かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#2-04】

(承前)

 そこには、滅茶苦茶な線で構成された幾つものぐしゃぐしゃの図形、文字のつもりらしいヨレた線の行列、そしてそれら全部を押し潰すような何重もの大きな×印が書かれていた。
「……典型的な錯乱者の作品といったところだなあ。ただ、精神症の患者のものとは、ちょっと違うんだ。これは、薬に酔った……というよりは、薬で意図的に壊された人格、が書くタイプのものなんだよ。どこがどう、って話は省くけれどね」
 言いながらリンゴーがテーブルの上に置いた紙を、リクが食い入るような目つきで眺めている。きつく結んだ唇が、小刻みに震えている。
 その唇が震えながら開き、呻くような声が漏れ出た。
「読めねえ……確かに読めねえよ。こんなの、誰にも読めっこねえ。……でも……」
 でも、そこに滲む悔いのようなもの、烈しい苛立ちのようなものは、誰にでも、わかる。
 なにを書いてあるかはわからなくとも、どんな気持ちでそれを書いたかは、わかるのだ。伝わってくるのだ。それがむしろ、悲しい。つらい。
 ヴィレンはその紙から目を逸らしていた。顔色もわずかに青ざめている。
 押し黙ったままのヴィレンに変わって、リンゴーが後を少し補った。
「つまり、そういうことなんだ。ヤクザに適当なことを言われ、乗せられ、キツい薬までキメさせられて、殴り込んだってことなんだろうね。
 でも、それでもわずかに残っていた“彼自身”が、思ったこと。……それが、その“遺書”に書かれていること、なんじゃないかな」
 リクが呟く。
「それで……自殺した、ってこと?」
 ヴィレンは頷いたが、リンゴーは「うーん」と唸って腕組みをした。
「その辺はグレイだねえ。自殺なのかどうかは、わからない」
「どういうこと?」
「……あくまでも可能性でしかないんだが、ひっかかることあってね。当時の司法局の、事件担当者――というより、その“遺書”を書いたひとを担当していた司法官が、今、なにをしてるか知ってるかな?」
 リクもヴィレンも、首をひねる。リンゴーはどちらとも視線を合わせずに言った。
「“上”の市長だ」
「!?」
 ヴィレンは椅子から立ち上がりかけた。けれどすぐ、それが今は意味のないことと気づき、ゆっくりと座り直した。
 そのまま少しの間、沈黙が続く。息を整えてから、ヴィレンが、極力抑えた声で訊ねた。
「……じゃあ……ということは、リンゴーさん。その時にはもう、司法局にまでヤクザたちの影響力は届いていた、と? そして今は、市長もグルだと?」
 リンゴーは腕組みのまま首を振り、珍しく言葉を選びながら答える。
「それは、わからない。当時の司法局が、個人のレベルではとにかく、組織として駄目になっていたとは思えないよ。今だって、たとえ市長がヤクザと関わりのある人物だとしても、議会全体が掌握されているとも思えないしね。
 ただ、情報が筒抜けになることはあるだろうし、ヤクザにとって不都合な法案の類が潰されることもあり得る。けれど逆に、議会が独立を保っていれば、ヤクザに好都合な法案をでっちあげることはできないわけだし、そしてこれまでのところ、司法局そのものや議会がヤクザに染められているという兆候は、見えない。
 彼らは彼らなりに、ヤクザたちを自由にはさせまいと抵抗しているってわけだ」
 ヴィレンは、大きくひとつ、深呼吸をした。
「……そうですか。じゃあまだ事態は、そこまで悪くはなってない」
 リンゴーは頷き、「多分ね」と答えた。
 リクはもうひとつ話の大きさが把握できていないらしい。黙り込んだふたりを交互に見比べながら、おずおずと訊ねた。
「……それで、十二年前は……その後、どういうことになったの?」
 ヴィレンが「ああ」と応え、再び話し始めた。
「そうだったな。その話だ。大きなチームのリーダーふたりが死んだ、でもそれは、俺たちを逆の方向へ刺激した。奴らは、焦り過ぎたんだ」
 仲間同士と思っていたふたりの殺し合いを見て、チーム間に動揺が走った。それは、恐慌といっていい揺らぎだった。
 次は自分たちの番だろうか。それを避けるためにはどうすべきか。ヤクザたちの言いなりになるしかないのか? 逆らえば彼らのように始末されてしまうのか?
 その時に、ひとりの男が――ジャキという男が、立ち上がったのだ。
 ジャキは、ヴィレンのチームのリーダーだった。浮足立つ他のチームのリーダーをひとりひとり回り、ヤクザの排除を説いた。もちろん、抵抗や反発、恐怖からくる萎縮もあった。けれどジャキは、短い期間で彼らを説得し、バラバラだったチームを一時的に統合した。
 そのリーダーシップは強烈だった。
 街のすべての少年たちが、ジャキの指導のもとに結束した。そしてジャキのプランのもと、幾人かの犠牲を出しながらも、ついにヤクザを排除したのだ。
