かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#1-10】

(承前)

 リンゴーは首を斜めに傾げ、ヴィレンたちを見ている。その目が、恐ろしく冷たい。
 音もたてず、いつの間にあんな場所まで移動したんだろう――リクが思う間もなく、ヤクザのひとりが野太い声で誰何した。
「なんだぁ、てめえ」
 堂に入った恫喝だった。
 腹の底から押し出すその声は、リクたちのやり方とはまるで違う。相手に、助かる可能性を感じさせる声ではない。相手を、叩き潰すための声だ。
「さて、なんだろうね」
 リンゴーは力みのない声で答えた。口許には、不敵な笑みが張りついている。
 リンゴーは、よく笑う男だ。リクの記憶の中のリンゴーの顔は、最初に会った時の困りきった顔と、無心に食う時の顔の他には、リクの話を聞いている時のにこやかな笑顔しか、ない。そしてその笑顔は、ごく笑顔らしい、暖かく柔らかなものだった。
 けれども、今リンゴーが浮かべている笑みは、違う。いや、あれは笑みとはいえないもののような気がする。
 唇のかたちこそ∨になってはいるが、けれどその奥に、笑みという表情が本来備えているべきもの……楽しさや嬉しさ、親しみなどの要素が、わずかも感じられない。蔑み揶揄する嘲笑とも、違う。ただゾッとするほどの冷たさだけが、ある。
「なんだろうね、じゃねえぞ。てめえちょっと来いっ」
 ヤクザの、再びの恫喝が響く。
「行ってもいいのかい? あんたらが今、どんな話をして、なにをしようとしてるのか、俺が知っちゃってもいいってことかな?」
 コンテナに寄り掛かっていたリンゴーが、軽く弾みをつけて、真っ直ぐに立った。
「……っつっても、もう知っちゃってるんだけどね。知ってるから俺はここにいるわけだ」
「なんだとぉ!?」
「ほらほら、熱くならないの。まったく、三下はこれだからいけないね」
「てめえ!!」
 ヤクザふたりのうち、さっきから怒鳴っていたひとりが、リンゴーに駆け寄ろうとした。が、その襟首を、もうひとり、ずっと押し黙ったままでいたヤクザが掴み、引き止めて、言った。
「知ってる、と言ったね。なにを知っているのか、ちょっと訊いてみたいものだ」
 どうやらこっちの方が格上らしい。確かに、恰幅といい態度といい、引き止めた奴の方が、飛びかかろうとした奴よりもひとまわり以上は上だ。口調も静かで、それがむしろずっしりとした威圧感を備えている。
 一方、飛びかかろうとした奴は、よく見ればどうもまともな状態と思えない。目は異様なギラつき方をしているし、頬の肉も不自然に削げている。
「言っちゃってもいいんだけど、そうしたら取引は多分、成立しなくなるよ。そういうところまで、知ってる」
「ほほう。となると君は、私たちには少々、いや、かなり困った域に属する人間、ということになるね……」
 格上ヤクザは言いながら、上着で隠されている腰の後ろに手をやった。
(やばい!)
 リクは目を剥いた。あれは武器を出す仕種だ。もしソニックスタンガンでも持っていたら、リンゴーはイッパツで気を失う。いや、ヒートレイなら殺される。
 けれどリンゴーは、まるで焦りもせず、腕組みからほどいた手を腰の横にぶらんと垂らし、そこで指を軽く握ったり開いたりさせているだけ――隙だらけ、だ。
(やべぇよリンゴー!)
 リクがコンテナの上に立ち上がりかけた時、ヤクザがそれを抜いた。
 ……が、それは使われなかった。でも、確かに武器だ。どうやら、旧式の装薬銃――火薬の力で鉛の玉を飛ばすもの、らしい。リクにとっては、話に聞いたことがあるだけのオールドスタイルだ。それも、転胴式とかいう、ものすごく古いタイプと見える。
