かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-11】

(承前)

 警報の音、だった。
 ビルの中のあちこちはもちろん、街角にも据えられているスピーカーから飛び出す、緊急警報の音だ。
 いったいなにがあったというのだろう。この警報が鳴らされるのは、よほどの大事件が起きた時か、あるいは大きな天災が予測される時ぐらいだ。リク自身、今までに二度しかその音を聞いたことがない。一度は、護送中に逃亡した兇悪犯が街にまぎれこんだ時。もう一度は、集中豪雨で水害が起きそうだった時。
 都合よくたった今、そういう事件が起きたとでもいうのだろうか?
(いや!!)
 リクはすぐさま行動を興した。考えている暇はない。
 警報の大音響に怯んだ猟犬の腕をすりぬけ、しゃがみ込む。
「あ、このガキ!」
 猟犬は刃を握った手を軽くバックスイングさせ、リクに向けて振り下ろそうとした。けれどその時にはリクは、もう横に跳ね飛んで、ヴィレンについているヤクザの足元に肩をぶち当てていた。
「うわ」
 間抜けな声をあげてよろめくヤクザの腕から、ヴィレンがするりと抜ける。そして振り向きざまに、裏拳をヤクザの横っ面へ振り当てた。十分な勢いのあった拳に弾き飛ばされ、頭を壁にぶつけた猟犬は、そのままぐしゃっと倒れ、動かなくなった。
 そしてリンゴーは……。
「ごめんよッ」
 言って身を翻し、イダの手に膝蹴りを当てていた。
 弾かれた装薬銃が、ガゴンと重く硬い音とともに床に落ちる。イダが拾おうと身をかがめる、その背にリンゴーの、組み合わされたままの両手が、頭の上から真っ直ぐ、そして素早く、振り下ろされた。
「かはっ」
 背中の真ん中を強打されたイダが、乾いた声を漏らして地面に這いつくばった。リンゴーはそして、足元の装薬銃を爪先で蹴り飛ばした。
 ガラガラガラと堅い音をたてて、装薬銃が小屋の床の上を滑ってゆく。そしてそれは、開いたままになっていた“心臓”への入口に、見事に落ちた。
 カン、カン……と何度か、梯子の段や周囲のチューブに当たる音を響かせて、銃は“心臓”に飲み込まれていった。
「逃げ出せ!」
 リンゴーが言い、小屋の出口にとりつく。
 ヴィレンは外に飛び出そうとして振り返り、足を止めた。そして、
「リク!」
 叫ぶなり、出口とは反対側へ飛んだ。
 リクが、追い詰められていたのだ。
 ヴィレンのアシストをしたものの、リクは、自分自身を捕らえていたヤクザへの反撃のタイミングを失っていた。そしてヤクザの振り回す刃に追われて、出口とは反対側の小屋の隅へと追い込まれていたのだった。
「この野郎ッ」
 背中にヴィレンの体当たりを受けて足元を揺らがせたヤクザは、けれど素早く態勢を立て直してヴィレンを振り返った。
「リク、早く!」
 ヴィレンは言いながら、ヤクザの振り回す刃を避ける。けれど、狭い小屋の中である上、足元には“心臓”への入口が大きく口を開けている。思うように避けることができない。
「でも、ヴィレンっ」
「いいから! 早く!」
 リクは背を丸めて駆けた。ほんの数歩でリンゴーが確保している扉に着く。そしてヴィレンを振り返った。
 その時、だった。
 あとずさろうと踵を後ろへ滑らせたヴィレンの、その踵が、今し方ヴィレン自身が倒したヤクザの足に当たった。
「くっ」
 バランスが崩れ、ヴィレンが体を大きく揺らす。その隙を見逃さず、ヤクザの突き出した刃が、ヴィレンの腹に、吸い込まれるように突き刺さった。
「ヴィレン!!」
 駆け寄ろうとしたリクの襟首を、リンゴーの手が掴んだ。
「な、なにすんだよっ」
 言いはしたものの、強烈な力に引っ張られて、リクは小屋の外へ投げ出されていた。
「ヴィレン! ヴィレン!! リンゴー!?」
 慌てて起き上がり、扉から首だけを小屋の中へ突っ込んで、リクは見た。
