かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-10】

(承前)

「ここだよ。ここを登りゃあ、外だ」
 後ろ手に縛られ、腰に銃を突きつけられたままのヤクザが、吐き棄てるように言った。
「なぁるほど。階段ばっかり探してたが、こういうのもあって当然だったなあ。ちょっと迂闊だったかもしれない」
 ヤクザの後ろからリンゴーが、上を見上げて言った。
 梯子、だった。
 指ほどの太さのパイプを十㎝ごとに並べて作られた直径一mほどのチューブの中に、幅五十㎝程度の梯子がある。チューブは、落下事故を防ぐためのものなのだろう。剥き出しの梯子だけよりは、遙かに安心感がある。
「それにしても、なんとまあ、まったく……高いねぇ」
 リンゴーが呆れたように呟いた。確かに、真っ直ぐ上へ伸びる梯子には、十五mほどの高さがあった。これが一フロア分として勘定されていたのなら、二十六階から二十九階までの階段の、常識外れな長さも納得がゆく。
 リクは梯子の上の端を見つめて、嬉しさを堪えきれないように言った。
「驚いてばっかじゃ仕方ないぜ。早く出ようよ、外へ!」
 リンゴーがちらりとリクを見る。
「でもリク。なんとなーくヤな気配もするんだよねえ。この兄さん、素直過ぎる気もする」
「なに言ってんだよリンゴー。銃で脅されてりゃ、誰だって素直になるよ」
「ん……それも、そうかな」
 ヤクザは相変わらず憮然とした表情のままだ。なにかを隠しているようには見えない。
 リンゴーが頷いた。
「ま、そうだね。いずれにしても、とにかく外へは出なきゃならないし、そしてその道は、今のところここしかないんだしね。行ってみましょうかね」
 言ってリンゴーは、梯子に取りついた。
「お、おいッ。俺はどうなるんだッ」
 後ろ手に縛られたままのヤクザが慌てる。
「ああそうだ、忘れてた。ここまで案内してもらった挙げ句で申し訳ないんだが、騒がれても困るんだ。少し気を失っててもらいたいんだけど、痛いのと苦しいの、どっちがいい?」
「冗談じゃねえ、どっちも御免だ」
「うーん……楽なやつはもうないんだよ。どうしたもんかねえ?」
 言いながらリンゴーがちらりと、ヤクザの背後にいるヴィレンに目配せをする。ヤクザは気づかず、リンゴーに噛みつくように言いかけた。
「俺っちの世界じゃなあ、一宿一飯の義理っていって、少しでも世話になった相手にはなあ」
 ヤクザが言い終える前に、後ろからヴィレンが首筋への一撃を決めた。ヤクザはあっさりと気を失い、そのままがっくり崩れ落ちた。
「さんきゅ、ヴィレン。……そう、一宿一飯の義理ね。だからあんたにゃ、苦しい思いや怖い思いはさせたくなかったんだ。ごめんよ。……さてと、参りましょうか」
 リンゴーは言い、先陣を切って梯子を登り始めた。
 ほどなく頂上に着く。そこには、鉄板の蓋があった。
「こいつが閉まってたらお笑いだが、まあ大丈夫だろう。……よっ、こら、しょっと……」
 梯子に足を踏ん張り、蓋を肩で押し上げる。蝶番をギギギギギと耳障りな音で軋ませながら、蓋が少しずつ持ち上がってゆく。開いた隙間から、外の明かりが入り込んでくる。
「こいつは眩しいぜ。忘れてたが、今ってまだ真っ昼間なんだよな」
 言いながらリンゴーは、もう半分以上持ち上がった蓋を、片腕で勢いをつけ撥ね上げた。
 ガシャン、と大きな音を立てて、蓋が全開になる。
「おお、久方ぶりの外の空気!」
 リンゴーは言って、ぴょこんと外に頭を出した。
 出してそのまま、動かなくなってしまった。
 下からリクが「どうしたんだよ?」と訊ねる。リンゴーは答えず、ただ半身を出口からはみ出させたまま、固まっている。
 固まったままのリンゴーが、外に向かって言った。
「……やあ、久しぶり。待たせちゃった?」
「いや、今来たところだよ。ようこそ、死に損ない君」
 イダ、だった。
 その手には大型の装薬銃が握られ、銃口はぴたりとリンゴーの額に向けられている。
“心臓”の出口は、四m四方ほどの小さな小屋の床に開いていた。その小屋の中にはふたりの猟犬ヤクザが控え、蓋の左右を固めている。
「まいったなあ、もう。なんだよ、そのオバケみたいにばかでかいハンドガンは。俺が呼んだのはキャラウェイだぜ、キャラハンじゃあない」
 リンゴーがぼそりと呟く。イダが無表情のまま言う。
