かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#2-02】

(承前)

 リクは、再び声を小さくしてしゃべり始めた。
「……ごめん。でも、とにかく、訊きたいことが山ほどあるんだ。なあ、教えてくれないかリンゴー」
 リンゴーが、ふむ、と声に出し、考え込むような目つきになった時だ。
「よお患者。具合は良さそうだなあ」
 ドアが開き、明るく太い、そして少々柄の悪い声が飛び込んできた。
 クラークだ。
 手術用の緑色を脱ぎ、丸首のシャツに白衣を羽織った姿になっている。前を閉じていない白衣からは、堂々としたデカ腹が力強くせり出す。全身が精力の塊のような中年男だ。
「ああ、先生。だいぶお手間をかけたようで」
 首だけひねり、リンゴーが挨拶する。
「いやいや、こっちも仕事だからな。それにしたっておまえさん、ずいぶんと変わった体質の持ち主だなあ」
「おかげさまで」
「いったいどんな仕組みになっとるんだね、おまえさんの体は。
 切った傷口が見る間に閉じるってのも異常だが、砕けた肋骨のカケラが勝手に元の位置に戻るってのも、そいつらが手術してる最中にもうくっつきかけてたってのも、相当に異常だ。おかげで、背中側の肋骨に食い込んで止まってた鉛玉を引っこ抜くのが、えらく大変だったぞ」
 リンゴーは少しだけ笑って、いやあ、と答えた。
「痛みはどうかね」
「だいぶ良くなってきてます」
「ふむ。きっと中身もほとんど治っちゃってるんだろうな。手術を終えた時だって、鉗子を抜いた途端、ぴろーっと傷口が塞がってったものなあ。どれ、ちょっと見せてみろ……ああ、 やっぱり。傷跡も残っちゃいねえ。いいよ、もう仰向けに寝ても。その方が楽だろう」
 クラークはリンゴーの返答も待たず、大声で一人でしゃべりながら素早く作業をし、しまいにはリンゴーを軽々と持ち上げてベッドの上で引っ繰り返してしまった。
 リンゴーはそれに抗いもせず、仰向けに落ちついてからゆっくり言った。
「恐れ入ります……ところで」
「なんだね?」
「先生もやはり、俺の体質は気になりますか」
 少し探るような口調だ。
「ああ、そうだなあ。気にならないわけはないな。いろんなやつを見てきた――地球外系のやつも含めて、な。だが、こんな回復力をもったやつにゃ、出会ったことがない。屈強で知られたメゾ人だって、ああはいかん」
「で……もしそれがどういうわけかわかったら、先生はどうします?」
 リンゴーの問い掛けにクラークは、腕組みをして「ふぅむ」と唸った。
「……どうもせんな。なるほど、と思うだけだろうな」
「ずいぶんと欲のないことですね」
「いや、それは違うな。欲はあるさ。ただ、その方向が多少、常人とズレてるらしいんだ。ズレてるだろうという自覚ぐらいは、あるんだがね」
 言ってからクラークは、わっはっはと笑った。それを見てリクが、「静かにしなよ先生」とたしなめる。クラークは真顔で「なんだと小僧」とやり返す。
 リンゴーはクラークの仕種を、いちいち値踏みするような目で観察していた。だが、リクとのやりあいを見て、軽く頷いた。
「つまり、ですね……」
 リンゴーがゆっくりと言いかけた。リクたちの視線がリンゴーに集まる。
 が、リンゴーは、言いかけて口を半開きにしたまま、目をくりくりと動かして、なにか考えているような表情をしている。クラークがその様子を見て、言った。
「ん? 言いたくないことなら、別に言わんでもかまわんよ。俺のところに来る患者なんてのは、どいつもこいつもひとに言えないような事情の四つや五つ、抱えてるしな。そしてそれはたいがい、俺にとっても知らない方が都合のいいことだったりするんだ」
「いや、言いたくないわけではないんです。なにをどう話せば一番早いかと思いましてね」
「そんなに込み入った事情なのかね」
「撃たれて一時間やそこらで傷が塞がるってのが、ごく簡単な事情だとお考えで?」
「……まあ、それはそうだな。長くなりそうなら座らせてもらうぞ」
