わからないんだろうなあ』という言葉が、リクを小馬鹿にしたもののように聞こえたのだ。
 とりあえずリクは、また猿の人形をいじくり回し始めたリンゴーを睨みつけてみた。けれどリンゴーは、そんなリクの様子に目もくれず、ふむふむと独りで頷いたり口の中でぶつぶつ呟いたりしている。
「で、どうなんだよ」
 少し落ちついた声で、リクが問う。
「リンゴー、あんた調べてみてくれるか? ヴィレンのことを、さ」
 リンゴーはぶつぶつをやめて、リクを見た。
「エイミを安心させてやりたいのかい?」
「……ああ。そうだよ」
「ふむ……。これはやっぱり、アレだな。いけない……まずい……だが……でも」
「……なにがだよ」
 独り言への突っ込みに、いささか慌てた調子でリンゴーは答えた。
「いや、俺がね。恩人であり友であるリクの頼みを断るわけにはいかないだろう、とね。
 でも、どうも気になってね。
 ヴィトンの行動を探るのは、決して無理なことじゃないと思うんだ。とはいえ、裏の事情がわかった時に、果たしてリクがどうするか……どうなるか、と思うとね」
「……なんだよ。調べもしねえうちに、なにわかったようなこと言ってんだよ」
「そうだね。そうだ。確かにそうだ。調べないことには、どうにもならないな。でも……」
 リンゴーは腕組みをして、目を閉じた。唇は∧のまま、ぴくりとも動かない。眉間には、いささか厳しげな皺が寄っている。かなり真面目に考え込んでいるようだ。
 急に周囲の空気が重くなった気がして、リクは、声をかけられなくなった。
 そのまま数分が過ぎる。
 いい加減、雰囲気の重さに堪えきれなくなる頃合いに、リンゴーはぱかっと両目を開き、深呼吸をひとつ、した。
 あの目……居心地は悪いが妙に魅かれるあの目が、いささかの澱みも濁りもなく、光っている。薄い唇の端は柔らかく上へ曲がり、ちゃんとした笑みをかたちづくった。
「わかりました。引き受けましょう。リクのためにね」
 ふう、と安堵のため息をついた後で、リクは改めてリンゴーを真っ直ぐに見た。
「頼むよ。じゃ、さっそくかかってほしいんだ。その間の飯とねぐらは、俺がどうにかしてやるからさ」
「ありがとう、恩に着るよ。さて、そうと決まったら……」
 リンゴーは、ぴょこんと立ち上がった。その拍子に、座っていた椅子が、ガタン、とけっこう大きな音を立てた。その音にリンゴーはやたら慌てて、ばたばたしゃかしゃかと意味もなく両腕をばたつかせた。
「もう行くのか? どこに行けばいいか、わかってんのかよ?」
「いや寝るんだ。俺は今日一日、歩きっ放しだったんだよ。かなり疲れてるんだ。
“仕事”には明日から必ずかかるから、今日はどうか眠らせてやってはくれまいか。寝室はどっちだい?」
 リクは、はう、とため息をつき、「あっちだ。あっちに普段使ってねえベッドがある」と指で示した。リンゴーは「あっちね」と指さし確認をした後で、
「じゃ、おやすみ」
 と言うなり、示された部屋に向かった。
 リンゴーの気配がなくなってから、リクはぼそりと呟いた。
「さて、どうなるもんだろうな……」
 とりあえず安堵はしたものの、心配な部分もしこたまある。
 頼んでよかったんだろうか、こんな重要なことを。そういう迷いが、まだ、あるのだ。
 頼めるかもしれない、と思ったのは、あの瞬間――飯を食わせてやる、と言った瞬間に見せた、あの鋭い目つきのせいだ。
 そこそこ危険な場面にも遭遇してきたリクには、あの瞬間のリンゴーの目に、それなりの裏付けがあると思えた。態度は抜けているが、それも相応の自信があるゆえの余裕なのではないかという気がしていた。
 だいたい前を塞がれた時の態度だって、今にして思えば、余裕たっぷりだった。
 身振りが唐突なのを、あの時は怯えのせいだと思った。だから攻めにも出たのだ。けれど、これだけ見ていると、あれが天然だったのだということがわかる。つまりあの時もリンゴーは、かけらも動じてはいなかった――いつも通りのペースだった、ということだ。何人もの毒虫を目の前にしていながら、現にカモられている連中の姿も見ながら。
 それに――まだあるはずだ。まだなにかが引っ掛かっている。
 リクは俯いて腕を組み、記憶を端から洗い始めた。
 あいつは、なにをしたっけ。せかせか歩いてきて、くにゃっと進路を曲げて、顔を ∧の三段積みにして……。
「あ!」
 気づいてリクは、ぞっとした。
 やつは、リンゴーは、懐に手を突っ込み、そして地図を引きずり出していた。
 懐に、手を、入れたのだ。
(なんであの瞬間、俺は反応しなかったんだ?