「なにをわけのわからないことを言っている。まずは若様から奪ったヒートレイを寄越せ」
 リンゴーは「ちぇっ」と舌打ちし、ズボンのウエストに突っ込んでいたヒートレイを引っこ抜いて、目の前に置いた。猟犬のひとりが素早く拾い上げ、自分の腰に押し込む。
「ゆっくり出て来たまえ。後ろの連中もな」
 イダに命じられて、リンゴーは黙って穴から這い出した。
 リクとヴィレンも、後に続く。ふたりが穴から出るなり、猟犬ヤクザがひとりずつぴたりと体を寄せ、首筋に刃を押し当ててきて、言った。
「両手を頭の上に」
 リクたちが素直に従う。眩しさに慣れたふたりの目に映ったのは、小屋の出口辺りでふたりと同じように両手を頭の上に重ね、背中に銃口を押しつけられているリンゴーの姿だった。
(なんて、ことに……)
 リクは、言葉にもできない落胆と緊張にのしかかられていた。
 つい今し方、『行こう』と言ったことを悔やんだ。リンゴーの言う通りに用心していれば、こうはならなかったかもしれない……そう思うと、後悔に押し潰されそうだ。
 イダが静かな声で言った。
「君は頭のいい男だと思っていたのだが、どうやら詰めが甘いタイプらしいね」
 リンゴーがヒュウと口笛を吹く。
「ずいぶんと高いご評価だなあ。ありがたく受け取っておくよ。それにしても雰囲気が変わったねえ、イダさん。口調もだ。きっと、よほど嬉しいことがあったんだろうね。頭の上に乗っかってたわずらわしい重石を、派手なハンマーで粉々に打ち砕いちゃったって感じかな?」
 イダは無言だ。リンゴーはけれど、饒舌にしゃべり続ける。
「……で、俺たちゃこれからどうなるんだい? そろそろ昼メシ時だと思うんだが、ランチにご招待いただけるのかな。俺は、できれば肉料理がいいなあ。ここんとこ、そういうのとご無沙汰なんでね。こう、分厚いステーキなんかをさ、ぎゅぎゅっと……。いや、真っ昼間からそれは、いささか下品に過ぎるかなあ?」
「どの店も予約がいっぱいで、残念ながら君たちの席は取れなかった。申し訳ないが、君にはこいつが撃ち出す鉛で我慢してほしい……と答えておけば、満足していただけるのかな」
「いい感じにさばけたよ。お心遣いもありがたい、まったく泣けてくる」
 リクはふたりのやりとりを聞きながら、忙しく目を右へ左へと走らせていた。
 リクは、探していたのだ。
 なにかが……なにかが、必要だ。イダに一瞬でも隙がつくれればいい。なにかが、要る。
 リンゴーがイダに歯向かわない理由はわかっていた。あれだけ強力そうな装薬銃で撃たれたら、体に大穴が開きそうだ。いかにリンゴーといえども、それだけの傷を受けたらただでは済まないだろう。それがわかっているから、リンゴーもおとなしくしているのに違いない。
 けれど、このままではどうしたって、撃たれるしかない。イダがフジマを始末し、その責任をリクたちにかぶせようとしているなら、リクたちは一番の邪魔者、口を塞がなければならない相手なのだ。
 だから、なにかが必要なのだ。
 ほんのわずかでもイダの気を逸らすことができればいい。リンゴーが叩く軽口も、それが見つかるまでの時間をなんとか稼ごうとしてのものなのだろう。
 そしてなにかが見つかれば、リンゴーが、あるいはヴィレンが、必ず突破口を切り開いてくれるはずだ。なにかがないか。なにか、気を惹けるものはないか……。
(ないなら……ないのなら)
 つくるしか、ない――か。
 この窮地をつくったのは、自分だ。だから自分がなにかをしなければならない。
 首筋に当たる刃が冷たい、その冷たさは、ストレートに危険を、いや、死を予感させてくれる。けれど、それでも自分が、この場面の責任を取らなければいけないのだ。
 ならば、どうする? 大声でも上げるか? それとも暴れるか? それとも……。
「とにかく君たちには、ここで死んでもらうよ。大丈夫、君たちの死は無駄にしない。私が十分以上に活用させてもらう」
 イダが言い、引き金にかけた指に力を込めた。スプリングが圧し縮められるキリキリという音と、部品同士が擦れ合うカリカリという音が、やけに大きく聞こえてくる。
(もう……もう、迷ってる暇はない!)
 リクが大きく息を吸い込んだ、その瞬間だった。
 ヒュウウウ……ヒュウウウ、と、甲高く大きな音が、小屋の外で鳴り響いたのだ。

(続く)