かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#1-09】

(承前)

 翌日の夜、指定された時刻、指定された場所。リクはちゃんと、そこにいた。
 TTB−13ビルの食料倉庫フロア。そこは食料品の倉庫だけに、エアコンディショニングががっちり効いている。いつもの薄手のジャケットを羽織っているだけでは、いささかならず寒い。
 ここは、通常の三フロア分に相等する高さを、天井をぶち抜いて確保してある。床の広さもかなりのものだ。だがその中にはコンテナがかなりたくさん詰め込まれていて、けっこう息苦しい感じがする。
 リクは、リンゴーとの約束通り、仲間たちにはなにも告げず、ただ黙ってここへ来た。
“商売”を途中で切り上げるリクを、体調でも悪いのかと心配する者はあったが、不審に思う者はいなかった。この街にとっては毒虫であっても、リクたちの間にはリクたちなりに、人間らしいやりとりも信頼もちゃんとあるのだ。
 その拠り所となっているのが、つまり、ヴィレンなのだった。ヴィレンの存在感があって初めて、チームはそういうかたちにまとまっていられる。
 だからこそ、ヴィレンの行動は解き明かされなければならない。あの仲間たちとの毎日を、これからも維持するために。
 そのためなら、得体の知れないリンゴーとの約束だって、きちんと守る。
(それにしても……)
 リクは驚いていた。
 昨夜リンゴーから渡された紙には、そのフロアの、手書きではない3D図面が印刷されていた。それも、ただ倉庫の設計図を写したようなものではない。今現在運び込まれているコンテナの、正確なサイズや置き位置までが刷り込まれている。
 待ち合わせ場所には、赤ペンでぐしゃっと○印がつけられ、ごていねいにも↓印までが添えられていた。
 指定されたその場所、今リクがいる場所ときたら、積み上げられたコンテナの上も上、頭のすぐ上には天井を這うパイプが迫るような場所だ。
 かといって、昇り降りに苦労するような場所でもない。その上、フロア全体、特に荷物の仮集積をおこなう中央のスペースが隈なく見渡せ、かつ部屋のどこからも見つけられないような、つまり監視には絶好の場所なのだ。
(なんだってリンゴーみたいなよそ者が、こんな場所を見つけられたってんだ)
 コンテナの上に腹這いになり、フロアを隙なく窺いながら、リクは考えていた。
 だいたいコンテナは、毎日同じ場所にあるとは限らない。時期にもよるが、およそ数日から半月ぐらいのサイクルで、かなり目まぐるしくその位置を変えられている。それだけ荷物の出入りが激しいということだ。
 そんな状況で、なぜこれほど的確な位置が選べたのか――。
(やっぱあいつ、ただものじゃないのか)
 妙にぎくしゃくして素っ頓狂なのに、やることは素早くて正確。そのくせ二日も絶食を強いられるほどの赤貧。これだけの能力があるなら“上”でのうのうと暮らすことも無理じゃなかろうに。
 わけがわからない。少なくとも、普通じゃないことだけは、よーくわかった。
 頼んで正解だったのかもな。けっこう俺、ひとを見る目があるのかも――
「お待たせ」
 突然、無理に押し潰した声が後ろから湧いた。
 振り向くとそこにリンゴーが、天井のパイプにぶち当たりそうな長身を折りたたんで、不器用に身をかがめている。
 リクは、リンゴーよりもずっと上手に押し殺した声で、挨拶代わりの文句を言った。
「時間厳守っつったわりに、あんた遅刻してるじゃんかよ」
 リンゴーは、リクの横に腹這いになりながら、右腕の時計を突き出した。
