かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#2-10】

(承前)

「そして、エイミがリクに相談した理由。これもそこから繋がっているんだ。……いい? よく聞いて。リクは、ヴィレンのお眼鏡に適っていたんだ。この先、チームのリーダーになるのは、リクのはずだったんだよ」
「なんだってぇ!?」
 思わず大声を出してしまったリクに、リンゴーが唇へ指先を当てる仕種で静寂を促した。
「あ……ああ。うん。でも、そんなの俺、全然知らないよ。聞いたこともないぜ?」
「そりゃそうだよ。それはまだこれから、何年かかけて進めようとしてたことなんだから。そうだね、ヴィレン?」
 ヴィレンが「ええ」と答える。
「……でも、なんだって俺なんだよ」
 リンゴーはヴィレンを見た。少しの間その視線に気づかなかったヴィレンは、リンゴーの咳払いに「ああ……はい」と答え、沈んだ声でぼそぼそと言った。
「……リクは、逸材なんだ。まず第一に、頭の回転が早い。さとい、っていうのかな。経験が足りないから、実際にはまだまだこれから、ってとこではあるけどね。鍛えれば必ず、モノになるはずなんだ。
 それに、ひとを惹きつけるなにかがある。ひとを従わせるんじゃなく、ひとに従うことを選ばせるもの、をもってる。最初に見た時から、それは感じてた。
 俺なんかよりずっと、リーダーには相応しい器だと思った……思ってるんだ、今も」
 リクが慌てて言葉を遮る。
「……ちょっと待ってくれよヴィレン。わけわかんねえよ。俺わかんねえよ全然」
 リンゴーは手を前に突き出して、「まあまあ」と言いながらリクを制した。リクは、でも、と言いかけてやめ、困ったような顔でヴィレンを見た。ヴィレンは相変わらず俯いたまま、ぼそぼそと続ける。
「そして、これが一番重要なことなんだけれども……リクは、最初からわかっていた。ひとにとってなにが大事で、なにが大事じゃないのか、を。
 たとえ頭が切れたとしても、魅力のない人間、ひとにとってなにが大事かがわからない人間は、リーダーには向かない……なれない。なっちゃいけない。でもリクは、そういうことを、全部満たしていた。跡を継がせるのはリクしかいない、って俺は思ったんだ」
 リクは呆然として、呟いた。
「……マジかよ」
 リンゴーがゆっくりと、けれどはっきりと頷いた。
「ヴィレンの目は正しい。俺もそう思うからね」
莫迦いうなよ。ろくに学校にも行ってねえ俺が、十歳の頃に家を飛びだした俺が、なんだってそんな……」
「ねえリク。ひとの出来不出来ってのは、学校に行く行かないなんぞで決まるもんじゃ、ないんだよ。それに、これはヴィレンが言わなかったことだが……リクは、ひとの痛みがわかる人間だ。今だってリクは、ヴィレンの心の痛みを、ちゃんと感じてるだろう? それだけじゃない。今リクは怒ってる。そうだね?」
「……俺が怒ってる、だって?」
 怒り――もしかしたら、このどす黒い気分のこと、なのか?
 いや、待て……そうだ。そうに違いない。
 リクはやっと納得した。この強烈な衝動は、怒りだったのだ。それも、今までに一度も覚えたことがないような怒り。あまりの烈しさに、自分でもそうと気づけないほどの怒り……。
「そういう気持ちを抱けるということ。これがまた、上に立つものには必要なんだよ。もっとも、それに呑まれるようだと、これまた失格なんだけどね。でも今、リクは爆発せずにいる。我慢のしどころがわかってるんだ。その辺もヴィレンは、よく観察していたんだね」
 リンゴーは言う。でも……
「信じられねえ。俺がそんなウツワだなんて、信じられねえよ」
「信じてほしいな、リク。俺もキミがとても気に入ったんだからね。俺もヴィレンと同じように、キミが信じられる人間だと思ったんだよ。自分を費やすだけの価値がある人間だ、とね。
 それとも、俺の言うことじゃ信じられない、っていうのかい?」
 リクには、どう反応していいものやら、わからなかった。だいたい、この突然のおべんちゃら大会(としか思えない)に、いったいどういう顔をして見せればいいというのだ。
「……ま、そんな具合で、ヴィレンはもうずいぶん前から、リクを後継者にしようと決めてたってわけさ。もちろんそれは、エイミにも何度となく話していた。なにしろ恋人……じゃないのか、けれど、一緒には暮らしていたわけだからね」
 そしてそれが、エイミを通して、フジマ連合の知るところにもなったのだ。
 エイミは薬に溺れている。だから、薬をくれてやると言われれば、ヴィレンたちの内情を、いけないとは思いつつも明かしてしまう。
