かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#2-03】

(承前)

「さて……」
 リクの部屋に落ちついて、まずリンゴーが口を開いた。
「とりあえず俺のことはわかったろうから、次はなにかな。やっぱりここは順を追って、十二年前の話、ってのをするべきかな?」
 言いながらリンゴーは、丸めて運んできた革のジャケットを拡げ、表から裏から入念にチェックし始めた。
 まん丸く開かれた目に、真剣そのものといった光が宿る。その様子には、なにか触れがたいもの……大仰ではあるが、厳粛、ともいえる雰囲気があった。
 きっとあのジャケットは、そういう風に何年も、何十年も……あるいはそれ以上に渡って、ずっとリンゴーに愛されてきたのだろう。今ならば、背の革に奇妙な当て皮が貼られていた理由もわかる。つまり、今日のように撃たれたり、あるいは刺されたりする度に、開いた穴を塞いできたのに違いない。
 どんなに擦り切れ傷んでも、手放さないジャケット。
(きっと、よほどのお気に入りか、いわくのある品なんだ)
 リクは、リンゴーの様子に、そんな感慨を抱いた。
 早く話を聞きたいとは思うけれど、この沈黙はなんとなく守らなければならないもののような気がする。リクは、リンゴーの言葉をじっと待った。
「……どうする?」
 ジャケットをひとわたり検め終えて、ようやくリンゴーが言った。
「え? なにを?」
 リクが慌てて返事をすると、リンゴーは笑顔をもちあげて首を左右に振った。
「ああ、リクじゃないんだ。ヴィレン、ここはキミが話した方がいいんじゃないかな?」
 ヴィレンがびくっとしてリンゴーを見る。
「俺が……ですか」
 きちんとした敬語になっている。さすがに、リンゴーを傷つけてしまったことを気にしているのだろう。いや、それだけのせいでもないのかもしれない。ヴィレンのリンゴーを見る目には、一歩ひいて敬うような色合いがある。
 けれどリンゴーは、ヴィレンのそんな素振りにはわずかも気づかない風で、再び視線をジャケットに戻し、裏地をじっと覗き込みながら頷いた。
「うん。俺は確かに、だいたいのところを把握してる。でも、この件についてはヴィレンの方がずっと詳しいはずだし、それに俺は、ここでの作法をよく知らないからね。話すべきじゃないことまで、しゃべっちゃうかもしれない」
 リクは驚いて、リンゴーとヴィレンの顔を交互に見比べた。
「じゃあ……ヴィレンは、知ってるの? その、十二年も前のこと、っていうのを。でもその頃って、ヴィレンはまだガキだったんじゃないの?」
 リンゴーが、相変わらずジャケットの裏地を確かめながら言う。
「ああ、知ってるはずだよ。というより、知っているからこそヴィレンはリクたちのリーダーなんだし、“まとも”を自認するひとたちから煙たがられてもいるんじゃないかな」
 ヴィレンは目を丸くした。
「……本当に全部、知ってるみたいですね」
「まぁ、ねえ。今の世の中、その気になって調べれば、わからないことってないから。もっとも知ったところで、普段はなんの役にも立たないんだけどね」
「なんだよ、また俺だけ置いてきぼりなの? もうそういうの勘弁してくれよぉ」
「とにかくここは、ヴィレンにまかせるよ。俺はこのジャケットをなんとかしたいんだ。幸い今回は穴こそ開かなかったけれど、さすがに裏地はもうダメだしね……。いっぺん全部剥がさないといけないんだ、すぐにでも。なにしろ血がしみ込んじゃってて。ああリク、ナイフかハサミがあったら貸してくれないか」
 リクが元気良く「うん!」と答え、ポケットからナイフを取り出す。小さいが、いかにも使いやすそうなナイフだ。リンゴーは手を伸ばしてそれを受け取り、ブレードを剥き出した。
 刃は、きらりと冷たい光を放っている。手入れは充分に行き届いているようだ。リンゴーは満足げに頷き、ヴィレンに軽く目配せをしてから、ジャケットの裏地に刃を当てた。
「……じゃ、俺から話すことにしますよ。リクにはいつか話そうと思ってたことだし」
 ヴィレンはリクに向き直った。
 リクはわくわくする気持ちをこらえ切れず、満面に期待を浮かべてヴィレンを見ている。
「あの頃、確かに俺はまだ十歳そこそこのガキだった。そしてその頃のこの辺は、今なんか比べ物にならないぐらいヤバい場所だったんだ……」
 十二年前。
 この街の造成が始まって数年が経ち、中心部のブロックはすっかり今と変わらないほどに機能し始めていた頃。