「いや、そんなことはないよ。この通り時刻は正確だ。多分リクの時計が進んでるんだ」
「あんたの時計はそんなに正確なのか?」
「うん。それは保証できる。この時計は、とっても正確なんだ」
 別に本気で文句を言ったわけじゃないのに、なんでそこまで細かいことにこだわる必要がある……とは思ったものの、リクは、今さらその程度のことは口に出すまでもないとやり過ごした。リンゴーはつまりそういうやつなのだということが、少しはリクにもわかってきている。
 代わりにリクは、昨日からずっと気になっていたことを訊ねた。
「で、今これからここで、なにが起きるっていうんだい?」
 リンゴーは答えず、ただ顔の向きを変えて、遠くの一点を凝視してみせた。
 つられてリクも、その方向を見る。
「あ……」
 声を出しかけたリクの口を、リンゴーの大きな手が塞いだ。その手を払いのけ、リクは、目に飛び込んできたその光景を、齧りつきそうな勢いで見ていた。
 ヴィレンがいる。ひとりだ。
 ヴィレンはけっこう大柄だ。リンゴーよりは少し背が低いが、それはリンゴーがひょろ長すぎるからだ。ごく一般的な尺度で見れば、ヴィレンは年齢相応以上の、おとなの男として十二分に立派な体つきをしている。
 顔だちも、リクとは違う、おとなの男のものだ。力強く太い眉も、少し細めできりりとした目も、太い鼻柱も四角い顎も、すべてが男らしく逞しい。そしてヴィレンは、そんな顔だちの印象と寸分もズレがない、強いリーダーとしてみんなを導いている。
 着ているものはリクと大差ない。いつも通りの毒虫姿だ。
 でも、立派な体格のおとなにとって、リクたちと大差ない服、だふっとした毒虫色の服というのは、かなり不釣り合いなものではある。
 世間の連中が見たら、眉をひそめて“いい齢をして”“まともに働く気はないのかね”と言うだろう。そう言う連中こそが、ヴィレンたちをまともな職から遠ざけているというのに。
 そのヴィレンが、倉庫の中央集積スペースの片隅に、ひとりで立っていた。
 姿こそいつも通りだが、感じがどうも違う。
(ヴィレンは、俺たちの目を盗んではいつもひとりでここに来ていたんだろうか? だとしたら、なぜ? こんな場所に、どんな理由で……どんな目的で? そしてヴィレンは、なぜあんなに……今日は、怖いんだ?)
 そう、今日のヴィレンは、怖い。リクたちにはこれまで見せたことのない、触れたら爆発しそうなピリピリした感じを総身にまとっている。
 ヴィレンを見て考え込むリクの脇腹を、リンゴーが軽く突ついた。振り向くとリンゴーは、今とはまた違う方向を見ている。その視線の先を追うと、今度は二人の男の姿が目に入った。
 何者だろう。年の頃はリンゴーと同じか少し上という感じだ。いかにも“上”の民っぽい、すらりとした服を着込んでいる。が、その服の暗い色のせいだけでなく、男たちはどちらもどんよりと濁った危なげな雰囲気を、周囲に撒き散らしていた。
 そう、危なげな雰囲気。
 確かにリクたちにも、そういう雰囲気はあるはずだ。それがなかったら、カツアゲという“商売”は成り立たない。けれどそれとは、どうも種類が違う危なさだ。
 リクたちが毒虫であるなら、彼らは毒蛇。その毒も力も、比較にならない。
 まるで体内に、闇を飼っているような迫力。いや、闇そのものがひとのかたちに凝固したような違和感。
 ……まさか!?
 リクはリンゴーを振り返った。
 あいつら、本職!? ヴィレンはチーム同士の抗争にケリをつけるために、あいつらの力を借りようとしているのか?