「いや、そんな大層な話でもないんですよ。要するに俺は、失敗作でしてね」
「失敗作?」
 クラークとリクが同時に声をあげた。ヴィレンはひとり、黙ったままだ。
「ええ。昔……大昔に、ちょいとした実験に参加しまして。その実験が失敗だったんですよ。で、こんな体になっちゃった、という」
「ずいぶんとかいつまんだ話があったもんだな。いったいそりゃ、どんな実験だったんだ?」
「もともとは、遺伝的な病気を根治する方法を確立するための、DNA組み替え実験……って名目だったんですけどね」
 クラークの目つきが急に険しくなった。
「おい、ちょっと待て。DNA組み替えの人体実験だと? そんなもなぁ大昔から、厳に禁じられてたはずだぞ」
 リンゴーは曖昧な笑みで「ええ」と答える。
「確かに今は禁じられてますが、禁じられる前だったら、どうです」
「禁じられる前って言ってもな。遺伝子組み替えの人体実験が禁じられたのは、今からもうざっと数百年もま……え!?」
 クラークが呆然とする。リクは話の筋がわからないらしい。ただリンゴーとクラークの顔を、せわしなく交互に見比べている。
「まあ、そういうことでしてね」
「だが、しかし、でも……いったいなんの実験をしたっていうんだ!?」
「いやあ、それが実は、よくわかんないんですよ。担当した科学者が、ちょっとイッちゃった人でしてね。実験の本当の目的も、その段取りも、そのひとの頭の中にしかなかった」
「……そんな無茶な。人間を材料にするような実験に、第三者が見てわかる計画書を、いや研究室内での稟議書さえも作らなかったっていうのか? 今そんなことをやったら、間違いなく学会は追放だぞ。いや、それだけじゃない。刑事罰だってがっちりくらうだろう」
「当時だって似たようなもんです」
「おまえさん、よくもまあそんな実験に、体まるごと飛び込んだもんだ……」
「ま、その頃はいろいろとありましてね」
「……ふむ。で、その実験が失敗したというのか」
「どうやら、ね。おかげで俺、一時はえらいことになってたらしいんですが、回復してみたらこんな体になっちゃってました」
 クラークは、ゆっくりと腕を組み、リンゴーを見た。
「つまり……追試不可能な実験の生き証人、いや結果の現物……ってことか」
 クラークは、態度や口調こそ落ち着かせてはいるものの、目の色をだいぶ変えてしまっている。目の前のリンゴーが明らかにまともな存在ではないことに、心の底から驚いている様子だ。
 リンゴーは、そんなクラークの様子を見ながらも、頷き、答えた。
「実のところは、なにがどうなってるんだか皆目わからないんです。DNAの徹底解析もされたんですが、結局わけがわからん、ということで。とりあえず確かなのは、原因は実験にあるらしいってことと、俺が死なないっていう事実だけ」
「確かにわけがわからん。ゾウリムシだって接合しなけりゃ……いや、オートガミーってのもあるが……いずれにしても、そのままの状態で不死にはならない。だいたい、死なず衰えず在り続けるなんて……そんなもん生物といえるのか?」
 言ってしまってからクラークは、あ、と呻いて口をつぐんだ。リンゴーはちょっと困ったような笑みを見せてから、頷いた。
「そう、生物とは到底いえそうもないんですよ、俺は。もっとも、絶対に死なないかといったら、わかりませんけどね。今までさすがに、首をちょん切られたり、頭を潰されたりって経験はしたことないんで。あるいはそういう目に遭えば死ぬかもしれないんですが……」
「……死なないかもしれんのだな」
 クラークの言葉に、リンゴーは困り笑顔のまま、答えた。
「わざわざ試す気にもなれませんしねえ」
 リクがクラークとリンゴーの顔を見比べながら、おずおずと訊いた。
「……とにかく、じゃあ、理屈はどうあれ……リンゴーって、ただ死なないだけじゃなくて、もう長いこと……」
 リンゴーがにっこり笑った。
「あんまり深刻に考えないようにね」
「それにしても、だ」
 クラークが重々しい口調で言う。