 この路地で懐に手を入れるってことは、武器を抜き出すってことだぞ。だからいつだって俺たちは、懐に手を入れようとする奴には、先手を打って蹴りのひとつも入れてやる。それはもう反射的な行動で、考えてどうの、というものじゃない……)
 なのにあの時リクは、リンゴーが懐から地図を出すまで、いや出しても、手も足も出していなかった。出せなかった――いや、出すこと自体を忘れていた。
(早かったんだ)
 そうだ。早かった。あの時の仕種は、確かにやたら早かった。文字通りに抜く手も見せず、瞬時に懐から地図を引っ張り出していた。
 気張ることも、気配を漂わすこともなく。警戒の材料を与えず、しかももし警戒したとしても追いつかないほどに早く、リンゴーは懐に手を入れ、そして抜いた。
 もしあの時抜き出したのが、地図ではない他のもの――武器の類だったとしたら?
(……ヤられていたかも、しれない)
 おまけにリクは、それを疑いもせず覗き込んだ。それはあいつが、いかにも間抜けそうだったからだ。ということはあいつ、その間抜けぶりで、けっこうスレスレのことも調べあげられるかもしれない。
 そう、あいつには、ひとの警戒心を妙に融かしちまう変な雰囲気がある……。
(実は、使える奴なのかもしれない)
 実際、今し方話をした後の反応も、思ったほどトロくはなさそうだった。いや、ざっと状況を話しただけで、あいつにはなにかわかったことがあるらしい。自分で言っていたが、“長生き”をしているだけのことはあるのかもしれない。大丈夫かも、しれない……。
 どうにかリクがそう結論づけた時だ。
「なあぁリクぅぅ」
 間抜けな声が、頭のすぐ上で炸裂した。
 リクは驚き、椅子の上で十㎝ほども飛び上がってしまった。
「あ、考え事してたのか。ごめん」
 リンゴーが真後ろに突っ立っている。いつの間にここまで来ていたというのだ。リクは、瞬間的に二百は越えただろう心拍数に喉までをドキドキさせながら、リンゴーを睨んだ。
「な、な、なんだよ」
「枕ってもの、ないかなあ。俺、頭が低いと眠れないんだよう。タオルでもなんでもいいからさぁ、頭の下に敷くもの、なんかくれよう」
 哀れっぽい声が、いっそうリクを苛立たせた。
 駄目だこいつ使えねえかも……そう思いながらリクは、リンゴーを怒鳴りつけていた。
「ンなもなぁシーツでもなんでも丸めて使え! なけりゃ我慢しろ! 今夜の寝床があるだけでも嬉しいと思えッ」
 今度はリンゴーが二十㎝も飛び上がり、半ば裏返った声で「ハイッ」といい返事をした。
 そしてリンゴーはどたどたと、あてがわれた部屋へ駆け戻って行った。
「……マジかよ。俺、もしかして取り返しのつかないことしてるのか?」
 半ば、いや八割がたは諦めの心境に達し、リクはまたテーブルの上に突っ伏していた。

(続く)