かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#1-05】

(承前)

「なるほど」
 リンゴーは、さっきの猿をさも珍しげに両手でくるくるもてあそびながら、言った。
「リクの兄貴分の――なんていったっけ、ローグだっけ?」
「ヴィレンだよ。全然違うじゃねえか」
「ごめん。会ったことのない男の名前を覚えるのは苦手なんだ。で、そのミレンの素振りが最近、とみにおかしい、と」
「ヴィレンだよ。まあとにかく、ヴィレンの素振りの理由を、あんたに探ってもらいたいってわけさ」
「なるほどねえ……。確かに、弟分のリクとしちゃ、兄貴分の事情の詮索はできないものなあ。でも、だからといってよそ者の俺に、それができるものなのかね?」
「よそ者だからこそ、さ。確かに下手を打ちゃボコられるだろうけど、でもよそ者なら、その程度で済むだろ。身内の俺がやっちゃあ、ボコだけじゃ済まねえ。特にあんたは変なヤツだから、それ以上の目にゃ遭わないと思うぜ」
「ボコられるのかあ。ヤだなあ、痛いのはヤだなあ。ああ、気が進まないなあ」
「飯、食わせてやったじゃんかよ。それにだいたい、ボコられるのは、下手を打ったらの話だぜ。うまくやりゃあ、問題なしだ」
「……うう……。それは確かにそうなんだが。でも、納得のいかない部分も、ある」
「なんだよ。言ってみろよ」
「とにかく状況を整理するよ。まず……」
 リンゴーは、今し方リクから聞いた話を繰り返し始めた。
 最近この界隈では、毒虫少年団同士の抗争めいたことが持ち上がっている。
 これまで、同じブロック内でテリトリーを分け合うチームの間では自然と境界が仕切られ、暗黙のうちに相互不可侵が保たれていた。ところが、そのバランスが崩れ始めたのだ。いや、崩れた、というよりは、従来のチームの枠に収まりきらなくなった新興チームが旧来の慣習に挑んでいる、といった方が正しいかもしれない。
 リクの所属するチームもまた、その争いに巻き込まれていた。リーダーのヴィレンは今、ふたつの新興チームに合併を迫られているのだった。
『合併っつっても、仲良くやりましょうぜ、ってんじゃないんだ。一方的に、アガリの上前を跳ねようって話なのさ』
 とは、リクの言い分だ。
 ヴィレンとしては、これからも独立を維持したいらしい。けれども、合併を求めてきているチームはどちらも、すでにヴィレンのチームの倍以上もの頭数を揃えている。
 正面対決は当然、無理。かといってどちらかと合併したら、もう片方との抗争に巻き込まれるのは間違いないし、その時には使い捨ての兵隊扱いをされるのが目に見えている。
 そんな状況でここ数日、ヴィレンの行動がどうもおかしくなった。仲間たちの目を避けてどこかへ行くし、戻ってくればやたら機嫌がよくなっていたり、逆に極端に落ち込んでいたりする。どうにも理解しがたい。
 いったいヴィレンはなにを考えて、なにをしようとしているのだろう――。
「で、真実を探りたいけれど、リクからは突っ込んだことが訊けない、と」
「よし。よくわかったじゃん。あんた、なんかトロいとこがあるから、一回話しただけじゃ通じないかと思ってたんだ」
「……失礼な。これでも俺は、友……リクより、ずうっと長生きしてるんだぞ」
「長生きしてりゃ賢いってわけでもないだろうよ。ボケってもんもある」
「ああ、それはその通りだねえ、そうだねボケってもんもある」
 リクの物言いに少しは怒るかと思いきや、リンゴーはむしろ目を、あの人好きのしそうな目をぱちぱちさせて笑った。皮肉の肩を透かされたリクが、呆れて視線を逸らす。
 そんなリクの様子を気にもせず、リンゴーはまた口を開いた。
「で、いくつか引っ掛かるところがあるんで、その辺のこと訊ねてみてもよいかな」
「なんだよ。言ってみろよ」
「まず第一に、リクはさ、どうしてそんなにギレンの行動を」
「ヴィレンだよ」
「失礼。ビゲンの行動を気にするんだい? そりゃ恩のある兄貴分なんだろうけどさ」
「……ヴィレン。ヴィ・レ・ン」
「……ああ。とにかく、その兄貴がどんなひとで、なぜそんなに重要なのか。とにかく俺は、それが知りたいな」
 リクは、ふう、とため息をついた。
「まあ、そうかもしれねえな。あんたにゃきっと、この街(エリア)の……いや、俺たちのあり方ってのが、わかってないんだからな」
「キミたちのあり方?」
「ああ。別に俺たちだって、楽しくてカツアゲなんかやってるわけでもねえんだぜ。結局のとこ、他の商売ができねえから、仕方なくやってるみたいなもんなんだ。
 まずはそこいらから説明しなくちゃなんないみたいだな。たとえば俺の場合はだな……」
 家を飛びだした時が、十歳。その齢でまともな職になんか、就けるわけがない。
 なら飛びださなければいい……それは確かに理屈ではある。けれど、仕方のない事情というのも、ある。リクの場合、それは実家の貧困だった。
“下”の賃金は、低い。“上”で働いたことがあるわけではないから、実際にどれぐらいの差があるかはわからないにしろ、少なくとも七人きょうだいをきちんと養えるだけの金は、父親ひとりがまともに働いているだけでは稼ぎ出せなかった。
