かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#2-09】

(承前)

 それは、かなり遠大な計画だったのかもしれない。
 十二年前の、予想外の敗退。その後のエリアの、つけいる隙のない体制。ヤクザにとってそれは、かなり看板に響く失態だった。
 もちろん、当時の方面担当者たちには、厳重な罰が与えられた。彼らの世界では伝統ともいえる屈辱の引責処分、“縁故詰め”が乱発され、いくつもの小指の先があっちの幹部へこっちの幹部へと飛び交った。中には腕一本まるごとを詰めた上、組織から放逐された者もあったらしい。
 けれど、たかが毒虫少年団風情にまんまとしてやられ、街の裏の覇権を得るどころか、未だ手も出せずにいるという話は、人々の口から口へと伝わっていった。
 それはしばしば、すでに地盤を固めていたエリアにも届き、新たな軋轢の種にもなった。少年団の抵抗とその成就は被支配者たちを刺激し、ヤクザへの抵抗、反抗を誘発したのだ。
 同業者たちからの蔑視も、彼らを苛立たせた。たかがひとつのエリアをしくじったために、同業者同士で顔を寄せる時、手ひどい皮肉や嘲弄が、必ず彼らに浴びせられるようになった。
 いつの間にかこのエリアの奪取は、彼らにとって必ず、そして確実に果たさなければならない責務となっていった。そしてそれは、とにかく急がれなければならない責務でもあった。あの時、敗退した時の直系が残っているうちでなければ、意趣返しにならないからだ。
「彼らは、フジマ連合っていうんだ。もう何百年の歴史がある、古株のヤクザ組織だ。人間がまだ地球の上だけで生活してた頃からの、筋金入りってところだね」
 リンゴーが言う。あるいはリンゴーは、その頃から彼らを知っているのかもしれない。
「フジマ連合が、組織の威信をかけて、リクたちのエリアへの再アプローチを始めたのは、もう七〜八年は前のことになるらしい。だが、やつらもさすがに今度はしくじれないからね。まずはじっくりと、様子見から始めた」
 エリアのあり方はどうなっているか。少年団の数は、規模は。その構成員は。リーダーは。そしてその後継者は。
 やがて彼らは、状況を把握した。
 あの時、フジマ連合の進出を決定的に押さえた者がいた。彼自身は、フジマの排除と引き換えに命を落としたが、その時に彼の遺志をしっかりと引き継いだ男があった。
 その男は今、当時からある少年団を影でまとめる、リーダーの中のリーダーになっている。
 まずは、その男から突き崩さなければならない。
 その男は、あの当時でまだ十歳かそこらの少年だった。けれどその少年には、彼――ジャキの遺志を継がなければならない事情があった。
 なぜならジャキは、少年の身代わりになって死んだのだから。
「え?」
 リクが声を出した時、ヴィレンの肩がびくっと震えた。
「リンゴー……それって……」
 リンゴーは答えず、ただ話し続ける。
 かつてのフジマ対少年団の戦いが、今回と同じような膠着状態に陥った時、先を焦ったフジマの幹部は、ジャキが可愛がっていた弟分を人質に取ったのだ。
 が、ジャキもさすがに一筋縄ではいかない男だった。フジマの裏をかき、少年を奪い返して逃走する。それでもフジマの機動力からは逃げきれなかった。そして彼が採った最後の手段が、幹部を挑発し、幹部自身の手に武器をもたせて、ICの前で殺されること、だった。
 手回しよくKTで呼んであったC.O.P.が、ジャキが殺された直後に現れ、その場にいたフジマの組員たちを一網打尽にした。少年は保護され、やがて街に戻された――。
「フジマのやつらは、その少年……いや、今は立派な青年になってるわけだけれど、その青年を堕とせば意趣返しは立ち、エリアの奪取も楽になると考えたんだね。
 そして、その青年が……いや、ヴィレンが、転ぶように罠を仕掛けたんだよ」
 ヴィレンは相変わらず、ただ俯いて黙り込んでいる。
「そう、罠だ。直接にヴィレンを攻めても駄目だと思ったんだろうね。ま、それは確かに正しい読みではある。ヴィレンは、しっかりした責任感のある男だから。そこでやつらは、ヴィレン自身より、ヴィレンの周囲から攻めた。まずは、恋人に手を出した……」
「エイミに!?」
「いや……そこはちょっと違います」
 リンゴーが、ん? と振り返る。ヴィレンは俯いたまま、ぼそりと言った。
「エイミは、俺の恋人じゃありません」
「え? そうなの?」
 リクとリンゴーが異口同音に訊ね返した。
「チームのメンバーの手前、そういうことにしておきましたけどね。そうでも言っておかなきゃ、誰が無礼をはたらくかわからないから。
 ……彼女は、俺が手を出していい相手じゃ、ないんですよ」
「じゃ……エイミって……」
