かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#3-09】

(承前)

(ふえぇ……)
 ビルの中に入り、リクは呆然とした。
 広い。まるで駅の構内のようだ。けれど駅とは違って、人影はほとんどない。おまけに綺麗だ。リクたちが普段歩き回っているビルの中とは、全然違う。デザインも凝っているが、とにかく手入れが行き届いている。
 奥の壁には、エレベーターの扉があった。これも不必要なまでに飾られている。リクたちがいつも使うエレベーターの、薄汚れて無表情な扉とはまるで別物だ。
 贅沢な……いや、悪趣味なまでの、装飾。必要とはとうてい思えないものだが、コストは相当にかかっているだろう。豊かになるということは、こういうところに手間をかけること、なのだろうか。
 イダに誘導されるまま、全員がエレベーターに乗り込む。間際にクラークが、「俺もついて来ちゃってよかったのかな」とリンゴーに訊ねた。リンゴーは眉を持ち上げて「ま、仕方ないでしょ。成り行きまかせもいいもんです」などと答えている。
 あまり感心したことではないとわかってはいるのだが、ついきょろきょろしてしまう。扉だけでなく、エレベーターの内部までが飾られている。とはいえ、豪華な、という感じはしない。憧れや羨望めいた気分より、莫迦莫迦しさを先に感じてしまう凝りようだ。
 階数表示はぱたぱたと流れ、エレベーターはあっという間に二十六階に着いた。早い。リクたちのいるビルのエレベーターと比べると、倍近いスピードが出ている。その割に耳の奥に違和感を感じなかったのは、箱の気密性がそれだけ高いということか。
「どうぞ」
 あくまでも慇懃に、イダが五人を案内する。態度こそ慇懃であれ、全身から放たれる冷気は一瞬も減ずることがない。この男、おそらくよほどのやり手なのだ。案内役を預かるほどなのだから、あるいは今ここに派遣されている者たちの中でも、最高のランクに位置づけられる男なのに違いない。
 廊下を歩きながら、リンゴーがあっけらかんと言う。
「いやあ、助かっちゃったなあ。最初は、このデカいビルの中をいちいち探さなくちゃならないのかと思ってたんだよ。ねえみんな?」
 誰も返事をしない。できないのだ。
 圧力を、感じる。壁から滲み出てくるような敵意だ。もしかしたら、廊下の両側に並ぶ何枚もの扉の奥に、ぎっしりとヤクザが詰まっているのかもしれないとさえ思える。
(けれど)
 歩きながらリクは、油断なくその扉の一枚一枚を窺っていた。
 そのうちのどれかの奥に、エイミがいるかもしれないのだ。
 足元の表示板の類も、チェックしていた。
 今使ったエレベーターは、撤収の時には使えないだろう。となると、非常階段の類を使わなければならないかもしれない。では、それはどっちにある?……それは表示板を見て探すしかない。なにしろ初めて入るタイプのビルだ。文字通り、右も左もわからない。
「こちらでございます」
 長い廊下の一番奥、突き当たりの扉の前でイダが立ち止まり、ノックをした。扉がわずかに開き、中の者とのやりとりがある。
「では、どうぞ」
 扉が改めて大きく開かれて、部屋の中が見えた。
 広い。
 向こうの壁まで、軽く二十mはありそうだ。
 だだっ広く抜けたその部屋の最奥に、やたらと大きな机があった。稀少な天然木を使った、超がつくほどの高級品と見える。もしかするとその机ひとつの代金で、リクの実家の家族八人が、半年は食いつなげるかもしれない。
 イダに導かれるまま、ぞろぞろと全員が中に入る。扉の左右にはひとりずつ、猟犬タイプのヤクザが控えている。
 机に向かい、頬杖をついて座っていた三十歳ほどの男が、目だけを動かして五人を見た。
「こんな遠くまで、ご苦労だったな」
 まるで古びた機械が軋れるような、甲高く耳障りな声だ。
 イダは五人から離れ、その男のすぐ隣に移動する。
「このエリアの“下”を担当している、フジマだ」
 机の男は、真っ直ぐにリンゴーを睨みつけながら、そう名乗った。
(……フジマ!?)
 リクは自分の耳を疑った。
