かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-08】

(承前)

 あれから十分ほどが過ぎたが、リンゴーたちの周囲にはまったく動きがなかった。
「どうやら……」
 座り込んだまま、リンゴーが呟く。
「正義の味方も悪漢も、俺たちを探しあぐねているらしい。歩き回り過ぎたかもしれない」
 リクとヴィレンも、足場の上に座っている。
 リクは腕を抱え込み、体を小さく縮めながら言った。
「敵にしろ味方にしろ、早く来てほしいもんだよな。でなけりゃ俺たち、ここで凍えちゃいそうな気がするよ」
 リクはさっきから、体がずいぶん冷たくなってきているのを感じていた。走ったり、闘ったりの余韻が残っているうちは気にならなかったが、それからすでにけっこうな時間が経った。おまけに、その時にかいた汗が一気に冷えてきている。
 実際、この場所は寒かった。
 たとえ階段であれ、ビルの居住区内にはたいがい空調が効いている。けれどここは、そもそも機械だけのためのスペースだ。人間にとって心地のよい環境の確保など、最初から考えられてもいないらしい。
 リクがぶるっと震えた時、背中にずしりとした重みのあるなにかが掛けられた。
 振り向いてリクは、あ、と声を漏らした。
 ヴィレンが、立っていた。
 掛けられたのは、リンゴーのジャケットだった。
「いいよ、ヴィレン。だってヴィレンも寒いはずだぜ」
 返そうとした時、リンゴーが「いやいや」と止めた。
「こういう時は、体の小さい者の方が理論的には不利なんだ。体温は体内で生み出され表皮から失われるわけだが、体が小さいと表皮と体積の比率が小さくなってしまう。つまり表皮から失われる熱と主に筋肉から生産される熱の量について、小柄ってことには不利があるわけでね……」
「相変わらずわけわかんねえよ」
「じゃあ、こう解釈してくれ。ヴィレンじゃなく、俺がリクにそのジャケットを預けたんだ、と。それなら少しはわかりやすいかな?」
「……わかったよ。ありがたく預かっとく」
 リクはジャケットに手を通した。
 大きい。
 思い切り腕を伸ばしても、手首どころか伸ばした指先がどうにか袖口から出る、というぐらいだ。丈もある。座っている今は、裾がぺったりと床についてしまう。リンゴーが着ている時には、ちゃんとウエストの辺りで止まっているはずなのだから、リンゴーがどれほど大柄であるかがよくわかる。
 そして、暖かい。
 ただ単にそのジャケットの保温性が優れているというだけのことではなく、まるでジャケット自体に血が通っているような、なにか優しく懐かしいぬくもりを感じる。
(これ、ヴィレンの体温の残り、なのかな。それともリンゴーが長いこと着続けているうちに移った、リンゴーの生気のかけら、みたいなものなのかな……)
 そう思ってからリクは、自分のそんな思いつきが急に恥ずかしくなった。なにがどう恥ずかしいのか、ということはわからない。強いていうなら、そういうことを思いつくこと自体が、恥ずかしいことのように思えた。
「ところで」
 ヴィレンが急に言った。リクは、自分の恥ずかしさが見透かされたのかと思って、つい全身を強張らせてしまった。
最後の切り札というのも使ったということですし、そろそろ種明かしをしてくれてもいいんじゃないですか?」
 ヴィレンは真っ直ぐにリンゴーを見ている。自分のことではなかったのだ、と安心してから、リクは慌ててヴィレンに言い添えた。
「そ、そうだよ。リンゴーは手品師みたいだ。昔のことを調べあげたり、チームのリーダーたちを脅す材料を捜し出したり、珍しいコンピュータを仕入れてきたり……俺も訊きたい」
 リンゴーはふたりの顔を順繰りに見た。
 それから一度俯き、寂しげな笑みを浮かべて、言った。
「……まあ、いいでしょ。どんな手を使ったかは、明かしましょう。要するに、ICデータの利用……っていうより、侵入に近い手を使ったってことなんだ」
「ICデータへの侵入!? どういうことだよ」
「焦りなさんな、リク。つまりね……」
 ICで切り取られた街のデータは、すべて圧縮され過去五十年分に渡って保存される決まりになっている。この街の場合は、まだ機能し始めて二十年経っていないから、すべてのデータが保存されていることになる。
