【Ringo the Wight/#3-10】
(承前)
「残念だが」
軋み声が言う。
「君はここから出られない。私たちには、これ以上無駄に費やせる時間というものがないのでね。最初はあの女で君たちを釣りあげようと思っていたが、うまいぐあいに君たちの方から勝手に来てくれた。呼びつけ、待つ手間が省けたというものだ、礼を言おう」
フジマを振り返りもせず、リンゴーはただ突っ立ったまま、答える。
「……ま、そんなことじゃあないかと思ってはいたよ。それにしても、なんといったか……エド? やつから聞かなかったのかい? 俺は死なないと」
「フェイクはもう無理だ。エトーは、きれいに片づけようとし過ぎた。装薬銃で、しかも自分以外の者に撃たせようなどとね。だが私は、そんな生ぬるい手は使わない。今私が握っているのはヒートレイだ。ご存知の通り、高熱で一瞬のうちにたいがいのものを焼き切り、貫く。物理的な衝撃を吸収するしか能のない防護服など、ものの役に立たないということだよ」
リンゴーは、ふう、とため息をつき、俯いた。フジマは構わずしゃべり続ける。
「まずは君を、続いて君の仲間を、始末させてもらう。ここは私たちの城だから、屍体の四つや五つ、自由に処理できる」
「ねえ、フジマの旦那」
リンゴーは相変わらず背を向けたままで言った。
「あんたがそいつの引き金を引く前に、ひとつだけ頼みたいことがあるんだが」
「煙草でも吸うかね?」
「いや。俺は煙草はやらないんだ、口の中が気持ち悪くなるからね。……このジャケットを脱ぎたいのさ。これ以上このジャケットを傷物にしたくないんだよ。いいかな?」
フジマは再び、ふふん、と笑った。
「それも古いフェイクだな。手品師は、右手に客を引きつけながら左手で種をあやつる。ジャケットを脱ぎながらなにかをしようという目論見は、外れだ」
「あんた、ひとを信じるって言葉を知らないのかい?」
「生憎だが、そんな言葉を知っている限り、こちらの世界で長生きはできないものなんだよ」
しかし、と言いながらリンゴーが振り向きかけた時、フジマの手の中の銀色が、ブン! と唸った。瞬間、目も眩むほどの閃光が室内を満たす。そして銃口から迸ったエナジーの束が、リンゴーの体を貫いた。
「……あーあ。やってくれちゃったよ」
リンゴーは、けれど、平然として言った。いや、さほど平然としてはいなかったのかもしれない。その太い眉が、実に困った、という風に八の字に下がっている。
「!?」
フジマが目を剥いた。
リンゴーがジャケットを脱ぎながら、ぼそぼそと言った。
「まぁた穴が増えちまった。このジャケット、いい加減ボロボロなんだよ。直すのにも、そろそろ限界があるんだよねえ」
ヒートレイの光束がリンゴーの体を貫いたのは、間違いないのだ。リンゴーの向こう側にある分厚い扉には、貫通した光束が開けた穴がある。さして大きな穴ではないが、それは確かにたった今開いた穴だ。
「ひとの言葉は信じた方がいい。エゾの言葉も……いや、エゴだったかな……とにかくあんたの部下の言葉も含めて、だ」
言いながらリンゴーは、脱いだジャケットを「ほい」とヴィレンに投げた。
「預ける。ヴィレン、持っていてくれ。持って歩くのが邪魔だったら袖を通していていい」
受け止めたヴィレンは、頷いてサッとジャケットを着込んだ。華奢ではあれかなり上背のあるリンゴーのジャケットは、大柄なヴィレンにさえ少し大きい。丈が余って、尻の半ばまでが隠れてしまっている。
フジマは、向き直ったリンゴーをただ凝視するばかりだ。
リンゴーの左胸には、確かにたった今ヒートレイが開けた焦げ穴がある。そこからは、うっすらとだが白い煙さえ立ちのぼっている。普通なら心臓が壊れて即死だ。だがリンゴーは、死ぬどころか足元を揺らがせてもいない。