 幸いだったのは、まだヤクザたちの足場が完全には固まっていなかったこと、影響力も決定的なものにはなっていなかったこと、だろう。ともあれヤクザは、突然団結した少年団に驚き、一旦、退いたのだ。
 が、ジャキのすごさは、むしろヤクザが一度消えてからのことにあった。
 ジャキは、連中が一時退却しても、必ず再びやってくるだろうことを知っていた。そして、各チームのリーダーに、指針を与えた。
 ひとつに、チーム同士の抗争を今後はしないこと。抗争が起きれば、隙が生まれる。ヤクザたちは、必ずその隙を突いてくる。
 また、一度ヤクザを追い出した後で元のバラバラに戻ったチームが、再び統合されないようにすること。大きなひとつのチームは、確かに強い。かなりの相手に立ち向かえるようにもなる。けれどシステムが完成すると、むしろ弱くなる。
「なんで?」
 納得のゆかない顔で訊ねるリクに、ヴィレンが答える。
「簡単さ。システムは大きくなればなるほど、小回りが利かなくなる。そして、ええと……なんていうんだっけ、ひとりのリーダーに全部の力が集まるようになると……」
 リンゴーが口を挟む。
「中央集権体制、っていうんだ」
「ああ、そう。それになると、チームは簡単に乗っ取られてしまう。リーダーが代われば、その日からチームは性格が変わるだろう? 小さいチームをいくつも潰していくより、大きいチームひとつを吸い上げる方が、連中には手間がかからないんだ」
 リクが、ふぅん、と感心したような声をあげた。
「それだけじゃない、もっと大きなことをジャキくんは見ていたんだろうねえ」
 これはリンゴーだ。
 ヴィレンが頷く。リンゴーが後を継ぐ。
「チームが大きくなれば、自然、表側の連中も……“まとも”を自認するひとたちも、チームの脅威を感じるようになるだろう? 目立ち過ぎは、よくない。潰しにかかってくる者が、必ず、現れる。そうしたらチームは、表裏、両方から圧迫されるようになるんだ。でも、小さければ見過ごしてもらえる。そうやってジャキくんは、ヴィレンたちみたいな立場の者が、とにかく生きてゆける隙間を確保しようとしたんだね」
「そういうことです。それでジャキは、チームの規模の上限を決めました。そして、その他のいろいろなこと――侵入者や、カモっていい相手と悪い相手の見分け方、チームの中での協力態勢のことなんかも、細かく組み立てたんです」
 リクが「あっ」と声を出した。リンゴーがそれに頷く。
「そういうことなんだよ、リク。そうしてジャキくんは、今に至るすべての準備を整えたってわけさ。そしてヴィレンは、その薫陶を受けた最後の世代、ってことになるわけだ」
 ヴィレンが再び頷いた。
「でも……だけど、さ」
 リクが問う。
「そんなすごいひとが、なんで今はいないわけ? だって十二年前でしょ? もしその頃にはもうヴィレンと同じくらいの齢だったとしても、今なら、まだ現役でいてもいいじゃん」
 リンゴーがちらりとヴィレンの顔を窺った。ヴィレンはその視線に気づいたのか気づかないのか、「うん……」と小さく呟いた後、ぼそりと言った。
「死んじゃったから」
「え?」
「死んじゃったんだよ。また押し寄せてきたヤクザたちとの抗争で、ね」
 ジャキ自身が読んだ通り、ものの一年をおかずにヤクザたちは再びやってきた。今度は懐柔策など採らず、最初から力押しで攻めてきたのだ。
 けれど、その時には少年たちのチームは、すっかり強くなっていた。自衛の手段を知り、隙を見つけては逆襲した。少年たちには、なにしろ地の利がある。KTをうまく使って連絡を取りあい、ヤクザたちの行動を逐次封じていった。
「けれど、さすがに向こうは“本職”だからね。最後には、ヒートレイやら爆薬の類まで持ち込んで、街そのものを荒らし始めたんだ。それで……」
 ジャキは、ヤクザたちのリーダーを挑発し、リーダー自身にヒートレイの引き金を引かせて、ジャキを殺させた――ICの前で。
「それだけの証拠があっちゃ、司法局だってさすがに見過ごしはしない。大がかりな手入れがあって、ヤクザたちは完全に撤退せざるを得なくなった。それだけのことがあって、今に繋がる安定がもたらされたんだ」
 けれど、その時の混乱の責任は、ヤクザが撤退した後、ヴィレンたちが負わされた。
 確かにヴィレンたちは、ヤクザを街から追い出した。けれど、それまでの間に、世間のまともな人々がくらった影響も、半端なものではなかったのだ。それは恐怖の記憶となって、街の人々の間に、残った。
 もしいつか再びヤクザたちが訪れた時、ヴィレンたちと関係があることが知れたら――そしてヤクザたちが実権を握ったら、きっと誰も容赦してはもらえないだろう。
 関係をとり結ぶだけで確実に将来の災いになる者、それがヴィレンたちなのだ。

(続く)