【Ringo the Wight/#3-07】
(承前)
街を歩く者たちの姿は、さまざまだ。ある者はいかにもオフィスワーカー風だし、ある者は作業着姿だったりする。ほとんどはせっせと歩くか、忙しげに何かの作業をしている。
(TTAは本来、どこもこんな風なのかな)
リクは妙な気持ちの昂りを感じながら、歩き続けた。
リクの記憶に残っているTTAブロックは、気車の駅周辺と、そこから盲滅法に歩いたブロックの外れ、ヴィレンと出会った辺りだけなのだ。
駅の周辺が賑々しいのは当たり前のことだが、その繁栄ぶりというものは必ず猥雑だ。そこで感じられるものは、活気というよりも、無秩序な熱気に近い。
それに比べ、今歩いているこの場所は、蒸留されたように濁りのない活気で満たされている。駅のある中央に近いとはいえ、その喧騒から少しは距離をおいているせいかもしれない。
どうあれそれは、リクが初めて触れたといっていいものだった。
リクが生まれ育ったTTRブロックは、TTエリアの開発の後期、第五期頃になってようやく立ち上がった地区だったし、今の住処のTTIブロックにしても、開発第三期頃に生まれた地区だ。その頃ともなると、人々の“新しい街”への意欲もかなり弱まっている。自然、最初から半ばあきらめているような者ばかりが集まりがちになる。
比べて、どのエリアであれ、開発第一期に造成されるAブロックは、一旗あげようという意欲の持ち主や、大望成って二、三本の旗を立てた連中が寄りつく場所になる。それは交通や流通の中枢が集まるせいでもあるし、そこがAブロックであるということ、それ自体がステイタスになるからでもある。自然、街自体が孕む活気も、萎えることがない。
リクは、そんな街の様子に圧倒されながら、ところどころに気になる姿も見つけていた。
年齢もいでたちも印象もバラバラな通行人たちの中に、ちらほらと、いかにも浮いている影がある。浮いているのは、見るからに崩れた風体のせいでもあるが、他の者たちがそれぞれの役目を追う緊迫感を備えているのに比べ、これといってするべきこともなさそうにたむろしている風情が、他の者たちとはっきり異なっていたのだ。
(……あれはヤクザだな)
リクはちらちらと、そういった連中を偵いながら進んだ。
あるいはリクたちを監視しているのかもしれない。いや、リクたちに限ったことではなく、本拠地に近い場所に現れる異分子をチェックする役割を担っているのかもしれない。いずれにしても、それ以外のまともな仕事は任せられない下っ端たちだろう。
と、そういった連中のうちのふたりが、ふらふらと歩いてきてリンゴーの前に立った。
リンゴーはいつも通り、しゃかしゃかと歩いている。そして、以前リクたちにしたように、ぶつかる直前でくにゃりと進路を曲げ、通り過ぎようとした。
と、そのふたりのうちひとりが、リンゴーの肩をぐいっと掴んだ。
リンゴーはそれでも、まるで歩調を落とさず、前へ進んだ。肩を掴んだ男は引きずられ、バランスを崩してよろめいた。
「おっとっと……おい。おい!」
転びかけて、男がリンゴーを呼び止めた。
リンゴーが、ぴたり、と足を止める。
「兄ちゃん、ずいぶん急いでるみたいじゃあないか。でもなあ、人が挨拶しようとしてるのに、そういう素っ気ねえ態度はどんなもんかね」
じゃき、と音がしそうな勢いでリンゴーが振り向き、見るからに愚かしそうなその男を睨んだ。その目が含む勢いに一瞬圧倒されたか、男は「う」と呻いて、言葉を呑み込む。その表情を確かめてからリンゴーは、にーっと笑った。
その笑みには、得体の知れない不気味さがあった。立ち止まって後ろから見ていたリクさえ、ゾクリと背中に響くなにかを感じて、わずかによろめいてしまったほどだ。
その笑顔のまま、リンゴーが言い放った。
「いよう、三下! 知恵足らずらしく、能天気にご機嫌なこったな。だが、今って時にこんなところでぶらぶらしてるようじゃ、お前、死んでも出世は望めねえぜ」
その台詞に、その声に、ナイフの刃にも似た危険な感触がある。そのどす黒い迫力に、引き止めようとした男は、ただ絶句していた。
「今頃、使えるやつらは忙しくなってるはずだ。とりあえずKTでもチェックしてみな。なにか面白いことが出てるかもしれんぜ」
「……な……な、なんだと!?」
怯んだ自分の醜態をようやく悟ったか、男はやっと反駁の恫喝を返した。が、リンゴーは気にするでもなく、下からすくいあげるように腕を繰り出し、男の襟首を掴んだ。
「う、う、う……」
男が唸る。リンゴーが男をぐいぐい持ち上げ始めたのだ。男の踵が浮いて爪先立ちになり、その爪先さえ地面から離れてしまう。男の身体が、少しずつだが確実に浮きあがってゆく。
リンゴーは笑顔のままだ。体を揺らしもしない。けれど男の体は、もうすっかり宙に吊られていた。それは、リンゴーのあの細い体のどこにそんな力があるのかと思えるほど、機械じみて滑らかな作業だった。
リンゴーが、持ち上げた男の顔を、首を突き出して覗き込み、ぼそりと言った。
「ボスに伝えろ。客だとな」
言うなりパッと手を離す。落ちた男は、その場に尻餅をついた。けほけほと、乾いた咳が喉から弾け出る。どうすべきか判断がつかずに少し離れた場所でただ身構えていた男の連れが、慌てて引き起こしにかかる。
「さあ、行け。……行けってんだよ三下!」
リンゴーの罵声に、ふたりはびくっと身を震わせ、一目散に走り出した。
行き先はもちろん、あのビル――TTA08ビルだ。
リクたち四人は、ただ呆気にとられていた。初めて見るリンゴーの恫喝だった。TTB13倉庫でのやり合いを見ていたリクとヴィレンでさえ、攻めに出たリンゴーの姿を見たのはこれが初めてだ。
(……怖ぇ……)
今さらながらにリクは、ぞっとしていた。
ぞっとしながらも“これだ!”という実感を得て、震えがくるほどの嬉しさを覚えていた。
そう、これだ。初めて会った時に感じた凄さは、これだった。あの時のリンゴーは、それをことさらに出したわけではなかった。けれど、その気になれば――出す方向を意識して整えさえすれば、これだけのパワーになる。そのパワーの影に、あの時は圧倒されたのだ。
……が。
「こんなもんでどうかな?」
当のリンゴーがへかっと笑い、リクたちを振り返った。その顔には、今し方の力は微塵もない。まるで普段のリンゴーだ。
クラークが目を大きく見開いて訊ねる。
「……どうかな、って、なにがだ」
「いやね、これからヤクザの幹部クラスにご対面するわけでしょう。これぐらいの迫力を出せれば、話し合いも具合よく進むんじゃないかなあ、と」
言ってリンゴーは、けろりとしている。クラークが呆れたといわんばかりの調子で訊き返す。
「話し合い、なのか? そんなもんで片づく予定なのか?」
「できればね」
リンゴーは答えると「じゃ、行きましょ」と軽く言い、再びビルの方へと歩き始めた。
(続く)