 ということはこの男、“連合”の直系に当たる男、なのか? そういえばさっきイダは、『若様』という言葉を使っていた。すると、まさか彼らは、それだけの総力戦を、たかがこのエリアに仕掛けてきているということなのか……?
 イダ同様に短い黒髪を油でなでつけたフジマは、イダとは対照的に大きな目をしていた。けれどその目はやはり闇色に濁っている。がっちりとした顔の造りは野卑で、脂ぎった印象を備えている。肌の色も、イダより黒い。
 座っているからわからないものの、多分体つきもがっちりしていることだろう。あくまでもすらりとしたイダと並ぶと、その印象の差は際立って違って感じられた。たとえていうなら、いつか映像ドキュメントで見た記憶のある赤熱した溶岩と極地の氷塊のようだ。
「ふむ」
 フジマは五人をざっくりと見渡し、リンゴーに目をつけた。
「もしかすると君が、倉庫の死に損ないかね」
 リンゴーが、いやあ、と明るい声を出して、頭を掻いた。
「伝わってたかあ。ま、当然のことだろうけれどねえ」
「見たところ、それほど頑丈そうでもないようだ。装薬弾の衝撃は、さぞ堪えたことだろう」
「おかげさまでね。出血もひどくて、俺としたことが意識を失っちゃったよ」
 フジマもリンゴーも、気負うことなく言葉を交わしている。言葉自体には、棘々しさはない。けれどそこには、わずかの油断も弛緩もない。さっきの、リンゴーとイダのやりとりにはわずかに劣るものの、張り詰めたものが、確かにふたりの間にある。
「出血、ねえ……」
 言ってフジマは、ふふん、と笑った。
「嘘が巧い男は、出るところに出れば出世するものだが、君はどうやらそういうタイプではないように思える」
「嘘?」
「ああ、嘘だろう。君を撃たせたエトーという男、すっかり本気で信じ込んでいたが――おかげであいつは使いものにならなくなって廃棄処分だ――、私は信じないよ」
 リンゴーは肩を竦めた。フジマは気にもせず、続ける。
「装薬弾なら、防護服を着込んでいさえすれば充分に防げる。防護服と上着の間に、赤い液体を入れた袋でも忍ばせておけば、なおさら見事に撃たれたふりができるだろう」
「なぁるほどねえ。つまりあんたは、俺が胸のポケットに一ドル銀貨を仕込んでいた、と言いたいわけだ」
「銀? なんだねそれは」
「……いや。俺がガキの頃に見た、ちょいとしたフェイクさ。そう、古い古ぅいフェイクだ」
「ふむ……銀がどうかは知らんが、その通り、つまり古い手だということだよ。古過ぎて、まさか今頃それをやる者がいるとは、誰も思わない。エトーはそれで、君の術中にはまってしまったんだろう」
 リクはふたりの会話を聞きながら、フジマを笑い飛ばしてやりたい気分になった。違うのだ。リンゴーは本当に死なない。俺はそれを、この目で確かめている……。
「それで、だ」
 軋み声のフジマが問う。
「君たちの目的は、なんだね」
 リンゴーは、力みも脅しもない、ごく普通の声でさらりと言った。
「まず、エイミを返してもらうよ」
 ふむ、とフジマが再び鼻で笑う。
「エイミね。聞いたことのある名前だ。十二年前に無謀にも命を捨てた青年の妹だったか」
「そうだ。あんたらが攫ってったってことは、わかってる」
「わかっているなら、自分で捜し出したらどうかね」
「いいのかい? じゃ、そうさせてもらうことにしよう。それからもうひとつ」
「なんだね」
「この街から撤退しろ。永久にだ」
 リンゴーの言葉に、フジマは瞼を閉じて、ふふん、と笑った。
「常々訊きたいと思っていたんだが」
 フジマが言う。
「どうして君たちは、この街にそれほどこだわるのかね?」
 リンゴーがおおげさに顔をしかめ、答える。
「俺たちに限ったことじゃあないさ。普通、生きてるってことは一度きりの、短い間のことなんだ。そして、その時間を過ごす場所は、生きてることそのものと同じぐらい大事なもんなのさ。ま、あんたらにはわからんだろうがな。この俺も、長いこと忘れてたことだしね」
 答えてから、じゃあ、と添えて、リンゴーはフジマに背を向けた。
「エイミを捜させてもらうよ。もちろん、ビル内は移動フリーということにしてもらえるんだろうね?」
 がたり、と音がした。フジマが椅子から立ち上がったのだ。そしてその手には、引き出しから取り出した銀色の大きな銃が握られていた。

(続く)