いったいこいつは、どういう手品を使ったというのだ?……フジマは、そんな疑問の解答を大急ぎで捜している、という感じの顔になっていた。
「ヒートレイってのは、確かに一瞬は痛いんだ。辺りの肉を焦がすからね。けれどありがたいことに、熱線自体には質量がないようなもんだから、衝撃ですっ倒れるってことがないのさ。おまけに肉を焦がしてくれるから、出血もほとんどなくて済む」
平然と言い放って、リンゴーがフジマに近づいてゆく。
「……い、いや。ハッタリだ。誤魔化しだ。痩せ我慢だ。心臓を貫いたはずなんだ!……そう、そうだ、先天的な異常で内臓の配置が左右入れ代わっているというやつもいると聞く。ならばこれでどうだ!」
フジマは今度は、リンゴーの右胸を狙った。
再びの鈍い音、そして閃光。
リンゴーの胸から、白い煙が立ちのぼる。肉の焦げる異臭が、煙とともに室内に広がる。
「あのねえ」
撃たれた一瞬に立ち止まりはしたものの、リンゴーは淡々と言った。
「このシャツだってタダじゃあないんだよ。そう幾つも穴を開けられちゃあ、俺も困るんだ」
クラークが「こら」と後ろからリンゴーに声をかける。
「そのシャツは、おまえさんにとっちゃタダだったはずだ。俺がくれてやったんだからな」
「ああ、そうでした。これは失礼」
フジマはもはや呆然としている。
リンゴーはつかつかとフジマに歩み寄り、フジマの握っているヒートレイハンドガンに手をかぶせた。フジマは抗おうともしない。いや、抗うこと自体を忘れてしまっていた。
イダもまた、無表情のまま立ち尽くしていた。この男にもまだ、驚く、という神経は残っていたということだろうか。いずれにせよふたりは、リンゴーを止めるどころか、声を投げかけることさえせず、ただ突っ立っていた。
ヒートレイハンドガンをフジマの手からもぎ取りながらリンゴーが言った。
「こういう危険なオモチャは、おじさん、あんまり感心しないなあ。こっちの方がきっと楽しいよ、坊や。
それにこれには、坊やに足りないものがいっぱい詰まっている……それはもう、いっぱい、ね。あげるから、これでおとなしく遊んでなさい」
言ってリンゴーは、フジマの手に、ポケットから取り出した何かを持たせた。
リクの部屋にあった、あの猿の人形だった。
「……リク! ヴィレン!」
リンゴーが呼ぶ。やりとりをずっと見ていた四人が、一斉に背筋を伸ばし直した。
「ふたりはイヌを始末! セトくん、先生! 出口を確保!」
リンゴーの言葉が終わらないうちに、リクは扉を護っている猟犬ヤクザに飛びかかっていた。その指示をずっと待っていたのだ。
リンゴーの不死身によほど驚いていたのか、敵は身構える間もなくリクの拳を顎と鳩尾にくらい、あっけなくその場にくずおれた。
振り向くとヴィレンも同様に、軽々と片をつけてリクを見ている。
視線が合った時、ヴィレンはにやりと笑って親指を立てた。その顔にリクは、久々にヴィレンらしい頼り甲斐のある力強さを感じて、思わず何度も頷いてしまっていた。
クラークとセトは扉に取りつき、開け放つ。外の廊下に少しだけ頭を突き出し、人影の有無を確かめる。無人であることがわかってから、四人は一度に部屋から飛びだした。
フジマは、まだ呆然としている。そのフジマにリンゴーは、奪い取ったヒートレイハンドガンの銃口を一応は向けたまま、ゆっくりと扉へと歩いてゆく。
「じゃ……」
立ち尽くすふたりに向けて、リンゴーは軽く片手を挙げ、振りながら、言った。
「お言葉に甘えて、その辺自由に捜させてもらうよ。ばいばい」
そして部屋から出ると勢いよく扉を蹴り飛ばして閉ざし、廊下側のドアノブへ向けて二発、ヒートレイを撃ち込んだ。
「セキュリティ優先のデジタルロックなんだそうだ。破壊されると、部屋の主でも簡単には開けられなくなるんだとユーリーが言っていた。……さあ、捜すぞ!」
言ってリンゴーは、先頭に立って廊下を走り始めた。
(続く)