かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-09】

(承前)

 リンゴーの言葉にリクは素早く身を伏せ、足場から響いてくる音を確かめた。
「本当だ。もう、すぐそこまで来てるみたいだ」
 ヴィレンがさっと立ち上がり、周囲を見回す。
「ここはT字路です。うまく利用できそうですね」
 リンゴーは頷き、ヴィレンとリクを呼び寄せて、それぞれに小声でなにかを指示した。
「……と、そういう具合にね。いいかい? とにかくひとりは、歩けるようにしとかなきゃ駄目だからね。打ち合わせ通りに、がっちりいこう」
 リンゴーが小声で言う。ヴィレンとリクが頷く。
 足音はもうはっきりと聞き取れるほどに近づいてきていた。おそらく連中は、刃を準備しているだろう。勝負はとにかく、出会い頭の不意討ちにかかっている。
 三人は、T字に分岐した足場の、横棒に当たる場所の両側に身を潜めていた。縦棒に当たる足場を駆けてくるヤクザたちを挟み打ちにしようという算段だ。
 鉄パイプの足場を蹴る幾人かの足音が、一気に近づいてきた。そしてふたりのヤクザが、分岐に姿を現した。
「ここだ!」
 ヤクザたちが叫び、懐から素早く刃を抜き出そうとした。けれどそれより一瞬早く、ヴィレンとリンゴーの拳が連中の顎を捉えていた。
「ぐむっ」
「がっ」
 声をあげてふたりがよろめく。けれど倒れない。リンゴーにしろヴィレンにしろ、今の一撃には全身の力を込めたのに、だ。相応には効いたようだが、けれどヤクザたちはすぐに態勢を立て直した。
「それが実力ってことか!」
 ヴィレンは身を低くし、構える。ヤクザは刃を抜き出している。とはいえ、迂闊に飛び込んではこない。じっくりを間合いと呼吸を計っている、という風だ。
 一方リンゴーは、構えもせず仁王立ちしていた。真下にぶらんと垂らした両手の、指先を握ったり開いたりしながら不敵な笑みを浮かべている。
「どおした、やっちゃん。刺せるもんなら刺してごらん。でなきゃこっちからいくよ」
 ヤクザの顔に、逡巡の色が浮かんでいる。こいつが死なない男なのか。だとしたら、まともに闘っても勝ち目はない――一撃で葬ることもできない、かといって少しずつダメージを与えあう闘いに持ち込んだとしても、限界のある自分の方が必ず負ける。どうすればいい、どうすれば勝てる?――そんな迷いが、顔にはっきり表れている。
「後がつかえてるぜ、さくさくといこうや!」
 言うなりリンゴーが長い脚を蹴り出した。
 それを寸前で避け、ヤクザは横に回り込んだ。とにかく動きを封じなければ。わずかでも動きを封じれば、その間に――ヤクザは隙を探そうと、リンゴーの全身を鋭く目で探った。そしてその瞬間、慄然とした。
 リンゴーの目が、自分の目をじっと見ているのに気づいたのだ。
 そしてリンゴーは、ヤクザが自分の視線に気づいたとみると、ニヤリと笑った。
(この男、この状況で迷わず俺の目をずっと見ていたというのか!?)
 ――これは、勝てない。目を見られているということは、行動を読まれているということだ。しかも……笑った。わずかも動じず、笑いやがった。全部、知られている。全部、読まれている――。
「ぐぅ」
 刹那、ヤクザは自分の呻きを聞いた。萎縮した一瞬に、ものの見事に一撃を食らったのだ。腹の真ん中だ――脚に力が入らない。指先までが痺れる。くそ……やられる……。
 床に転がった途端、横っ腹に追い打ちのもう一撃、爪先の蹴りが決まった。気が遠くなる。不甲斐ねえ、俺としたことが……そんな言葉がぐるぐると目の奥に舞った。
『一丁あがりだ、次!』
 遠くにそんな声が聞こえ、そして次に、ヤクザの視界に闇が訪れた。
「おらア!!」
 叫んで、ヴィレンと向かい合っていたヤクザが刃を繰り出した。振り回さない、真っ直ぐに突き出すやり方だ。威嚇ではない、本気の突き方だった。
 ヴィレンはそれをわずかに体を揺らして避けた。切っ先が、左肘の少し上辺りを撫でてゆく。毒虫の衣装がパッと裂けて、刃の鋭さを見せつける。
 ヴィレンはカウンターで拳を放ったが、これを敵は鮮やかに交わした。ヤクザは避けながら素早い動作で肘を引き戻し、再び刃を構え直す。ナイフの闘いは、突き出す時より引く時の呼吸がものをいう。このヤクザは、刃での闘いによほど慣れていると見える。
 それをヴィレンも悟ったのだろう、構えを小さくした。右肘を鉤に曲げ、二の腕を斜めに体に密着させる。肝臓と胃を腕で、握った右の拳で心臓を護る姿勢だ。そのまま左腕だけをわずかに前に出し、敵との間合いを計っている。
 ヤクザはそんなヴィレンの構えを嘲うように、鋭く細かく刃を突き出してきた。軽く突いては引き、次を繰り出す。時には刃を円を描くように振り回し、リズムを読ませない。ヴィレンはそれを体を揺らして避けながら、けれど手を出そうとはしない。
 勝機ありと見たか、ヤクザは大きく踏み込んできた。まだ腕は伸びていない、足だけが先に、膝からぐいっと前に入ってくる。
 瞬間ヴィレンは身をかがめて、その膝の内側を、素早く伸ばした左の手の甲で叩いた。
「うわ」
 バランスを崩したヤクザの刃が、虚しく空を切る。上体が揺れ、ガードがまったくなくなった。その顎目掛けて、今まで抱え込まれていたヴィレンの右拳がするするっと伸びてゆく。
 がつっ、と鈍い音がして、ヤクザの体が十㎝は宙に浮いた。膝のバネも使ったアッパーカットが、ものの見事に決まったのだ。悲鳴もなにもなく、そのままヤクザは倒れ伏した。
「こ、こいつらァッ」
 手を出そうにも狭すぎる足場の上では適わず、ただ刃を抜いたまま成り行きを見るしかなかった残りふたりのヤクザたちが、前へ飛び出そうとした途端だ。ふたりは、「うわ」「ああッ」と間抜けな声を漏らして、膝から足場に転んだ。
 ずっと陰に潜んでいたリクが、しゃがんだ姿勢から脚を伸ばし、引っかけたのだ。
 ひとりはそのまま手すりに顔をぶつけ、派手に鼻血を吹き出させながらもんどりうった。がらあきになった腹に、リンゴーの膝蹴りがきれいに決まる。もうひとりは立ち上がろうとした背中に、ヴィレンの両手でのハンマーを決められて、そのまま勢いよく床に潰れた。
「ナーイスッ」
 言ってリンゴーが片手のてのひらを上に向け、差し出す。それをヴィレンが上からぱぁんと叩き、続いてリンゴーはその手を裏返して、差し出されていたリクのてのひらにぱぁんと叩きつけた。
「いいコンビネーションだったねえ。さて、選ぼう。……やっぱこいつかな?」
 リンゴーは言い、鼻血の襟首を掴んだ。両手で顔を押さえたままのそいつは、持ち上げられて、うう、ううと唸っている。リクとヴィレンが素早く体をまさぐり、武器を探す。ズボンのポケットから折りたたみ式のナイフを見つけ出したリクが、それを抜き出すなりぽんと後へ投げ捨てる。ヴィレンはヤクザのズボンのベルトを素早く引き抜く。
「さあ旦那。出口に案内してもらうよ」
 リンゴーはヤクザの顔を覗き込み、言った。
「あ、案内、だとぉ?」
 まだ腹を蹴られた余韻が抜けず、押し寄せる苦悶に顔を歪めたまま、ヤクザが問い返す。
「ああ。入ってきたってことは、出られるってことだろ? 実は俺たち、迷っちゃっててね。道に詳しい奴を待っていたのさ」
「だ、誰がお前らなんかに……」
「これなんか、好きかな?」
 リンゴーは言って、預けていたヒートレイをリクから受け取り、ヤクザに突きつけた。
「できれば使いたくないんだ。でも、お望みとあらば遠慮はしないよ」
 話している間にヴィレンが手早く抜いたベルトでヤクザを後ろ手に縛る。リクは、倒れているヤクザたちの手足を縛りあげている。
「……糞っ垂れ」
 ようやく自分の足で立ったヤクザが、よろよろと歩き始めた。リンゴーは襟首を掴んだまま、ヤクザについてゆく。ヤクザの腰には、ヒートレイの銃口が押しつけられている。
 振り返ってウィンクしたリンゴーに、リクがVサインで応えた。

