かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【インフルエンス】(中後編)

 アイツから電話がかかってきたのは、女史の件があってから半月ぐらいあとだった。
 その間アイツは、学校にほとんど姿を見せなかった。ボクは、どうしたんだろう? と思いながら、けれどこっちからは連絡せずにいた。人気者のアイツのことだから、ボクなんかがしなくても、誰かが心配してるハズだと思ったからだ。
「本当は会って話をしたいんだけどな。ちょっとやめといた方がよさそうなんでね」
 そう言うアイツの声には、ちょっとタダ事じゃない色があった。
「銀行強盗のヤツ、女史……このふたつの件について、ちょっと調べたりしてたのさ。あんまりにも気になったんでな」
「へえ、そうだったんだ」
「あのな、あのふたり、実は繋がりがあったんだよ。オマエ、知ってたか? 女史とヤツが、こっそりつきあってたってこと」
「………」
「そうだろうな。知ってたのは、ほんの少しの、ふたりとごく親しい連中だけなんだ。オレもいろいろ調べてみて、初めて知った」
「ふぅん」
「……で、ここからが本題なんだけどさ。オレとヤツが、同じ研究室にいた、ってことはもう話したよな」
「うん」
「そこで何やってたかってことなんだ。オレたちの専攻は分子生物学なんだけど……」
「聞いたことある。最近、ちょっと複雑なことやってるって言ってたよね」
「ああ。実は教授に言われて、ウイルスの遺伝子いじくってた」
「え!?」
「いや、それを生き物に組み込んでどうこうって話じゃないんだ。ホントに単純で、大したことない実験さ。でも……」
「でも?」
「もしかしたら、万が一……いや、億かそれ以下の確率で、それが、バイオハザードを起こしたのかもしれない、ってことなんだ」
「あり得ない」
「常識的にはね。だが、DNAの機構についちゃ、まだまだわからないところが多い。今回の実験に関しちゃ、特に不安が多い」
「それじゃ、ヤツの銀行強盗と、女史の事件とは、バイオハザードの結果だってこと?」
「可能性が、ある。そして……オレ自身にもその可能性がある、ってことなんだ」
「そんな……。だいたい、バイオハザードっていったって、人間に犯罪を起こさせる伝染性の病気なんて、あるわけが……」
「いや、可能性はゼロじゃない。もしそれが脳に影響を及ぼす何かだった場合にはね。
 たとえば、フィネアス・ゲージの症例ってのがある」
「何それ」
「事故で、大脳前頭葉に損傷を受けながら、生存した人なんだ。だが事故後、つまり前頭葉イカれてから、人格が変わった」
「どんな風に?」
「事故以前には、人格者とまではいかないもののきちんとした人だったゲージは、事故後、知性と衝動のバランスを失った。欲望を抑制する能力を失っちまったんだ。行動も言動もバラバラになった。すぐ怒り、やることに一貫性がなく、でも自身の当座の欲望には忠実……って人間になっちまったのさ」
「へえ……」
「テキサスタワー乱射事件のチャールズ・ホイットマンの例はもっと悲惨だ。1966年、テキサス大学の時計塔に立てこもったチャールズがライフルを乱射して、15人を射殺した事件だ。チャールズは現場で射殺されたが、後の解剖で、チャールズの脳にできた腫瘍が脳の扁桃核を圧迫して、暴力的な衝動を誘発していたらしいことがわかった」
「………」
「つまり、脳が物理的な物体である以上、脳に何らかの物理的障害が起きることで、人間の人格や行動は大いに変わるんだ」
「うん」
「もしオレたちがいじくってたDNAが、偶然そういう影響をもたらすウイルスにでもなってたら――知ってると思うが、ウイルスは剥き出しの遺伝子が勝手に自己増殖してるようなシロモノだ――、そういう事件をひき起こす可能性は、ある」
「そんなのバカげてるよ。いくらなんでも、学生が適当にいじくったDNAが、そんなすごいものになるわけないよ」