「そして連中は、一石二鳥、いや三鳥の手を考えたわけさ。エイミを通じてリクに、ヴィレンの行動をリークさせるんだ。これがエイミが、リクに相談した理由、だったんだ」
 うまく進めば、ヴィレンとリクの間にある信頼関係は木っ端微塵。リクを通じてチーム内にヴィレンとヤクザの関係が広まれば、チームは解体。さらに、今も裏ではこっそり通じあっている古株十七チームの結束も、終わりだろう。
「……俺は、ダシか」
 リクはやり切れない気分になった。じゃあ、自分があれだけ張り切ったり悩んだりしたのは、なんだったんだ。
 リクの気持ちを見抜いて、リンゴーがとりなした。
「まあ、そう不貞腐れなさんな。いや、もしヤクザが指示したのでなかったとしても、エイミはリクに相談してたかもしれないんだしね。順序や理由は錯綜しているけれど、きっと結果は同じになったんじゃないかな。
 ところが、そこに計算外の異分子が現れたんだね。つまり、俺のことだけれど。
 俺は、やつらが考えていたよりもずっと早く、事態の全容を把握して、行動を興してしまった。もっと時間をかけたかったやつらとしては、大誤算ってところだろう。
 ……そして、そこから先は、リクもずっといっしょに見てきた通りになるわけだ」
 語り終えてリンゴーが、唇を固く結んだ。表情に、次第に厳しさが戻ってくる。
「なるほどね……」
 リクは腕を組み、頷いた。
「今に至る事情ってのが、よくわかったよ。そういえばヴィレンはここんとこ、毎日、家に戻ってたね。俺はあれを、エイミに会って、やる気を膨らませてるんだと思ってた。でも、それは違ってたんだね」
 リンゴーは、うん、と頷いた。
「ヴィレンは本当にエイミが心配だったんだろうね。なにしろヤクザと全面対決することになったからには、金輪際薬は手に入らないわけだからね。
 禁断症状って、知ってるかい? かなりキツいもんなんだよ。
 エイミも最初はきっと、ヴィレンやリクといっしょに戦う決意はしたんだろう。けれど薬が切れれば、次第に我を失ってくる。そんなエイミが心配で、ちょいちょい様子を見に行かな きゃいられなかったってことだ。そうだね、ヴィレン?」
 ヴィレンは背を丸めたまま、こっくりと頷いた。
「……本当に……どうしたらいいかわからなくて。急にやつれて、目が虚ろになって、時々は暴れて。本当はそんなことしたくなかったんだけど、部屋のベッドに括りつけて。そのまま じゃトイレにも行けないから、こまめに戻っては世話をして……」
 リンゴーがリクを見る。
「そういうことだよ。そしてフジマ連合の連中は、十二年前と同じように、人質をとることにしたってわけだ。今のエイミの状態ならそれは、子供を攫うより簡単なことだったろう」
 ヴィレンが再び嗚咽を漏らし始める。
 ただエイミを奪われた悔しさや不甲斐なさ、悲しさだけではないのだ。十二年前のジャキへの義理も立たない。助けてもらった恩返しをするどころか、逆に、最悪にも近いことになってしまった。自責の念は、よほど強烈なのに違いない。
「……と、これでだいたい全部だね。となると、するべきこともわかったよね?」
 リンゴーが言う。リクはリンゴーをじっと見た。リンゴーが頷き返してくれる。
 リクは立ち上がり、言った。
「まずはエイミを取り返す。そしてフジマ連合を叩き潰す!」
 リンゴーも立ち上がった。
「そういうことだね……ヴィレン、ヴィレン? 泣いてる場合じゃないよ」
 ヴィレンが座ったまま、顔だけをあげる。リンゴーが言う。
「放っといたら、言葉通りに取り返しのつかないことになるだろうからね。こっちから攻めよう。急がなきゃならない。わかるね?」
 ヴィレンはリンゴーを見上げた。目には相変わらず、すがる色が滲んでいる。
「でも……」
 ヴィレンが言った。
「攻めるったって、なにをどうすればいいんです? もうとっくに、取り返しはつかないんじゃないですか? やつらは本気なんです。俺はどうにかなると思った、どうにかできると思った。だけど無理だった。俺にはもう、なにもできることはない。できそうもない……」
 リンゴーは黙って、ただじっとヴィレンを見ている。ヴィレンはその視線を避け、横を向いて、吐き捨てるように言った。
「いっそヤクザの言いなりになった方が、ずっといいのかもしれない。やつらは組織で、出向いてきたやつを潰しても、必ずまたやってくる。今もし十二年前みたいにやつらを追い返しても、将来、きっとやつらはまたやってくる。
 ……もう、なにもしない方がいいのかもしれない。それが一番、安全なのかもしれない」
「ヴィレン!」
 リクが大声を出した。
「らしくねえよ、ヴィレン! そんなの、あんたらしくねえ! あんたは俺の、いや、俺たちのリーダーじゃねえか!