 もちろんそのデータは、誰にでも閲覧できるものではない。リアルタイムの記録はもちろん司法局で監視されているが、一度保存に回されたデータには、なにか事件が発生した時に限り、司法局の一部の人間だけがアクセスできるようになっている。とはいえ、それでさえアクセス申請のために面倒な書類をやりとりする必要がある。当然、一般市民がおいそれと触れられるものではない。これは個人情報の保全のための、当然の処置だ。
 なにしろ、犯罪に絡まないデータも一律に保存されているから、それを検索することによって、たとえば、誰が、どの通りを、何年何月何日何時何分何秒に歩いたか、などということも特定することができるのだ。それを継ぎ接ぎしてゆけば、ひとりの人間の行動のほとんど、自宅にいる時以外のすべての行動を、秒刻みでトレースすることができる。
 そんなものが誰にでも触れられるようであっては困る。だからその管理は、ことさら厳重にされているのだった。
「それに侵入したんですって? いったい、どうやって……」
 ヴィレンが目を丸くする。リクはけれど、焦れったそうだ。
「理屈はわかったよ、理屈は。けど、それがリンゴーの手品とどう結びつくってのよ」
 ヴィレンがそれを制する。
「いや、俺にはわかった。つまり、俺やリク、エイミの行動をトレースして、接触した相手をさらにトレースすれば、少しずつではあれ全体像が見えてくることになるはずだ」
 リンゴーが頷く。けれどリクには、まだ納得がゆかない。
「そりゃさ、理屈はわかるんだよ。だけどそんなの、たった一日で調べきれることじゃないだろ? じっくり調べてったら、たかが俺の行動だけでも十四年分あるんだぜ。ヴィレンのが二十年分以上、エイミのだってそれぐらいはあるはずだ。他のチームのリーダーたちのことまで調べてったら、何年あったって時間が足りないじゃん」
 リンゴーは眉を八の字にして笑い、言った。
「まったくその通りだよ、リク。だからデータの解析には、コンピュータを使った」
「当然だろ。人間にできるワザじゃないよ。でも、コンピュータを使うにしたって、それだけのデータ量を、どうすりゃ一日で処理しきれるっていうんだよ。そんなすげえマシン、俺は見たことも聞いたこともないよ」
「ああ、それもその通りだ。だが、俺が使った……使ってもらったのは、それこそ“すげえマシン”でね。もちろんオペレーターも相当な数を投入してもらうことになった」
 ヴィレンはなにか思い当たることがあったらしく、難しい顔をして黙り込んでしまった。けれどリクは、まだ不満げだ。
「……わかったよ。とにかくリンゴーは、この街のICのデータを堀じくり返して、この街の歴史そのものまで調べ上げた、っていうわけだよな」
「ああ、そうだ」
「超の字が百個ぐらいつく、すごいコンピュータを使って。それを操る、何十人ものオペレーターも使って」
「正確には百飛んで四人だ」
「………。で、エイミや俺のことも、十二年前のことも、最近のリーダーたちのことも、もしかしたらヤクザたちのことも調べあげた。でもそれって、答えになってない。俺が一番知りたいことには、全然答えてくれてない」
 リンゴーは俯いている。
「それは、なんで……なんでリンゴーがそんなことをできたのか、ってことだよ。自分で言ってたじゃん、取り柄は死なないことだけだ、って。そんなリンゴーが、なんで……」
 ヴィレンが急に顔を挙げてリクを見た。その視線のあまりの真っ直ぐさにリクは圧され、黙り込んでしまった。
 ヴィレンがリクを見据えたまま、ゆっくりと口を開く。
「俺は、世の中に詳しい方じゃない。けれどひとつふたつ、はっきりわかることがある」
 リクは上目遣いでヴィレンを睨んでいる。ヴィレンはけれど、より強い目でリクを見つめ返して、続ける。
「いいかリク、まず第一に、ICのデータに、事件なりなんなりの指定もなく、全面的にアクセスできる立場ってのは、そうそうはない。少なくとも、この星の司法局より上の立場でなきゃ無理だ。そして、最低でもここ十二年分ぐらいの情報を、短い時間で全面的に解析できるほどのコンピュータも、そう数はないってことなんだ」
 リンゴーはただ黙っている。ヴィレンは、そんなリンゴーをちらちら窺いながらしゃべる。
「それは、司法局のメインマシンにだって、多分、無理だ。それぐらいのマシンがあるとしたら、それは……」
「しっ!」
 急にリンゴーが顔を険しくした。
 ヴィレンを黙らせ、そのまま足場に這いつくばって、耳を押しつける。
「……足音だ。バラバラだな、履いてる靴もけっこういろいろあるらしい。ということは、これ、正義の味方の到来じゃあ、ない」

(続く)