「そんな存在があったら、いや実際に目の前にあるらしいが、学会はもちろん、企業やら何やらが放っておくはずはないんじゃないかね?」
「それはいえます……いえました」
 リンゴーはふと視線を逸らし、遠くを見るような目つきになった。
「でも先生。俺は存在自体がヤバいんですよ。
 確かに実験は規制前のことです。けれど、だからといって、人道的に許される実験でもないわけです。俺の存在が明らかになれば、実験をした団体はもちろん、以後、俺の面倒をしばらく見た幾つかの機関だって、ただじゃ済まないでしょう。
 それに、もし俺の研究からなにかの成果が出たとしても、それはもはや、なんの役に立たないんですよ。応用できる分野自体が規制されてますし、抜け道があったとしても、発見の理由を突っ込まれたら困るわけで。
 俺はつまり、表向きは放っておく他ないしろものなんです」
「……ああ、確かにな。言われてみりゃ、その通りだ」
「とはいえ、今でも……いや、これはいいか。とにかく、このことは内密に願いますよ。俺も、先生なら、と見込んだからこそ話してるわけで」
「ああ、誰にも言わんよ。言ったところで、誰も信じちゃくれねえだろうしなあ」
 はう、とため息をついて、クラークは腕を組み直した。
 部屋の中が静かになった。リクとヴィレンには、話の内容がほとんどわからなかったようだ。それでも結論だけは――リンゴーが常識を大きく外れた長生きで、しかも本当に死なないらしい、ということだけはわかったとみえる。
 クラークはクラークで、口の中でなにやらぶつぶつと呟きながら考え込んでいる。
 やがてクラークは、ふん、と唸り、顎肉をぷるぷるさせながら何度か頷いた。
「まあ、いいさ。俺にゃあ関係のないことだ。おまえさんは一風変わった患者、俺にとっちゃそれだけのことだからな。しかし……」
 クラークは、にやっと笑った。
「そういう体の持ち主が、おまえさんで良かったと思っとる。リクを見ろ。こいつはどうしようもない悪ガキだが、おまえさんにはよく懐いとる。それは、それだけおまえさんがいい人間だってことの証明だ。そういう人間がそういう体の持ち主であってくれて、良かったよ」
 言われてリクは、急に目つきを険しくした。
「懐いてるって、なんだよ! ひとのこと、イヌやネコみたいに!」
「わっはっは、照れるな坊主。手術が終わった時のおまえを見たら、誰だってそう思うわい」
 リクは黙り込んで、ただクラークを見上げ、睨みつけている。ちょっと顔が赤い。
 クラークはリクの様子を気にもせず、リンゴーに言った。
「だいぶ長話をしちまったが、その間にどうやらおまえさんはもう充分に回復したようだ。となれば、いつまでもここに寝てる必要もあるまい。荷物まとめて、さっさと帰れ」
 リンゴーが途端に困った顔になる。
「ああ先生、治療費の方は……その……」
「阿呆。鉛玉の摘出なんぞを司法局に無届けでやらかしたなんてことがバレたら、医師免許を剥奪されちまうよ。今日のことはなかった、なにもなかったってことにしといてほしいな。金だって当然、もらうわけにゃいかん」
「……感謝します」
 クラークは肉に埋もれ加減な口をにっかり笑わせ、リンゴーの肩を軽く叩いた。
「とりあえず、行く前に診察室に寄れ。おまえさんの着てたシャツは、血まみれになってたから捨てた。代わりに俺のシャツを一枚進呈しよう。今日はそれを着て帰るといい。これもサービスだ。またなにかあったら来いよ。もっとも、おまえさんの体じゃあ、今日みたいに鉛でもブチ込まれない限り、俺の力なんぞ必要ないんだろうがな。
 ……まったく世の中には、わけのわからんことがまだまだいっぱいある」
 がっはっは、と笑い、後ろ頭をぺちぺちしながらクラークが部屋を出ていった。
 それを見送った後でリンゴーは、起き上がった。
「じゃ、とりあえず戻ろうか。リクんとこがいいね。ヴィレンも来てくれるね?」
 まだ時おりはわずかに顔をしかめながら、リンゴーが言う。リクたちはそれぞれ立ち上がり、出支度を始めた。


(続く)