 欠けることもなくすくすく育っていた七人きょうだいは、ほとんどが年子だったから、先に生まれた者でもなかなか働き手にはなれない。
 そんな状況で、少しでも家族の暮らし向きを良くしようと思ったら、口減らしをするしかない――上から順に、出て行くしかない。
「ふぅん……なるほどね。けっこうリクは、つらいところを見てきてるんだね」
「……同情なんかするなよな。困るから」
 リンゴーは、大丈夫、とでも言いたげに頷きながら、リクに重ねて訊ねた。
「でも、もうすぐ十五歳ともなれば、そろそろまともな職ってのにも就けるんじゃない?」
「世の中そんなに甘くねえよ。十歳で家を飛びだして、学校もろくに行かなかったようなガキに、誰が仕事を回すもんかよ」
「……それもそうだ」
「それにだいたい、“まとも”な連中は俺たちを毛嫌いしてるからな。どうにかして遠ざけようと、追い立ててくるばっかなのさ。仕事どころじゃ、ねえんだよ」
「追い立てる?」
「そう。追い立てられてるんだ」
 ヴィレンも何度かは、世間から“まとも”と評価されるような職に就こうとはしたらしい。けれどその度、なにやかやといちゃもんをつけられ、弾き出された。
 いや、ヴィレンに限ったことじゃない。相応の年齢になっているチームの仲間たちならば、誰にもそういう経験が一度や二度はあるようだ。
そうしてリクたちは、世間と切り離されてゆく。
でも、世間からまったく離れてしまっては、生きてゆけないのも確かだ。システマイズされた“世界”では、完全にはみ出して生きることなどできない。
 そして、リクたちが生きているということ、これもまた間違いのない事実だ。
 追い立ててくる世間の隙間で、つかず離れずすれすれの間合いを取りながら、その世間の猛反撃を受けない程度に上前を掠めるぐらいしか、日々の飯を確保する手はない……。
「ふぅむ。それがつまり、リクたちのあり方、ということなんだねえ」
 リンゴーが、妙に感心したような声をあげた。
「そうだよ。世間ばっかりが悪いなんてことは、さすがにみっともなくて言えねえ。でも結局、俺たちの居場所なんてのは、そんな風にしてしか稼げないってことなんだ」
「なるほどねえ。うん、リクの、いやリクたちの暮らし向きってものが、ようやく俺にもわかってきたよ。で、それと例の兄貴が、どう関わってくるのかな」
「ああ、そうだったな。ヴィレンの話だったっけ。ヴィレンはな……」
 ヴィレンは、リクたちのチームのリーダーだ。いつからそういうことになっているのかは、知らない。四年前にリクが拾われた時には、もうヴィレンがリーダーだった。その頃でヴィレンは、もう二十歳に近かったはずだ。
 ヴィレンはリクたちを大事にしてくれる。
 ヴィレンは、どこへ行っても半端な扱いしかされないリクたちを、一人前の仲間として、ちゃんと扱ってくれる。いや、それだけではない。やっていることこそ毒虫でも、奥にはちゃんと人間を住まわせておくべきだということ、そして人間としての生き方がどんなものであるべきかということを、ヴィレンは教えてくれるのだ。
 たとえばヴィレンは、薬だけはやるな、と言う。煙草や酒はいい、女遊びも十二歳を越えたら試していい。けれど、薬にだけは手を出すな。ヴィレンはいつも、そう言っている。
 言うだけではない。合法の範囲にある薬を、ほんの悪戯気分で試しただけで、ヴィレンの拳を何発もくらった仲間を、リクは何人か見ている。
 またヴィレンは、はみ出し加減なヴィレン自身やリクたちが、世間との折り合いをどうにかつける方法を確保してくれてもいた。
 カツアゲもそのひとつだ。カツアゲをしていい相手と悪い相手、正しいやり方と正しくないやり方。それをヴィレンはしっかり教えてくれる(「実は例の親子を相手にしたカツアゲは俺たちが勝手にやったことだったんだけど、それがバレた時、俺たちはそりゃもうこっぴどく殴られたもんさ」)。もちろんそれには、ICのかいくぐり方を初めとするパクられないための手管や、いざパクられた時の対処法も含まれる。
 それは確かに生産的なやり方ではないが、そもそもリクたちを異端視する連中が相手なのだから、その上前をいただくのにさほど恐縮する必要もない。
 ヴィレンに言わせれば、
『連中が俺たちを嫌えるようにしてやってる、ってことさ。連中にはそれが必要なんだ』
 ということになる。
 共に生きる、ということもヴィレンが仕切ってくれていた。
 たとえばリクが今日いいカモに巡り会えずに、ろくな稼ぎを上げられなかったとする。でもリクは、とりあえず飢えることだけはない。というのも、今はヴィレンがアガリを一旦全部預かり、うまく配分し直してくれているからだ。
「わかったろ? つまり俺たちゃ、ヴィレンがいなけりゃどうしようもないってことさ。ヴィレンが、いつ、どこでそういうことを覚えてきたのかは知らないけど、でもヴィレンはそれを知ってて、で俺たちはそれに頼って毎日を暮らしてる、ってわけだ」
 語り終えて、リクがまた少し、黙った。今度はリンゴーも、出し抜けな声をあげたりはしなかった。

(続く)