 リンゴーはなにも言わず、リクを見ていた。
 その目が、深い色に沈んでいる。普段とはまるで違う、奥の読めない色に染まっている。
 ただひとつだけ、リクにもわかったことがあった。
 昨夜、リンゴーが言っていたこと――
『俺たちは、なにがなんでもそれを阻止しなきゃならない』
 それを今、リンゴーは再び、目で言っている。
 そうだ、阻止しなきゃならない。
 チーム同士の抗争は確かに困ったことだ。リクたちの明日の生活にも響く。
 けれど、連中――本職の傘下に入るなんて、まっぴらだ。
 リクたちは、消極的にでも、“まとも”な世間との共存を望んでいる。リクたちは、世間の隙間で、その日その日の飯と寝ぐらが確保できれば、それでいいのだ。
 でも連中は違う。連中にとって世間は、家畜より下等な存在の集団でしかない。世間は連中のために準備された玩具であり、連中が稼ぐための踏み台でしかないと考えている。
 そして連中の欲は、日々の飯程度ではおさまらない。“上”の民の中でも上の方にランクされるやつより、贅沢なことを好む。その欲を実現するためなら、手段は厭わない。いや、その手段を採りたいということこそ、連中の本当の欲なのかもしれない。
 その手段――ひとを騙す、壊す、滅ぼす、売る、骨も無駄にせずしゃぶり尽くす。ひとを駄目にする非合法の薬や道具を世間へ大量に垂れ流しては暴利を貪り、それでいてひとを完全に食い潰すようなことはしない。暴力を使って病原体のごとくにひとの生活に吸いつき、蝕み、その生き血の味をこそ至上の滋味として味わっている連中。
 連中が発生した星の、連中が発生した国で、何百年も前に与えられた名が、連中に今もなお使われている。
 ヤクザ。それが連中の呼び名だった。
 連中の悪い噂はよく聞く。ほんの数ブロック離れた隣のエリアでは、連中の及ぼす害が深刻な問題になっているそうだ。司法局も退治に躍起になっているらしいが、連中は狡猾で常に尻尾を掴ませないという。実は司法局の内部にヤクザに通じている者がいて、連中に不都合な証拠や情報の類を、片っ端から握り潰している……という話がまことしやかに伝えられるほど、その巧妙さは際立っているらしい。
 けれどリク自身は、幸いなことに、今まで連中に実際に出くわしたことはなかった。どういうわけかヤクザたちは、このエリアには手出しをしてこなかったからだ。
 でも、わかる。今、目の前にいる連中は、間違いなくそうだ。
 そんな連中の力を、まさかヴィレンは、借りようとしているのか。
 阻止、しないと。
 これはもう、絶対に阻止しないと。
 身を起こしかけたリクの肩を、リンゴーが掴んだ。
 振り返り睨むリクの目を、リンゴーが覗き込む。その瞳には、あの優しさ……居心地の悪い、でも悪意のない、なぜか信じたくなる優しさが蘇っていた。
「ここは」
 低い声でリンゴーが言った。
「俺にまかせておいてくれないか。リクから請け負った、俺の“仕事”なんだから。
 リクは証人として、ここで全部、見ていてくれ」
 そしてリンゴーは、よたよたとコンテナから降りていった。
 後を追いかけたい。見ているだけなんて、いやだ――そんな衝動を感じながらもリクは、けれど、ここはリンゴーの言うことに従っておいた方がいいだろう、と思い直した。
 証人として。そう、誰かが今これから起きることをしっかりと見ておかなければならない。そしてそれをできるのは、今ここにいる自分しかいないのだ。
 リクは視線をフロアに戻した。互いを見つけあったヴィレンとヤクザ二人が、集積スペースの中央近くに歩み寄ってゆくのが見える。
 小声でなにかやりとりしている。内容ははっきりと聞き取れないが、不思議と声そのものは、かなり距離があるというのに届いてくる。ヴィレンたちがことさらに声をひそめて話しているのでなければ、充分に聞き取れそうだ。積み上げられたコンテナや壁が微妙な音場を作り、反響がここまで届いてくるということだろうか。リンゴーはそこまで計算して、この場所を選んだということなのだろうか。
 ヤクザがなにかを説明している。ヴィレンがそれに、いちいち頷く。“取引”は成立したようだ。ヤクザのひとりが、懐からなにか紙のようなものを取り出した。もうひとりがナイフのようなものを抜き、刃を上にしてヴィレンに向ける。ヴィレンは、強張った顔を青ざめさせながらも、その刃の上に指を走らせ、浅い傷をつけて――。
「ちょおっと、待ったぁ」
 はっきりとした声が、フロアに響き渡った。
 ヴィレンたち三人は驚き、きょろきょろと周囲を見回した。その視線が一点に集中する。リクがいる場所とは正反対の辺りだ。
 そこにはリンゴーが、コンテナに寄り掛かり、腕組みをして、立っていた。

(続く)