 まだ“上”にも“下”にも、空きスペースが腐るほどあった。“下”に移住してきた連中も、頑張れば“上”の空きにまぎれ込めるかもしれない、という希望を、多少はもっていた。
 その希望の分だけ、“下”でのさまざまなことが活発だった。男も女も、地べたの道を歩き回り、精一杯に毎日を暮らしていた。街全体が落ち着かず、ざわめいていた。
 そういう中でも、いや、そういう中だからこそ、今のリクたちのような少年たちが量産された。そして彼らは、街の活気に煽られるように、その行動をどんどん尖らせていった。
 当然、抗争も起きる。最初は数人規模でまとまっていたチームは短い期間のうちに統合、淘汰され、一ブロックにつき数グループほどの勢力へと育っていった。
 ヤクザたちが、そんな状況を見逃すはずも、ない。
「えぇっ!?」
 リクが大きな声をあげた。
「ヤクザって、そんな頃からこの街に手出ししようとしてたってのか?」
「そりゃそうだよ」
 リンゴーが答えた。答えはしたものの、視線はジャケットに向けたままだ。ナイフを握った太く長い指は、器用にちょこまかと動いて、ジャケットの裏地をていねいに剥いでいる。
「活気のある場所が、連中には最もおいしい場所なんだからね。ひとが動き、物が動き、金が動く――やつらは、そういう場所を見逃さないのさ。そこに巧妙に入り込んでは、非合法の品や力を流し込み、裏から世界を操るってのが、やつらのやり方なんだよ。もうずっと、ずうっと昔からね。……あ」
 リンゴーの指の動きがピタッと止まった。眉が八の字に下がり、眉間には複雑な皺が寄る。しゃべりながらの作業で、裏地をうっかり切りすぎたらしい。
「リンゴーさんの言う通りさ。俺たちのチームにも、連中の力が届き始めてた。もっとも当時の俺は、まだ本当にガキで、今のリクよりずっと使えないやつだった。だから、直接になにかをされた、ってことは……ほとんど、なかったんだけどね。でも、やつらのやり方は、本当に巧妙だった……」
 ヤクザたちは最初、ヴィレンたちに餌を与えた。つまり、彼らこそが街を裏から操る実権者だとおだてあげ、一人前以上の扱いをして、いい気にさせたのだ。もちろん、それだけではない。“下”では到底お目にかかれない高級な酒や、非合法な武器の類を提供したりもした。
 そうしてヤクザたちは、わずかの間に彼らに少年たちが依存するように持ち込んだ。少年たちがヤクザの予備軍めいたものに成り下がるのに、さほどの時間はいらなかった。
「俺たちは、調子に乗っていた。勘違いして開き直っていた。どの道、まともな世間じゃ相手にされない俺たちなんだから、こっちで行く道行ってやろうじゃないか……そんな気分になってたんだな。でも、目が醒めた事件があってね」
 並立するふたつのチームがあった。ブロックでも最大規模のそのチームは、リーダー同士が幼なじみで、稼ぎの額を競い合うことこそあれ、チームとして対立することはなかった。
 ところがある日、片方のリーダーがもう片方のチームの根城へ単独で殴り込み、そのリーダーを殺してしまったのだ。
「おかしい、と思ったよ。そのふたりは俺もよく知ってた。どんなことがあっても殺し合いなんかするわけがないってことを、俺はよく知ってたからね」
 リクが目つきを険しくしている。ついさっきまでのわくわく気分をすっかりなくして、ヴィレンをじっと見ている。
「殺した方は、すぐ司法局に引っ張られた。けれど、留置場で首吊って死んだ。遺書、ってのがあった……あったけど、誰にもそれは、読めなかった」
「なぜ!?」
 勢い込むリクの肩をぽんぽんと叩いて、リンゴーが「まあ、まあ」と宥める。裏地はすっかり剥がし終えたようだ。
 リンゴーは、一重になったジャケットを椅子の背にかけて立ち上がると、赤黒く染まった裏地をくるくるっと丸め、台所のフロアタムごみ箱に投げ込んだ。そして、隣の部屋へするりと入って行った。
「……どう言えばいいんだろうな。とにかく、それが首吊り屍体の足元にあったんだから、遺書には違いないんだ。けれどそれは、読めるもんじゃなかったんだよ。誰にも、ね」
 ヴィレンが言っても、リクは納得のいかない顔だ。
「それって、これだろ?」
 隣から戻ってきたリンゴーが、一枚の紙を差し出した。
 ヴィレンがそれを見て、目を丸くした。
「……なんでそんなものまで持ってるんですか」
「言ったろう、その気になればなんでも調べられる、って。こいつは使えそうなものに思えたから、コピーを取っといたんだよ。精度はだいぶ悪いけれどね」
「ちょっと俺にも……俺にも、見せてくれよ」
 リクは首を突き出し、紙を覗き込むなり、う、と呻いた。

(続く)