「ジャキの、妹です。エイミは、俺を助けて死んだひとの、妹でした」
 リンゴーが目をまん丸く見開いた。
「そりゃあ……まいった。それは全然、わからなかったよ。っていうより、想像の外だったなあ。いやはや、本当に驚いた」
 リクは黙ったままだったが、気持ちはリンゴーとまったく同じだった。
 まさか、ヴィレンとエイミの間に、男女の関わりがなかっただなんて……。
(ああ、でも)
 言われてみれば、思い当たる節もないことはない。
 エイミとヴィレンは、確かに恋人同士という雰囲気ではなかったではないか。リクはそれを、ふたりのつきあい方なのだと思っていたが、けれど、実際はそうではなかったのだ。
 リクがそうであるように、ヴィレンもまた、エイミに畏敬の念を抱いていたのだ。
 自分の身代わりになり、命を懸けてみんなの生きる場所を守った男ジャキ。そのジャキへの畏敬が、そのままエイミに映し込まれていたのだ――。
 いや、待て。でもエイミは、エイミの気持ちはどうだったんだ?
(……いや。そんなこと考えてる場合じゃない、今は)
 リクは、まだ呆気に取られているリンゴーを真っ直ぐに見て、続きを早く、と目で促した。
 リンゴーは気づき、咳払いをひとつ、した。
「……ああ、そうか。そうだね。ま、恋人じゃなかったとしても、話はそう変わらないかもしれないな。いや、その方がよほど、話の流れが自然になるかもしれない」
 フジマ連合は、エイミになにをしたのか。
 薬の味、を覚えさせたのだ。
「!?」
 ひどい衝撃に、リクは、全身の肌が裏表になったようなざわつきを感じた。
 驚いたり怯えたりした時、ひとには鳥肌がたつ。それを、何倍にも膨らませたような感覚だった。全身の神経が一瞬剥き出しになり、そしてまた一瞬で皮膚の奥に潜り込んだような感覚。激しい嫌悪感が、体を一気に駆け抜けてゆく感覚。
 薬――麻薬の味を、エイミに覚えさせた、だって!?
 ヴィレンが普段から禁じていた、薬。以前は、なぜそれほどに薬を毛嫌いするのかが、リクにはわからなかった。けれど今は、わかっている。薬がどうひとを破壊するか――あの混沌の“遺書”を見た時、どんな理屈よりその恐ろしさが伝わってきた。
 それに、薬はヤクザの専売品といっていい。そういうものに自分の仲間が壊されたり、またヤクザのいい稼ぎの種にされたりしては、ジャキに顔向けできない。ヴィレンはきっと、いつもそう思って、仲間に薬を禁じていたのだ。
 なのに、よりによってエイミが、そんなものに冒されていたなんて――。
「やつらは巧妙にエイミに近づいたんだね。ヴィレンの目を盗み、チームの子たちも欺いて。どうやら、ここ半年ばかりの間のことらしい。ヴィレンはそれに、いつ頃気づいたの?」
「……一か月ぐらい前、です。彼女は内腿に、浸透圧注射器で薬を打ってたんです。そんな場所だから、俺には気づくことができなかった……」
「内腿、か。けっこうキツいやり方だね。大腿静脈から心臓経由で全身に直行だ。初回通過効果もないわけだから、相当にキくはずだよ」
「……あの時、俺が気づいた時、エイミはすっかり薬に酔ってて。薬を打った時の姿、下半身素っ裸の姿のまま、ベッドに転がって飛んでました。
 俺が部屋に入ったのにも気づかず、ただ虚ろな目で天井を眺めて、だらしなく脚を開いていて……丸見えの内腿の肌に、土気色のカサブタが……もう何回、いや何百回と注射を繰り返した跡が、できていて。
 もし俺が、エイミの本当の恋人だったら、気づかないはずはなかったのに……」
 俯いたまま、自分自身を詰るように言うヴィレンの、両手がきつく握りしめられている。腕が、いや肩までがぶるぶると震えて、拳に込められた力の大きさをはっきり物語っている。
「リク、わかったかい? ヴィレンがヤクザに白旗を揚げなきゃならなかった理由が。俺を撃たなきゃならなかった理由が。
 薬にハマッたエイミのためには、薬の供給者であるヤクザと――フジマ連合と、縁を切るわけにはいかなかったんだよ」
 リクは無言で頷いた。
 リクにはまた、この何日にも渡って、ヴィレンが必死ではたらいてきた理由もわかった。
 それがヴィレンの、けじめのつけ方だったのだ。自分自身がヤクザを追い出すことで、エイミにも、その兄にも、けじめを見せようとしていたのだ。
 それにしても、ヤクザども……
(なんて汚いやり方をする!)
 さっき胸の奥で膨れたどす黒いものが、一時は治まっていた荒々しい衝動が、再び、大きくなってゆく。心臓の鼓動に合わせ、血に溶けて、全身に拡がってゆく。
 ただじゃ、おかねえ。
 そんな気持ちが、ぐいぐいと固まってゆく。
 リンゴーは、リクのそんな様子に気づいているのかいないのか、話を淡々と進めた。

(続く)