かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-03】

(承前)

「まさか……」
 部屋に閉じ込められ豪奢な机の前で呆然と立ち尽くしたまま、フジマが呻くように言った。
「まさか本当に、死なない男がいるなんて」
 そしてフジマは、ずしん、と椅子に座り込んだ。フジマの服と擦れた椅子の背が、きゅい、と微妙な音で鳴る。どうやら表面には、天然ものの皮革が張られているらしい。となるとこれもまた、机にひけをとらない、よほど高価な椅子であるのに違いない。
 一方イダは、リンゴーたちを部屋へ案内した時とまるで変わらない風情で、フジマの横に立っていた。その淡い顔には、いささかの表情も読み取れない。
「……あっ」
 フジマは出しぬけに声を上げて我に返り、机の上の小さなパネルに触れた。
 ぽーん、と軽やかな音が鳴り、パネルが明るく光る。続けて、「なにかご用ですか、ボス」と野太い男の声が返ってくる。
 フジマはパネルに向かって怒鳴った。
「今、部屋を出て行きやがった! くいとめろ、なにがなんでもこのフロアから出すな!」
 途端にパネルから聞こえてくる向こうの部屋の様子が慌ただしくなり、控えていた男たちが外へ飛びだす足音までがパネル越しに響いてきた。
 パネルの明かりがふいっと消えてからフジマは、自分が右手に猿の人形をぎゅうっと握りしめていることに気づいた。そして忌ま忌ましげに「むうう」と唸り、力一杯それを床に叩きつけた。
「やつら……逃がさん。絶対に、だ! 俺を虚仮にしやがって。糞っ垂れめ、まったく糞っ垂れの若造どもめ、糞っ垂れの下層民どもめ!」
 そしてイダを見上げ、怒鳴りつける。
「イダ! おまえもおまえだ。連中をなにもせず見送るとはな! こういう時にこそ役に立つのがおまえだと思っていたぞ。まったくおまえには失望させられた!」
 自分が呆然としていたことなど棚にあげたフジマの言葉を聞いても、イダは無表情のままだった……いや、微かに唇の端を、持ち上げた。
 それは確かに、笑みだった。無表情のイダが、笑ったのだ。
 フジマはそれを、見逃さなかった。
「……なんだおまえ、その顔は。なにを笑ってやがる。笑ってる場合か。早くこの部屋の扉が開くようにしろ!」
 居丈高にフジマが命じる。だがイダは、頬に毒のある笑みをくっきりと浮かべたまま、ただ立っているだけだ。
「聞こえなかったのか? 扉を開くようにしろ、と言ったんだ。組長代理の命令だぞ。いや、親父が病の床に臥せってお迎えを待つばかりの今は、俺が実質、組長だ。その俺の命令が聞けないとでもいうのか!?」
 フジマがイダを睨みあげ、怒鳴り散らす。イダは、けれど、一向に動こうとはしない。代わりにイダは、ゆっくりと口を開いた。
「若様は、それほどあの男、死なない男のことに驚かれたのですか」
 口調の慇懃さは相変わらずだが、声音には黒々とした悪意が、はっきりと込められている。
 リンゴーたちと対峙していた時にさえストレートには表に出すことのなかった悪意を、イダは今、剥き出しにしているのだ。
 フジマは眉間に険しさを浮かべた。
「……なんだと?」
「若様は、死なない人間がいることがそれほど信じられなかったのですか、と訊ねているんですよ」
「どういう意味だ」
 イダはくるりと身を翻し、フジマに背を向けて歩き始めた。大きな机の横を回り、部屋の中程まで進んで、フジマと向かい合う。
「私は、エトーの言葉を信じましたよ。なにしろエトーは、駆け出しの頃からの私の子飼いですからね。私はエトーのことを知り尽くしている。……まあ実際、もうひとつ使い勝手の良くない男ではありましたが、私に嘘をつく男ではありませんし、また若様が仰ったような“フェイク”に簡単に引っ掛かる愚か者でもありませんでした」
 フジマは傲然と椅子に座ったまま、イダを睨みつけている。
「実は私、以前に聞いたことがあるんです。不死の男の存在について、ね。遙か過去に、ある人体実験から偶然にそれが生まれた、と。
 詳しいことはわかりませんが、その後、幾つかの機関がその人間の研究に着手したという話です……あくまでも噂のひとつに過ぎませんが。
 だから私はエトーの報告は信じたし、目の前に当人が現れても、さして驚きはしなかった」
「ならばなぜその話を、エトーが壊れて戻ってきた時、私にしなかった!?」
「どうしてその必要がありますか」
 フジマが勢いよく椅子から立ち上がり、机を拳で叩いた。
「どうして、だと!? おまえは俺の子分だろうが! フジマ連合の若頭筆頭を勤める人間だろうが! 組のためになる情報を組長に伝えるのに、理由など要るか!」
