かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-02】

(承前)

 眉をしかめた、少し難しい表情だ。口の中でなにかをぶつぶつと言っている……が、すぐにパッと目を見開いた。
「躊躇してる場合じゃないな。セトくん、KT貸してくれないか」
 セトが「はい」と答え、ポケットからKTを取り出す。それを見ながらリクは訊ねた。
「KTは使っちゃいけないんじゃなかったの?」
 リンゴーは、受け取ったKTのスイッチを入れ、なにかを手早く入力しながら答える。
「もう突入しちゃったんだから、こっちの行動がある程度バレてもいいさ。それにこれは、ほとんど傍受不可能、データ検索も無理な相手への送信なんだ。だから、まず大丈夫……」
 ぴん、と軽い音が鳴り、送信終了を知らせる。リンゴーはさらになにかを入力してから振り返り、「セトくん」と呼んだ。
「はいっ」
「キミは先生といっしょに、階段で“上”に出るんだ。これ、スイッチを入れたままにしてあるけど、くれぐれも切らないように。落としたり壊したりもなしだよ」
「わかりました。注意します」
 リンゴーがセトにKTを返す。セトはそれを、慎重に内ポケットに収めた。それを見ながらリンゴーが続ける。
「セトくん。キミの役割は、それだけじゃない。送信の結果がキミたちの役に立つまで、時間的には最低でも今から二十分はかかるだろう。その間、“上”のヤクザたちが現れないとも限らない。先生とエイミの護衛係、くれぐれも頼むからね」
 セトがごくりと喉を鳴らす。けれどその顔に、怯えや恐れはない。ただ与えられた責務の重さに緊張している、そういう表情だ。そしてそれはまぎれもなく、一人前の表情だった。
「リク」
 リンゴーが今度は、リクを呼ぶ。
「“上”への道、見つけてあるかい?」
 リクは「もちろん!」と頷いた。
「廊下の突き当たりに、非常階段の部屋への入口があるはずだよ」
 リンゴーは、うん、と答え、言った。
「そういう細かいことに、リクはよく気づくからね。さすがに頼りになる。……そういうわけで、先生、セトくん。四階分の階段、一気に登ってもらいますよ」
「ふむ。いいダイエットになりそうだ」
 クラークが巨体を揺する。セトは無言で唇の端をキュッと引き締める。
 六人が廊下へ出ようとした瞬間、ズン、と重々しい音が遠くから聞こえた。わずかに床も揺れたような気がする。リクは立ち止まり、耳を澄ませた。
「……今、なにか聞こえたよね。揺れたよね」
 ヴィレンが周囲を窺いながら「確かに」と呟く。全員が身構えたまま、その音の正体を探ろうとしている……いや、リンゴー以外は、だった。
「音はした、揺れた」
 リンゴーが言う。
「けれど今は、姫君たちを送り出すのが先だ。考えてる暇はない」
 でも、と言いかけたリクの横を、エイミを担いだクラークがのしのしと通り過ぎた。
「その通りだな。でなけりゃ助かるものも助からなくなっちまう」
「そういうわけで、リク、階段へ案内してくれ」
「……わかった」
 リクは、今ひとつ釈然としないものを感じながらも、リンゴーの言葉に頷いた。
 あの音には、なにか重大な意味がありそうだ。けれど、確かに今一番重要なのは、エイミだ。エイミを一刻も早く病院へ送り届けることなのだ。でも……いや。
 リクは先頭に立ち、走りだした。クラークは、肩に載せたエイミの四肢を器用に押さえ、外された関節に負担をかけないようにして、大股で歩いている。それでもセトが小走りにならないと追いつかない程度には、早い。
 六人が連なり、非常階段の部屋へと急ぐ。途中、通り過ぎたエレベーターの扉の上で、階数表示がぱたぱたと動いているのが見えた。
 下りを示す青の数字が、どんどん減ってゆく。下から箱を呼んだ者があるらしい。
 それをちらりと見て、リンゴーが呟いた。
「……どうやら、目くらましも限界ってことかな。奴らが来たら……いや、来ても」
 リクとヴィレンが、リンゴーを見る。それにリンゴーは応えるように、言った。
「行かせない。なにがなんでもここで奴らをくい止めるからね。それが俺たちの役目だ」
 リクが即答する。
「当然!」
 ヴィレンは無言だ。けれどその全身からまだ放たれている怒気が、なによりも確実な返事になっていた。
 非常階段が収まった部屋の、重く大きな扉を開く。
「ああ待てリンゴー」
 扉をくぐる間際に、クラークがポケットから何かを出した。
「こいつを預けよう。おまえさんなら、きっとうまく役立ててくれるはずだ」
 笑気ガスのボンベだった。
 リンゴーは手を伸ばし、それをしっかりと受け取った。
「ありがとう、先生。使わせてもらいます。……でも、先生は?」
「大丈夫。心強いボディガードがついてくれとる」
 クラークはそして、セトを見た。その視線に応えるように、セトが力強く頷く。
 それを確かめて、リンゴーもまた、頷き返した。そして、意味ありげな笑顔を浮かべ、クラークに耳打ちした。
「“上”へ出られたら、きっと懐かしいものが見られますよ。楽しみにしといてください」
 言われてクラークは、「なんだと?」と眉間に浅く皺を寄せる。だがリンゴーは、ただ笑顔のままもう一度頷いて身を離し、
「じゃあお三方、ごきげんよう!」
 そう言って、セトと、エイミを担いだクラークに親指を立てた拳を軽く突き出すと、扉を押し、閉じた。

(続く)