 今だって、ここに集まってる連中も、街に出てる連中も、みんなあんたのこと信じてるんだぜ。信じて、気合い入れてんだぜ。なのにそんなこと言うか? らしくねえ、全ッ然らしくねえよヴィレン!」
 その勢いにヴィレンは圧倒され、びくっと体を竦ませた。竦ませながらも、言う。
「でもよリク。やべえんだよ、もう。……エイミは……エイミはもう、相当にヤバくて……。それに、前の時はジャキが命を懸けたからどうにかなった、でも今回は……」
「ねえヴィレン」
 リンゴーが、ヴィレンの肩に手を置き、言った。
「やつらは――ヤクザどもは、腐っている。もしかすると、この街のお偉いさんも、ヴィレンたちを厄介者扱いする世間の皆さんってのも、腐ってるのかもしれないね」
 ヴィレンが顔をあげた。
「けれど、そんな腐った場所に住んでるからって、キミまでが腐ることはあるまい?」
 リンゴーは笑っている。含みのない笑顔だ。けれどヴィレンは、その笑顔を見て、怯えたような色を目に浮かべた。
「……なぜ……どうして……」
 喉の奥から絞り出すような声でヴィレンが言った。
「リンゴーさん、どうして俺にそんな顔を見せられるんですか? 俺はあんたを撃ったんですよ! あの時……あの時俺は、本当にあんたを殺すつもりだったんだ。本当に……」
 リンゴーはじっとヴィレンを見ている。ヴィレンはその視線に耐えられず、横を向いて言葉を続けた。
「あのヤクザの言ったこと、地区のボスにするって言葉が、本気だったとは思えない。思えないけれど、もしかしたら……もしかしたら、って思った。ボスになれなくとも、少しは上に立てるかもしれない。そうすれば、エイミを助けられる。俺はそう思ったんだ。
 そう、俺にはリンゴーさんよりエイミが大事だった。エイミのためなら、あんたを殺せると思った。いや実際に……殺した。俺はあの時、心臓を狙ったんだ。ちゃんと、この目で、この手で! なのに、どうしてあんたは……」
 リンゴーは笑顔のままで言った。
「俺はこの通り、生きてるよ」
「でも! それは偶然で! リンゴーさんが普通の相手だったら、今頃は……」
「ねえヴィレン」
 リンゴーはしゃがみ込み、ヴィレンの目を下から覗き上げた。
「確かにそれはそうなんだ。ヴィレンが人殺しにならずに済んだのは、運がよかっただけのことなのかもしれない。
 けれどね、俺は今、ちゃんと生きてるだろう? そして俺は、知ってるんだ。ヴィレンがなぜそんな選択をしなきゃならなかったか、その理由をね。
 俺も確かに痛い思いをした、でもそれは大したことでもない。少なくともあの時、俺とエイミを秤にかけて決断を下したヴィレンの方が、俺よりずっと、ずっとつらい思いを味わったはずだよねえ」
 リンゴーの目をじっと見るヴィレンの目に、また涙が浮かぶ。リンゴーはゆっくりと立ち上がりながら、言った。
「過ぎたことに、“かもしれなかった”なんて理屈をつける必要はないんだ。それに今は、やるべきことってのが目の前にある。なにを優先すべきかは、考えるまでもないんじゃないかな?」
 リクが頷いて後を継ぐ。
「そうだよヴィレン! 今! 今、だよ! 前のことなんかどうでもいいじゃん。これからすることが正しければ、それで帳消しになるって! そして今が、それをする時なんだ!」
 わずかな沈黙が流れる。リクはごくりと唾を呑み込み、ヴィレンを見つめた。
「……ああ」
 ヴィレンは視線を揺らし、けれど確かに頬に笑みを浮かべた。
「そうだな。その通りかもしれない。リクは正しい。俺が見込んだだけのことはある……」
 うん、と頷き、ヴィレンが、ゆっくりと、立ち上がった。そして、呟いた。
「最低のどん底に落っこちた気分なんだ。けれど考えてみりゃ、本当にどん底なら、これ以上は落ちないな。あとは這い上がるだけだ」
 リンゴーが頷く。
「そうそう、それでいい。大丈夫、俺たちは負けない。きっとやつらを叩きのめせる」
 ヴィレンがリンゴーを真っ直ぐに見た。その目に、すがるような色は、もう、ない。
「本当ですか?」
 リンゴーは、ヴィレンの腰をぽんぽんと叩いて、答えた。
「ああ、本当だとも。……ヴィレン、キミは、夢の見方ってのを知らないのかい?」
 突拍子もない問い掛けに、ヴィレンはもちろん、リクも「?」という顔になった。
「簡単なんだ。見たい夢をもてばいいのさ。そうすれば誰でも、いい夢が見られる」
 言って、リンゴーはにーっと笑った。
「いい夢、見に行こう。見られるように、しに行こう。つらい夢は、もう終わりだ。俺はそう決めたんだよ。わかるね?」
 そしてリンゴーはくるりと身を翻し、出口へ歩み寄って、そのドアを開いた。

(続く)