かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#3-08】

(承前)

 ものの数分とかからず、五人はビルの入口の目の前にまで迫っていた。
“下”のものとも思えない、立派な入口だ。
 道路とは、幅が三十mはありそうな階段で隔てられている。その段の数は、二十もあるだろうか。そしてその向こうには、何枚ものガラスの扉が並ぶ。入口全体の幅は、十数mほどにもなりそうだ。
 あの二人組が駆け込んでから、見る間にヤクザらしい人影がばらばらと出てきて、その入口を固めてしまった。その数、ざっと十数人。どの扉からも勝手には入れないよう、ずらりと並んでいる。
 いかにも安っぽかった最初の二人組に比べて、後から出てきた人影は、どれも相応の身なりと態度を備えていた。TTB13ビルで見た格上ヤクザよりは明らかに下に感じられるが、それでも身にまとわりつかせた闇の雰囲気は、相応の力を伴っている。
 リクは思わず、ヴィレンに駆け寄って訊いた。
「どうすんの、これ」
「いざとなったら、蹴散らすしかないんだろうな。でも、しかし……」
 ヴィレンもだいぶ戸惑っているようだ。
 けれどリンゴーは一向に気にもせず、どんどん入口へと歩いて行く。
 リンゴーたちが階段を上りきって立ち止まると、ヤクザたちの中からひとり、一際濃い闇をまとわりつかせた男が、歩み出てきた。
 崩れた雰囲気はない。服装も動作もかっちりとしている。けれどそれがむしろ、恐ろしい。
 男は真っ直ぐリンゴーに近づいた。
 齢の頃、四十歳手前ぐらいといったところか。黒い髪を短めに刈り、ていねいに油で固めている。だいぶ離れたリクの鼻にまで、ふわり、と爽やかな香りが届く。よほど高価な整髪料を使っているのだろう。
 顔だちはのっぺりとしていた。目も眉も鼻も唇も、細いペンでさっくりと描いたように淡く、そこに表情らしい表情はない。けれど目つきは鋭く、不透明だ。人間のものというよりは爬虫類のそれに近い、体温を感じられない目だ。
 男はリンゴーの数歩手前で立ち止まり、言った。
「うちの若いのが何やら不始末を仕出かしたようで、失礼しました。お客様とのことですが」
 ぱっと見た姿に見合って、言葉遣いもていねいだ。だが、そのていねいさに毒がある。
(こいつ……本当のホンモノだ)
 リクは肌が粟立つのを覚えていた。何歩もの距離を置いているのに、まるでその男の全身から冷気が放たれているような感じがする。
 けれどリンゴーは、相変わらず平然としていた。
「いや、大した不始末もしていないよ。ただ、あまり賢い連中とも思えなかったねえ。ああいうの飼ってると、組の看板にも響くんじゃないかな」
「これはどうも、ご鞭撻いたみいります」
「で、客っていうのとも少々違うんだが、こちらのボスに用事があってね。取り次いでもらえるとありがたい」
「少々お待ちを。……ああ、御芳名を承りたいのですが」
「名前なんかいらないだろう? 十二年来の宿敵代表、ってやつさ。あんただって、それで充分にわかるはずだ」
 男は細い眉をわずかに動かすこともなく、一歩下がり礼をして退くと、ビルの中へと姿を消した。
(なんてやつら、なんだ……)
 リクはただ圧倒されていた。
 リンゴーも、相手も。
 言葉も態度も穏やかではあったが、今、リクは確かに見た。相手の放つ冷気を、リンゴーが同等かそれ以上の熱気で押し返すのを。ふたりは、互いに一歩も譲らずに押し合っていた。その場の空気が一瞬、ひび割れたようにさえ思えた。
 リクは知らない間に、体をブルッと震わせていた。
 と、肩をぽんと叩く者がある。びくりと振り返ったところに、クラークの顔があった。
 笑っている。
「大丈夫だよ、リク。あの世界にゃ普通、ついてはゆけん。が、あの世界の連中にしても、とどのつまりは同じ人間。ことさらに怯える必要はないのだ。……まあリンゴーは別だがな」
「あ……ああ。ありがとう、先生」
 クラークが、うむ、と頷く。
 リクはクラークを見上げて、このおっさんも、ずいぶん変だよなあ、と思っていた。
 あれだけのやりあいを見ながら、驚いてもいないようだ。その神経は、軍医として最前線に出ていたという経験の賜物、なのだろうか。
 とはいえ今の一言で、ずいぶんと落ちついた気がする。周りを見る余裕も出てきた。
 入口を固めたヤクザたちは、微動もせず、特にリンゴーたちを注視するでもなく、ただ静かに立っている。けれどおそらく、リンゴーたちが不審な動きを見せたなら、すぐにでも飛びかかってくるだろう。よく訓練された猟犬のような統制された危険さを、裡に秘めている。
 その他には、特にヤクザらしい姿は見えない。後ろを見ると、さっきまで道のそこかしこにいた下っ端たちが姿を消している。いつの間にいなくなったのだろう。みんなビルの中に戻ったのか? それにしては、視界の端にも連中の移動する姿は入らなかったけれど……。
「お待たせしました」
 声がして慌てて振り向くと、最前、ビルの中に戻っていた男の姿があった。相変わらず冷気を放っているが、そこにはさっきのような剥き出しのヤバさはない。
「若様がお会いしたいとのことです。私は案内役を仰せつかりましたイダと申します。よろしくお願いいたします」
「ああそう。よろしく」
「では皆さん、こちらへ……」
 イダと名乗った男が先に立って歩きだす。リンゴーは後ろを見もせずについて行く。リクたち四人は、慌てて後を追った。