「ああ、オレも本当はそう思う。でも、ヤツと女史のやったことを調べる限り、どうしても“理性的なタガが物理的に外れて、欲望のままに振る舞った結果”にしか思えない」
「うん。そういえば女史って、実は前からショタの趣味があって、そういう本とかもけっこう集めてたんだよね」
「ワイドショーでも見たのか? その通りだよ。でも女史にはモラルも羞恥心もあるから、それを表にはまったく出さなかったわけだ。けれど、そういうタガが外れたら、ああいう行動を採ってもおかしくないだけの素地が、実は、女史にはあった……」
「そのタガを外したのが、ウイルスだっていいたいの?」
「あくまでも可能性のひとつだ。だが、オレにとってはかなり高い可能性だ」
「どうして」
「俺はヤツも女史もよく知ってる。どういう事情があれ、ヤツらがあんなことをするとは思えない。たとえいきなり『あなたは明日死にます』って言われても、特に女史なんかは、まず欲望剥き出しに振る舞うことはないだろう。それだけ彼女は、しっかりした理性のもち主だったんだ。
 でも彼女は、やった。である以上は、彼女の理性を吹き飛ばす強烈な……おそらくは物理的な事情があった、って考えるのがスジだと俺は思う。
 じゃあ彼女は、なぜ感染したのか? それは、銀行強盗ヤッたヤツとつきあってたからだ。ふたりはガキじゃないんだから、それなり以上に“密接な接触”があっただろう。ならば、感染力の弱いウイルスでも、充分に伝染する可能性がある」
「……なるほど」
「で、今日、オマエに直接会わずに電話で話してるって理由も、わかってもらえると思うが……つまり、それがバイオハザードならば、オレにも感染の可能性があるってことなんだ。……おい、聞いてるか?」
「うん」
「いや、ちょっと心配になってね。なんだかオマエ、普段にも増して覇気がないっていうか、元気がないみたいだ。声が虚ろだ」
「いや、大丈夫。それよりも……」
「オレか。今のところは、大した兆候も感じない。だから本当に、オレの気のせい、考えすぎなのかもしれない。けど、もしこれが本当にバイオハザードで、人から人へ感染するものだとしたら……」
「大変だね」
「そうだ。大変なことだ。伝染する狂気だ。これが蔓延したら、人類は終わりだ」
「………」
「杞憂かもしれない。だが、何度も言うように可能性はゼロじゃない。オレはこれから、教授のところへ行こうと思ってる。オレの考えを話してみる。笑われるかもしれないが、そうじゃないかもしれない。少なくともオレが感じる大きな可能性のひとつではあるんだから、まずどうにかしておきたいんだ」
「……そう。教授に会うんだ。でも前、言ってたじゃない?『教授にはどうも信用できないところがある、オレにしては珍しくキライな相手だ。唯一、シメてやりたいと思ったことのある相手だ』って。そんな相手に相談して、いいの?」
「ああ。確かにその通り、オレにとって教授は好きな相手じゃない。専攻がカブらなければ、口も聞きたくない相手ではある。でも、この件に関してだけは、信用できる。知識も実績も判断力もある人だ。人間としては、ガマンならないところがあってもね」
「……会わない方がいいんじゃないかな」
「そういうわけにはいかないさ。それにそもそも今回の実験は、教授のアイディアによるものなんだ。多分、誰よりもこの件については、詳しいハズだ」
「そうか……。でも、なぜボクにそんなことを話してくれたの?」
「ああ。実はあの件以来、一番長くいっしょに過ごしてたのがオマエだからさ。もしもの時のために、リストを作った。感染させたかもしれない相手のね。オマエはその筆頭だ。もし伝染してたらどうしようもないが、何も知らずにいるよりはいいだろう?」
「……心配してくれてるってこと?」
「そうだ、もちろんだ。心配してるのさ、オマエをね。……じゃあ、そろそろオレ、教授のとこに行く。さよなら」
 電話は、切れた。
 そしてボクは翌日、アイツが教授を刺し殺したっていうニュースを見ることになる。

(続く)