かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-12】

(承前)

「痛ぅ……」
 ゆっくりと体を起こして、イダは背中をさすった。
「あの野郎、全体重を乗せて背中をひっぱたきやがったのだな。さすがに効いた……」
 呟きながら立ち上がり、軽く上体を回す。腰にかなりの無理がきているようだ。
 だが、ここであきらめる気はない。とにかく得物を取り戻さなければ――。
 イダは“心臓”へ向かう梯子を降りた。
(この高さから落ちたら、あの銃もお釈迦になっているかもしれないが)
 けれど、あの銃がなくては“死なない男”を倒すことはできまい。
 そう、まずは必ず奴を殺す――
戒厳令、だと?)
 リンゴーの強打で気が遠くなった、その朦朧とした意識の隅に、アナウンスが流れ込んできた。その声を訊いて、イダははっきりと意識を取り戻したのだった。
(まったく、面倒なことになった)
 戒厳令。十五年がかりで育て上げた“身内”市長の逮捕。“不穏勢力”――つまりヤクザの狩り出し。
 それは、イダの目論むこの星の、そしてやがてはこの近辺の宙域の、いや宇宙全体の暴力による裏から支配を、いきなり躓かせる面倒な状況といえた。
 星連の力は強大だ。議会や司法局は、所詮は星ごとの、いや街ごとの機関でしかない。だから扱いようによっては利用もできるし、鼻薬を利かせることもできる。
 だが星連は、全宇宙規模の団体だ。そう簡単には操れない。しかもその影響力は、星々個々の統一政府のそれを、軽々と上回る。
 さらにその直属の軍隊である星連軍の力は、圧倒的だ。その星連軍が指導する戒厳令とあっては、たとえこの場に百万の私兵があったとしても、まず勝ち目はない。
 それを呼び込んだのが、あの男――リンゴーとか名乗る不死身の男だということか。
(だとしたら、なにがなんでも生かしておくわけにはいかない。それにしても……)
 あの男、いったいどういう魔法を使ったというのだ。一個人でありながら、星連軍を動かしてしまうとは。あるいは、あの噂がすべて本当だったということなのだろうか。
 あの噂――“死なない男”の話とともに届いてきた、あの噂。
“死なない男”は、星連軍の最高機密のひとつであり、それに関連して軍の研究所に巨額の支出があったのだという。現在はどうか不明だが、二十年ほど前まで軍の支出には『アップルエード』という項目があり、『購入』『保存』『成分分析』などの細目に分類されたそれは、年当たりの総額にして、ひとつの星の運営予算にも相当するほどだったともいう。
 それを聞いた時には、いくらなんでも荒唐無稽過ぎる、と一笑に付したものだ。だが、それが本当だったのなら、あの男が戒厳令を呼び寄せたことにも納得がゆく。
 いずれにしても、こんな邪魔をされて、黙って見逃がすつもりはない。たとえ野望が潰えるとしても、奴だけは生かしてはおかない。
 梯子を下りるイダの耳に、呻き声が届いてくる。下り終えたイダは、足元をまず確かめた。
 小屋でリンゴーたちを迎えうった配下のひとりが、ぐしゃりと潰れて梯子の真下に落ちている。まさかこいつが呻くはずもあるまい、と周囲を見回す。
「うう、うう……」
 イダはようやく暗さに慣れた目で、後ろ手に縛られた配下の姿を見つけた。
「なんだおまえ、こんなところで」
「あ、あっ。イダさんっ」
「……おまえか、連中を案内してきたのは」
「すみません、銃で脅されて……。そ、それはそうと、助けてくださいようっ」
「どうした」
「奴らにハメられて気を失ってたんです。そしたらなにかが上から落ちてきて、それが俺の脚に当たって! うう、それがなにかすごく重くて硬い物で……その痛さで目が覚めたんですが……折れました、脚! 歩けねえ、立てねえんです。どうか、どうか助けてくださいようっ」
(……重くて硬い物が落ちてきた、だと?)
 イダは周囲を見回した。そして、細い足場の端に、それを見つけた。
「ふ……ふふふ……」
 歩み寄り、拾い上げる。
「なるほど。おまえが体を張ってこいつを守ってくれたわけだな」
 ちょっとした奇跡だ。銃は無傷に近い。あれだけの高さから落ちたのに、どこも壊れていないようだ。こいつの脚がクッションになったということか。それに、ここより下に落ちずにあったということも、奇跡といっていい。
(どうやら風は、私を後押ししているようだ……)
「イダさん、イダさんっ。助けてくださいっ」
 イダは、芋虫のように身を捩る配下を見た。なるほど、確かに片足がおかしな方向を向いている。この銃には二kg近い重量がある、それが十五mも落ちてきて当たったのだ。よほどの衝撃だったことだろう。おそらく骨は粉々に砕けている。
「……助けたとしても」
 イダの呟きに、配下は黙り込んだ。
「おまえのその脚、一生元には戻るまい」
 配下がごくりと唾を飲み込む。
「ならば、おまえの人生というやつ、今ここで終わった方がよほど幸せだろう。歩けないヤクザなど、なんの役にも立たん。つぶしの利く商売でもないしな」
「な……なにを、なにを仰るんですかっ」
 イダはゆっくりと銃を構え、ぴたりと狙いをつけた。
「ひ……」
 身動きのままならない配下が、それでも体を反転させ、イダから離れようとする。
「なあ、聞け。人間は誰も皆同じだと思うか。違うだろう。ひとりずつが異なる顔を、体を、能力をもつ。つまり人間は、均質ではないのだ。生まれながらにして虫けらでしかない者もいるし、虫けらどもの上に君臨する者もいる」
 配下は必死で逃げる。けれど、この狭い一本道の足場の上で、しかも足が使えず、両手も縛られているとあっては、文字通り無駄な足掻きにすぎない。
「均質でない者が平等であるはずもない。支配する者、される者、それは天の配剤で最初から決まっているものなんだよ。後は、その資質をどう活かすか、だ。……いつの頃からか、私ははっきり思うようになっていた。おまえらの愚かさと、私の賢さとの差をね。そして、私は自身の賢さをどう活かすべきか、と考えるようになった」
「か、勘弁してくれようっ。あーっ。わーっ。やだ、そんなのやだようっ」
「弾が真っ直ぐ飛ぶかどうか、調べさせてもらう……君臨すべき私のためにね」
 キリキリとスプリングが圧縮され、そして轟音が“心臓”にこだました。
「ひいっ」
 弾丸はわずかに逸れ、配下の横に飛んで、足場のパイプを粉々に砕いた。
「……ふむ」
 まだ硝煙を漏らす銃を眺め、イダは呟いた。
「さすがに、完全に無傷というわけにはゆかなかったか。微妙に右へ、弾道が逸れる」
「ああ……わう……うあ……」
 配下はもう足掻くこともできずにいた。見ればズボンから湯気が立っている。失禁してしまったのだ。
「大丈夫、今度は外さない。弾薬の残りはあと五発、これ以上は無駄にしたくはないのでね。無用の恐怖を味わわせてすまなかった。ああ、後のことは憂えるな。ちゃんと功労者として祀ってやる」
 イダは言って、狙いを定め直した。
 スプリングが軋む。
 配下は虚ろに宙を眺めて、「あう……あう……あう……」と言葉にもならない声を漏らすばかりだ。
 再びの轟音、そして硝煙のにおい。
 イダは頷くと銃を内懐のホルスターに戻し、梯子を登っていった。
 後には、頭を吹き飛ばされて失ったヤクザの屍体が残されていた。

(続く)