「まったく、ふざけやがって!」
「あの野郎、いったいどこに……あ! あっちか!」
 見るからに安っぽいなりをした三下ヤクザふたりが、毒づきながらTTAブロックの外れを走っていた。ヤクザの本拠地からは、もうだいぶ離れた辺りだ。
 ふたりは辻の向こうに人影を見つけるなり、そちらへ全力疾走していった。もともとは本拠地の足元辺りにいたふたりだったが、あの人影を追っている間に、こんな場所まで来てしまったのだ。
「ここんとこしばらく姿を見ねえと思ったら、今頃ふらふらしてやがって」
「それだけじゃねえだろう。この一週間ばかり、仲間がどんどん司法局に引っ張られてるよな。あれ、実は奴らが売ったらしいぞ」
「本当かよ!?」
「さっきKTによ、ダイモンからの伝言が届いてたんだよ。そういうチクリがあったってよ」
「ますます許せねえ! 取っ捕まえてシメてやる!」
 ふたりはそして、細い路地に飛び込んだ。
 飛び込むなり、さっと顔色を変え、ざざっと足を滑らせて立ち止まった。
 毒虫色をした少年たちが十人以上、狭苦しい道にぎっしり詰まっている。
 その向こうに、ふたりが追いかけていた人影が立っていた。道は暗く、その表情までは読み取れない。
「な……な、なんだてめえら!」
「そこ退け! 退かねえと……退かねえと、タダじゃ済ませねえぞコラ……」
 言葉自体は脅しのものだったが、すでに口調に勢いはなかった。毒虫集団はじりじりと前進し、ふたりを圧倒する。
「くそ……」
「こいつら……」
 ふたりは後ずさりながら、互いの目を見た。
 罠だ。嵌められた。ここは逃げるのが得策だろう。裏切り者を見逃すのは口惜しいし、面目も立たないが、多勢に無勢ではどうしようもない。兄貴分には後でなんとか説明しよう、無碍にはされないだろう。
 ふたりはそして、頷きあうなり、くるりと身を翻した。が……。
「なにィ!?」
 異口同音に叫び、ふたりは凍りついた。
 いつの間にか背後にも毒虫集団が集まり、路地の出口を塞いでいたのだ。
 ふたりが追いかけていた人影が、毒虫少年の人垣の向こうから近づいてきて、言った。
「シメろ。だが殺すなよ。飛び道具と刃には十分気をつけろ」
 二十人近い毒虫少年団が、ふたりの三下ヤクザに一度に飛びかかった。三下はもはや呆然として手向かうこともせず、あっさりと手足を括られ、猿轡も噛まされて、道に転がされた。
 追われていた人影が命じる。
「KTを探せ……よし。じゃあ、そうだな、アドレス帳の……こいつだ、こいつに例の伝言を送りつけてやれ」
 言いながらその人影が、光の当たる場所にゆらりと姿を現した。
 すっきりした面立ち、ナイフを思わせる鋭い目つきと口許。
 ユーリーだった。
 ケイとともにヤクザの本拠地ビルまでの先導役を果たした、新興チームのリーダーだ。
「送信、終わりました」
 配下の毒虫少年が言う。ユーリーは頷き、受け取ったKTの送信記録を確かめてから、背後へぽいっと投げ捨てた。かしゃん、と情けない音を立てて、KTが砕ける。
「じゃ、そこらから見えないところへ捨てておけ。次、行くぞ」
 毒虫少年たちはそれぞれ頷くと、パッと散った。数人は残り、括りあげた三下たちを路地の奥のゴミ箱の陰へと引きずってゆく。
 ユーリーは再び明るい場所に身を晒し、ヤクザの本拠地がある方角を見て、呟いた。
「リンゴーさんよ、俺はしっかりやってるぜ。外のちんぴらは俺とケイにまかせておいてくれ。……だから、必ずエイミを取り返し、連中を叩きのめしてくれよ。信じてるからな」
 そして再び、中心街近くを目指して走りだした。

(続く)