 膝からくずおれるヴィレン。
 その背後に駆け寄るリンゴー。
 調子に乗り、さらに刃を振りかぶるヤクザ。
 その刃からは、ヴィレンの血が糸を引き、伸びている――。
「ヴィレンーッ!!」
 リクの大声に、ヤクザが一瞬、気をとられる。その隙を見逃さず、リンゴーの大きな拳が、ヤクザの顎を正面から捉えた。
 ヤクザはそのまま背後の壁まで吹っ飛び、背中をしたたかにぶつけた。けれど倒れず、片手で顎を押さえてふらふらしながらも、なお刃を構えようとする。
「てめえ……」
 リンゴーの口の奥から、低い、けれどはっきりとした声が聞こえた。
「くたばれ」
 言ってリンゴーは、ふらつくヤクザの頭を片手でがっしり掴むなり、そのまま下へと押し下げた。同時に膝が跳ね上がり、ヤクザの頭を挟みつけるように蹴る。
 ごりっ、と、嫌な、鈍い音がした。
 瞬間、ヤクザの四肢がびんと伸びたように見えた。
 そしてリンゴーは、ヤクザの頭を握ったままの手を振り回し、口を開いている“心臓”へと投げ込んだ。
 悲鳴さえあげず、ヤクザが落ちてゆく――。
 ごぉん、とも聞こえた。いや、ぐゎん、だったのかもしれない。複雑な反響を残したそれは、いずれにしても、十五m下にヤクザが激突した音であることに、間違いなかった。
 リンゴーは屈み込み、腹を押さえてうずくまっているヴィレンを肩に担ぎあげた。
「大丈夫だ、きっと大丈夫だ」
 リンゴーが呟いている。
 その顔を見て、リクは絶句した。
 泣いている。
 リンゴーが涙を流していた。
 あの大きな目からぼろぼろと涙をこぼして、リンゴーが泣いていた。
 ヴィレンは担がれて、ただ唸っている。
 まだ倒れたままのイダを跨ぎ越し、リンゴーが出てくる。
「ヴィレン……」
 リクはただそれしか言えなかった。
 リンゴーの着ているシャツが見る間に赤く染まってゆく。ヴィレンの血で染まってゆく。
「あ……あ、リンゴー……さん……」
 ヴィレンが言う。小さな声だ。もう大きな声も出せないとでもいうのだろうか。
「黙ってろ。大丈夫、きっと大丈夫だから!」
「い……や、いや、まずいっす、よ。痛ぇ……肝臓です。この……出血、じゃ、俺……」
「いいから黙ってろ!」
 リンゴーは小屋から出ると、外を見回した。
 あふれるばかりの陽光が、一面を照らしていた。
 そこは、公園の一角だった。芝生の浅葱と木々の濃緑が、目に眩しい。その木々の隙間から、真っ白いビルが――“上”のビルが、青い空を目指して何本も伸び上がっている。
 サイレンはまだ鳴り響いていた。
「今、医者に連れてくから。きっと大丈夫だから。しゃべるな、体に負担がかかるから!」
「……いや、それより……。聞いて、ほしいんです……」
 リンゴーはヴィレンを担いだまま、大股で歩く。本当は駆け出したいのだろう、けれどその振動が出血を増やすことを心配しているのだ。
「エ……エイミの……エイミのこと……」
 リクは追いかけながら、泣いていた。どうしたらいいかわからない。情けないとは思う、思うけれど、わからない。
「あれ、は……俺の、せい、なんですよ」
 リンゴーは黙って、ただ公園の出口を探して歩く。
 広い、広い公園だった。“上”の人々は、休日にはここで憩い、また戯れたりもするのだろうか。
「エイミは……エイミは、寂しかったに、違いないんです」
 いったいどれほどの広さのある公園なのだろう。果てが、見えない。芝生と木々の間を、白い玉砂利の敷かれた散歩道が、くねくねと曲がりながらひたすら遠くまで続いている。
「……誰も、エイミには、本気で近づくことが、できなかった。俺でさえも。俺が、そうしてしまった……エイミを、独りに、してしまった」
 ヴィレンの足を伝った血のしずくが、玉砂利に点々と落ちて、赤い道を作ってゆく。
「だから……エイミは、誰とも、仲間に、なれなかった。それが寂しくて、エイミは……」