 くっくっくっ、と声がした。
 イダの声、だった。イダが俯いて目を閉じ、声を出して笑っているのだ。
「まったく……能天気なことだ」
 呟いてからイダは、顔をあげ、真っ直ぐにフジマを見た。その目は再び冷気で満たされている。フジマは一瞬、むぅ、と呻いて身をのけ反らせた。
「そう、若頭筆頭です。ですが、それ以上にはなれません。――今の、何世紀も前の体質を引きずったままのヤクザ組織にあってはね」
「……おまえ……なにを考えてる……」
「だいたい、今時になぜ意趣返しなどを狙う必要がありますか。同業の皆さんへの顔になどこだわって、どうします。私は、顔より力を重んじるべきだと思いますよ」
「それが、それがこの作戦の陣頭指揮を執ったおまえの言う言葉か!? 意趣返しをしようと情報を集め、取りかかる組員どもの士気を高めるためにも私自身が乗り込めと勧めたのは、おまえ、おまえ自身だぞ! いったいどういうことなんだ!?」
「どんな種でもとりあえずは蒔いておく、芽吹いたものは利用する。それが私のやり方であるというだけのことです。実際、こんな小さな星のたかが一エリア、どうだっていいとは思わなかったんですか? まともな感覚を備えた指揮官であれば、そう思うはずですが」
 フジマは顔を真っ赤にしてイダを睨みつけている。だがイダはまるで気にもせず、その淡い顔に汗ひとつ浮かべずにいる。
「――若様。現在、すでに星々は緻密に区切られ、どの組織の力も拮抗し均衡を保っています。なにがヤクザなものですか。睨みあって動きのとれない檻の猿同然です。そういう状況を重んじ、その状況の中で汲々として生きてゆこうというのなら、確かに顔も大事でしょう。けれど私は、そういう状況はむしろ、力のある者が前へ出るためにあるものだと考えます」
「その“力のある者”がおまえだとでもいいたいのか!? ええ、イダよ!」
「さて、それはどうですか。いずれにせよ、旧態依然のフジマ連合には、ジリ貧の末期こそあれ、輝かしい未来はないでしょう……フジマの血を断ち切り、根本から新しい組織に生まれ変わりでもしないことには、ね。そして私には、自在に乗り回せる馬と、付き随う兵隊が要る」
 フジマはただ唇を緊く結び、顎を引いてイダを睨みつけている。イダはその視線をまったく無視して高くを見上げ、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「フジマ連合……現在の正式な構成員の数、十六万三千二百五十二。下部組織を含めれば、兵隊の数は百万を軽々と越す。この規模は、なみいるヤクザ組織の中でも随一のものといえましょう。それが今、開発され人間が住んでいる百七十六の星々に散らばって、うち十七の星では裏の主権を握り、五十四の星では他組織と覇権を分け合っている。
 けれどその地位は、現状においては決して実力で維持されているわけではない。ほとんど、地球由来という歴史の金看板のみで成り立っているようなもの。……乗り手のいない名馬、将軍のいない軍隊のようなものといえます」
「馬、に、軍隊……だと? イダ、おまえ……組を乗っ取り、世界、いや宇宙中のヤクザを相手に、全面戦争を始めるつもりか!?」
 イダはちらりとフジマを見やり、ただ相変わらず冷たい笑みを浮かべるだけだ。
「ふ……」
 フジマの顔が奇妙に歪んだ。目ではイダを睨みつけたまま、口の端をつり上げて歯を剥き出しにしている。
「ふはは……」
 笑っているのだ。フジマもまた、笑っているのだ。厳しい目と歯を見せる口の不均衡が、その表情を不自然に歪めているのだった。
「はははは……うわっはっは! 組が生まれ変わるだと!? なにを寝ぼけたことを言う。私のこの目が黒いうちには、おまえなどの自由にはさせん。うかうかとご託を並べ、よく馬脚を表したものだ。すぐにでも若い連中を呼び出して始末させてやる。エトーとふたり、義兄弟仲良く冥土で謀叛の続きでもやっておけ!」
 フジマの手がパネルに伸びる。と、
「おっと」
 イダが呟き、懐に手を突っ込んだ。目にもとまらないほどの早業で抜き出された手には、黒い鉄の塊が握られていた。
 装薬銃だった。それもかなりの大型だ。エトーが準備していた物より、ふたまわりは図体がでかい。当然威力にも、よほどのものがあるだろう。
 その銃口をぴたりとフジマに合わせ、イダが言う。
「面倒はやめにしませんか。というより、無駄は……というところでしょうか」
 銃を向けられ、フジマはさすがに手を止めた。

(続く)