かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#4-13】

(承前)

「さて……」
 小屋に戻り、イダは呟いた。まだ警報は鳴り続けている。狩り出しが実際におこなわれているなら、この辺りにもやがてその手が伸びてくるだろう。どうする。まずは“下”に戻って態勢を立て直すか。それとも……。
(とにかくここから遠ざかることだ)
 開けっ放しになっていた扉をくぐり、イダは外へ出た。
 その時だ。
「ちょおっと、待ったぁ」
 はっきりとした声が、イダの耳に届いた。
 イダは声のした方を見た。
 そこにはリンゴーが、公園の立木に寄り掛かり、腕組みをして、立っていた。
 リンゴーは首を斜めに傾げ、イダを見ている。その目が、恐ろしく熱い。
「ふむ」
 イダは声に出して言った。
「つくづく君は手間を省いてくれるね。わざわざ姿を現してくれるとは」
「あんたこそ、戒厳令にもかかわらず律儀に俺を追おうと思ってくれているようだね。無駄に捜し回らずにすんだよ」
 イダはゆっくりと懐に手を入れ、銃を抜き出した。ふたりを隔てる距離は十数mもない。狙って外すことのない距離だ。
 立木に寄り掛かっていたリンゴーが、軽く弾みをつけて、真っ直ぐに立った。
「よぉく狙って撃つんだぜ。チャンスはそう何度もない」
 リンゴーはまるで焦りもせず、腕組みからほどいた手を腰の横にぶらんと垂らし、指を軽く握ったり開いたりさせているだけだ。
「言われるまでもない」
 イダは言い、一気に引き金を引いた。
 轟音がとともに銃が火を噴く瞬間、ゆらり、とリンゴーが体を揺らした。体の中心を狙ったはずの弾丸が、わずかにリンゴーの左腕をかすめて飛んでゆく。
「くっ」
 リンゴーの喉から短い声が漏れた。
 弾はかすめていっただけなのに、上腕からパッと血飛沫が上がる。見れば肉もひと握りは吹き飛んでいる。
「リンゴー!」
 後ろから声がした。リクが追いついてきたのだ。
 リンゴーが振り返りもせずに叫んだ。
「ここは!」
 その声に気圧されて、リクが立ち止まる。
「俺にまかせておいてくれ。俺の不始末だ。俺が自分でケツを拭く。リクは証人として、そこで全部、見ていてくれ」
「でも……」
「駄目だ、手を出すな!」
 リンゴーが命じるのと、イダの銃が吠えるのとが、同時だった。
 再びリンゴーの左側に逸れた弾丸が、けれど今度は、確実にリンゴーの左肩に噛みついた。
「あぁッ!?」
 リクの目前で、リンゴーの上体が激しく揺らぎ、左腕が付け根から千切れ飛んで、芝生の上にどさりと落ちた。
「り、リンゴー! 腕! 腕が!」
 リンゴーの肩から血が噴き出す。顔色が見る間に青ざめてゆく。けれどその目は、わずかも鋭さを失っていない。いや、むしろ熱さを増して、爛々と光っている。
「……許せねえのさ」
 リンゴーが呟いた。
 イダの眉間に、ちらりと険が浮かぶ。
「俺は許せねえのさ。俺がね。死なない、けれど生きてはいない……そんな甘っちょろいことを考えてた俺がね」
 イダは銃を構えたままだ。
「そう、俺は結局、忘れちまってたのさ。生きる……生きてるってことをね。
 俺がもしそれをちゃんと憶えていたなら、ヴィレンをあんな目に遭わせることもなかったはずなんだ。そう、自分が死なないもんだから、俺はひとの身に降りかかる災難にも鈍感になっちまってた。そんな俺の莫迦さ加減が、俺は許せないんだ。
 ……今、すげえ痛い。腕一本が吹き飛んで、気を失いそうなほどに痛いんだ。……でも、この程度の罰じゃ足りない。まるっきり足りない。足りないが……けれど、せめてこれぐらい甘んじて受けなきゃ、申し訳がなさすぎる」
 ふふん、とイダが笑う。
「気を失いそうならば失えばいい。眠っている間に、二度と目覚めないようにしてやろう」
 リンゴーはイダを睨みつけた。そしてそのままリンゴーは、にぃーっと笑った。
「だがね」
 リンゴーがゆっくりと前に歩き始める。
「もっと許せない奴もいるのさ。命を、生きるってことをオモチャにして遊んでるような奴さ。誰にでもたったひとつしかない命を弄んで、ひとを操ろうとかする奴さ」
 再びイダの銃が吠えた。リンゴーは横っ飛びに避けて、地面に転がった。
「イダよぉ。俺ぁ、おまえだけは許せないんだよ!」
 イダはゆっくりと狙い直す。リンゴーは地面に両膝をついたままだ。
「君に許してもらおうとは思わない。いや、私は誰に許される必要も感じない、私を裁き私を律することができるのは、私だけだ。……これで最後だ。不死身の怪物とはいえ、頭を吹き飛ばされればさすがにただでは済むまい? 楽にしてやろう。さようなら、だ」

 バン!

 大きな音が、公園に鳴り響いた。
 リクの目に、ゆっくりと、まるでハイスピード撮影の画像のようにゆっくりと、後ろに吹き飛ぶ、イダの体が、映った。
「な……に?」
 地面に仰向けに倒れたイダが、信じられない、という顔で呟いた。
 リンゴーの右手に、拳銃が握られていた。
「あ……あれは!」
 リクは思い出した。ヴィレンがリンゴーを撃った時の――エトーから手渡された銃!
「ブーツの中ってのは便利なもんだね。この程度の小さい銃なら、隠しておける。……とはいえ、申し訳ないことをした。俺はもともと左利きなんでね、右手での銃の扱いは少々下手なんだ。一発では仕留められなかったな」
 リンゴーがゆっくりと立ち上がる。銃口はぴたりとイダに向けられたままだ。
 イダが倒れたまま、首だけを起こしてリンゴーを見る。
「……なんと、それは……。そんな物を、持って、いたか」
 リンゴーは一歩ずつイダに近づいてゆく。
「物持ちがいいのが自慢でね。……どうだいイダさん。自分自身に死が訪れる瞬間ってのは」
 イダの背から流れ出る血が、止まらない。白い玉砂利の上にどんどん広がって、大きな溜まりを造ってゆく。
 イダは首の力を抜き、空を見た。
「ふ……」
 イダが急に声をあげた。
「ふふ……ふ……ふふふふ……」
 リンゴーはただ無言で、イダの数歩手前で立ち止まり、改めて狙いをつけ直した。
「おまえら賤民の自由にはさせん! 選ばれた者である私のけじめは、選ばれた者である私自身がつける!」
 言うなりイダは、自身が握る銃の銃身を自らの喉に押し当てた。
 轟音が鳴り響き、辺りに血煙が舞った。
「ふぅん……そうか。そうきたか」
 呟いてリンゴーは、握っていた拳銃を、頭のないイダの屍体の上に放りなげた。
「つまんねえ奴だったんだな、あんた。とことん」
 そして、そのままがっくりと、その場に両膝をついた。
「リンゴー!」
 リクが駆け寄ってくる。その顔を見上げて、リンゴーがうっすらと笑った。
「ああ……リク。どうやら終わったみたいだね。これで、全部」
「そうだね。終わったんだ……全部」
 リンゴーは俯いた。笑顔のままではある。けれど、いいようのない寂しげな色が、顔に、いや体中にまとわりついている。

(続く)