 リンゴーが急に立ち止まった。足元で玉砂利が小さな音を立てる。リンゴーは、俯いて自分のシャツを、振り返って歩いてきた道を、それからヴィレンの顔を見て、天を仰いだ。
「だから……エイミは、薬なんかに……。あれは、俺の、責任……なんです」
 リンゴーはずかずかと芝生の中へ入っていった。そしてヴィレンを肩から下ろし、太い木の根元に寄り掛からせ、座らせた。
 毒虫色のヴィレンの服は、もうすっかり血を含んで暗い色になってしまっている。
 リンゴーのシャツもズボンも、半分がたが赤く染まっている。
「気にするな」
 リンゴーはしゃがんでヴィレンと真っ直ぐに向かい合い、両手を肩に置いて、言った。
「誰のせいでもないんだよ、ヴィレン。ヴィレンは限られた条件の中で、めいっぱいにやった。頑張った。悔いることはひとつもないんだ」
「……そう、なのかな……」
「ああ、そうだとも」
 言ってリンゴーが、笑った。
 涙がとまらないままに、笑った。
 だくだくと涙を溢れさせながら、けれどリンゴーは、思い切りにっこりと笑った。
 ヴィレンはそして、その笑顔に応えるように、唇の端を少し、持ち上げた。
「ジャキ……に、会えるのかな。会わせる顔、俺……あるのかな……」
「ああ。ヴィレンが恥じることは、これっぽっちもない。俺が保証しよう」
 ヴィレンがこっくり頷く。頷いて、呼ぶ。
「リク……リク?」
 リクは慌てて膝をつき、ヴィレンの顔を覗き込む。リンゴーがゆらりと横に退く。
「なんだよヴィレン」
「不甲斐ないリーダーで、すまなかった、な。
 後は……あとのことは、全部……チームのことも、エイミのことも、まかせるから……。もう、エイミに、あんな寂しさは味わわせないで……」
「わかった、わかったよっ。だからヴィレン、もうしゃべらないで! お願いだから!」
「いや……もう、やばい……痛みさえ、なくなってきちまった。でもなぁ……でも……」
「なんだよヴィレン!」
 ふぅ、と息を吐き、ヴィレンは、すっかり血の気が抜けて白くなってしまった唇で、はっきりとした笑みをかたちづくった。
「ここ……あったかいなあ。こんなとこ、エイミ……と……本当は、さ……」
 ゆらり、とヴィレンの首が揺れた。
 それきり、ヴィレンの口は動かなくなった。
「ヴィレン!!」
 肩を掴んで揺する。抗う力をまるで失って、ただぐらぐらと、頭が揺れる。その頭の重さが、瞬時に倍ほどにも増えたような気がした。いや、肩を掴んで支えているヴィレンの上体すべての重みが、増えた気がした。
「ヴィレン!!」
 なにが起きたんだろう。今、自分はなにをしているんだろう。真っ白になる。わからない、なにもわからない……
 がさ、と音がした。
 足元の芝を踏みしめ、リンゴーが立っていた。
「………?」
 見上げるリクの目には、逆光を浴びて黒い影になった姿しか見えなかった。
 警報が鳴り続けている。
 警報にまざって、スピーカーから誰かの声が切れぎれに聞こえてくる。
『この街は……を以て……星連軍の指導の下、戒厳令に……市長の背任……暴力組織との関連が……』
「遅い」
 リンゴーが呟いた。
「遅すぎる。いや……俺自身が、遅すぎた。判断を誤ったんだ」
『不穏勢力の排除のため……無期限の……市民の皆さんは……』
「片ぁつけてやる」
 リンゴーはそして踵を返し、今来た道を戻ってゆく。リクは、遠ざかってゆくリンゴーと、動かなくなったヴィレンを、繰り返し見比べた。そして、決めた。
「……ヴィレン。俺も行くぜ。行くから。もう、誰も……誰も!」
 後は、言葉にならない――できなかった。
 リクは胸の奥にあの黒い塊、怒りの塊が湧きあがるのを感じながら、けれどそっとヴィレンの両手を前に引き寄せ、指を組ませた。
 そして立ち上がり、リンゴーの後を追った。

(続く)