「……おや?」
“上”の広大な公園の片隅にある、管理棟の中の一室。
 机の上で、ラップトップタイプのハンディ・ターミナルを開いていた男が、呟いた。
「どうした」
 椅子に座って煙草をくゆらせていたイダが、ちらりと視線を向ける。
「第三グループが、妙な動きを始めました。四人のうち三人が固まって止まったまま、ひとりだけがふらふら動いてます」
「なるほど。“エサ”に食いついたわけだ」
 イダは目を閉じて煙を吹き出した。
「……しかし、機関室に潜った連中は、自分たちがエサだと知ったら、怒るでしょうね」
「大したことじゃない。適材適所という言葉があるだろう。奴らの実力は、連中のひとりでも潰せればお手柄といったところだよ。それ以上の役に立ってもらうには、エサとしてぶらぶらしてもらうくらいしかない。そして目論見通り、連中に食いつかれたわけだ。エサどもは、後で功労者として祀ってやればいいさ」
 イダはそして、くるりと首を回して室内を見た。
 一面血の海となった床には、この管理棟に勤務していたらしい公園の働き手の屍体がみっつ、転がっている。どの屍体も喉元を、刃で鮮やかに斬り裂かれていた。
「これで奴らは、ここの隣にある機関室への出入口に現れるわけだ。そうしたら慌てず騒がず、片づければいい――こいつらのようにな」
 言ってイダは、懐を……そこに収まっている巨大な装薬銃を、撫でた。

(続く)