 装薬銃は、過去の異物といっていい。使った時の音はでかいし、使えば証拠が残りやすい。なにしろ、鉛の玉を飛ばすのだ。使えば、その玉が必ずどこかに残る。それだけじゃなく、撃った本人の手にも証拠が残るという。おまけに、一撃で相手が仕留められるとは限らない。取り柄といえば、作動の確実さだけだ。
 そんな旧式の銃をヤクザが持っているということ自体、リクには驚きだったが、それがリンゴーに向けられもせず、ただヴィレンに手渡されただけだったということも、リクを驚かせた。
 けれどリンゴーは、それが最初からわかっていたかのように、ふふん、と笑った。
「見ただろう」
 ヤクザが言う。
「私はこの通り、武器を手放した。話し合おう、こちらにはその準備も誠意もある」
「準備に誠意ね。よく聞く言葉だね。もっとも、あんたらのいう準備や誠意は、たいがい、あんたらのためだけにあるものだが」
 余計なまでに煽っている。そんなことを言って、どれほどの意味があるというのだ。ただ相手の神経を逆撫でするだけじゃないのか?
「ま、いい。行きましょ、そっちに。お話をしようじゃないですか」
 堂々と、かけらも怯えや構えを見せず、ゆらりとリンゴーが歩きだした。その迫力は、リクが彼を飯で釣った時の比ではない。あの時でさえリクは、胸元を押されるような畏怖を感じたのだ。けれど今は……。
(もしあの迫力でせまられてたら……俺、腰が抜けたかもしれない)
 リクは知らぬ間に、喉をぐびりと蠢かせ、生唾を飲み込んでいた。
 とんでもないやつだ。とんでもない……化け物を、俺は、拾っていたんだ。
 あの毒蛇のようなヤクザと、こうも堂々と渡り合う。まともな神経じゃ、できないことだ。そんなやつに俺は、平気でタメ口をきいていたのか……。
「さて」
 手を伸ばせば互いに届く距離にまでヤクザに近づいて、リンゴーが口を開いた。
「あんたは誠意とやらをおもちのようだが、残念なことに俺には、あんた方への誠意ってものはカケラもなくてね」
「ふむ。だいぶしぶとい男のようだね君は」
「いや、そんなことはないさ。ただ不作法なだけだよ」
「なるほど。で君は、我々が誰であるかを知っていて、なにをしようとしているかも知っているわけだ。そして、では……君は我々になにを望むんだね?」
「強いていうなら、あんたらの退散だ。そして未来永劫、この街には手出しをするなってこと」
 わっはっは、と大声でヤクザが笑った。倉庫中にその声が反響して、うるさいほどだ。
「我々の退散だと? なかなか難しいことを言うね。我々はまだ、この街に事務所のひとつさえ構えてはいないんだよ。事務所もないのに退散など、できるはずもなかろう。それにもちろん、なにをしたわけでもない。手を引こうにも、引くべき手がない」
 リンゴーは、冷たい笑みのまま続ける。
「ま、少なくとも組の看板を掲げた事務所を構えてはいない、ってことは認めよう。俺の調べた範囲でも、そういう答えが出てるしね。でも、なにをしたわけでもないってのは、どうかな」
「どうかな、と言われてもね。していないことはしていない、としか言えんね。なにかをしたという証拠があるわけでもあるまい?」
「ごもっとも。だが俺は、司法局の人間じゃないんだ。証拠なんか必要ないのさ。あんたらがここにいる、そのことだけで充分」
「ふむ。司法局の人間ではない、と……。見たところ君は、まともな暮らし向きの者でもないようだね。ということは、もしこの場で行方が知れなくなっても、追う者、探す者はいないということになる、か……」
 格上がちらりと格下に目配せをする。心得たように格下が、素早い動作でナイフを構えた。
 さっきヴィレンに向けていたナイフだ。サイズは小さいが、切れ味は相当に鋭かった。
 格上がにやりと笑って言った。
「脅しではないからね」
 今度こそ、やばい。リクはコンテナの上に立ち上がった。

(続く)