かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【インフルエンス】(後編)

 伝染する狂気。ウイルスが脳の異常をひき起こし、自制が利かなくなる病気。
 そんなの、ありっこない。
 絶対に……とはいわないけど、少なくとも今の時点では、それはないはずだ。
 銀行強盗のヤツと女史の関係。ヤツとアイツの関係。アイツと教授。確かにそれは、奇妙な繋がりをもってる。
 でもそれは、アイツの視点から見たら、ってことに過ぎないんだよね。
 ボクの視点からは、もうちょっと違う繋がりが見える……。
 たとえば女史は、ボクを振った。交際を申し込んだボクを、省みなかった。そのあとで、ヤツとつきあい始めたんだ。
 女史がショタ趣味なのは知ってたさ。そして、それなのにヤツとつきあった、ってことも。そう、ボクは知ってた。アイツは知らなかったろうけど、ボクとヤツと女史の間には、そんな“関係”があったんだ。もっとも、女史やヤツがそれを“関係”と認めるとは思わないけど。そう、ボクは結局、その程度の存在でしかないんだから。
 ただボクは、女史がボクを『同い年ぐらいの子には興味ないのよ。何か大きな魅力があれば別だけど』って嘲ったことと、なのにヤツとつきあったってことは、知ってる。
 それから、アイツ。
 アイツは優しい。でもアイツは、誰にでもそうなんだ。誰にでも優しくて、ボクなんかその中の、ごくちっぽけなひとりに過ぎない。そしてアイツは賢い。みんなに好かれてる。ボクとは大違いだ。その上アイツは、正しい。いつだって必ず、正しかった。ウイルスの件以外は。
 そんなアイツも、ひとつ重大なことを知らない。それは、アイツがいつもの調子でボクに優しくすればするほど、心配してくれれば心配してくれるほど、正しく振る舞えば振る舞うほど、ボクにはアイツが、憎く思えてしまえてたってことだ。
 ひとを愛し、愛されて、いつも華やかに、そして正しく強く生きてきたアイツには、ボクの無力感、孤立感……いや、もっと単純にいえばヒガミ心とか嫉妬とかの気持ちとかは、きっと理解できない。
 そうだよ。アイツが気遣ってくれるたび、ボクはひどく落ち込んでたんだ。それはもう、ことばにもできないぐらいにね。
 そんなアイツが、教授だけは嫌ってる、って知った時には、『やった!』って思うと同時に、『ちくしょー!』とも思ったさ。
『やった!』って思った理由と『ちくしょー!』と思った理由は同じ。それは、アイツがボクと同じ人間だったんだ、ってことがよくわかったってことだ。
 憎しみと本当に無縁だったら、それはもう人間じゃない。神だ。それこそ、あり得ないことだ。でもアイツは、それをもってた。人間なんだ。ボクと同じだ。やった!
 でもアイツは、ただの人間じゃない。人間としていくだけいけてる、本当に上の方の存在だったんだ。ちくしょー!
 教授への憎しみをアイツがもってるって知った時、アイツがボクと同じ人間で、それなのにボクとは比べ物にならないぐらい優秀な存在なんだ、ってことが、痛いぐらいハッキリしちゃったってことさ。
 だから……。

 あの日、あのホームレスが、とうとう死んじゃってた。理由はわからない。ただ、公衆便所の外壁にもたれて、あのホームレスは、ぐったりと動かなくなっちゃってたんだ。
 ボクは、迷った。すぐ誰かに報せるか、それとも……って。
 そう、気になってたんだ。あの袋の中身がね。もしすぐ通報したら、それはボクの目にはきっと触れない。でもボクは、あのホームレスがあんなに大事にしてたもの、生き甲斐みたいに扱ってたものが、いったい何だったのか、どうしても知りたかった。
 ……ボクは袋を取った。そして、逃げた。誰も見てない場所へ行き、隠れて、中を覗いた。
 中にあったのは、ヘンなカタチをしたモノだった。薄汚れて歪んだ、置物みたいなモノだった。こんなモノを、あのホームレスは、なぜ?……って思うような、ごくごくみすぼらしいモノだった。
 ボクはキツネにでもつままれたような気分になりながら、袋の中に手を突っ込んだ。そして、それに、触れた。
 その途端に、全部がわかったんだ。
 それは神秘のアイテム。それに願えば、誰かの理性を破壊できる力を備えている。
 どういう仕組みで? そんなことは知らない、わからない。でも触れた途端、それがそういうモノであることが、ボクにはわかったんだ。
 イヤな感覚は、あった。それを使ったら、ボク自身もどうにかなるんじゃないか、ペナルティがあるんじゃないかっていう予感めいたものが。でもそれが具体的にどんなものなのかは、わからなかった。
 わからなかったけど、ボクはそれを、使った。
 ヤツに……ボクから女史を奪ったヤツに、理性を失ったゆえに訪れる破滅を。ボクを相手にしなかった女史にも、破滅を。ボクはそれを、願った。
 そして、それは、実現した。
 実現した時、ボクは気づいた。
 削れてる。ボクの命が。
 からだが重い、思うように動かない。気分も悪い。いや、風邪とかとは違う。それこそ本当に“命が削れてる”としかいえない、独特な感覚。それは、そう、袋の中のモノに触れた時にいきなりその意味がわかったみたいに、理屈じゃなくはっきりとわかったことだった。
 そうか。これがペナルティか。
 そりゃそうだよね。ひとに破滅をもたらすんだもの。それぐらいのペナルティは、あって当然のことだよね。
 それで、あのホームレスが袋を大事にしていた理由も、なんとなくわかった気がした。
 あれは生き甲斐なんかじゃない。畏れとか、後悔とか呼べるものだったんだ。
 おそらくあのホームレスも使った、使って初めて意味を知った。そして、畏れた。モノ自体を、そして自分がしてしまったことを。
 けれど、だからといってモノを手放すことはできない。誰かが持っていってしまうことも、恐ろしい。それでいつも、あんな風に、抱え込んでいたんだ……。
 ボクも畏れた。もう使うまい、とも思ったさ。でも……だけど、アイツが……。
 なんでボクの心配なんかするんだ。
 なんでそんなに、優しいんだ。
 腹が立つじゃないか。自分がみじめで。
 ひとを破滅へ導いたボクが、あんまりにも情けないじゃないか。
 ちくしょー!
 アイツのニュースを知る前に、ボクはもう気づいてた。体力が……生命力が、またガクッと落ちた気がしたからだ。その時ボクは、確信した。これでアイツも終わった、って。
 ざまあみろ、だ。
 ざまあみろ……。

 さて……ボクはこれからどうしよう。
 全身に力が入らない。そう長くはないんじゃないか、って気がする。
 それにしても、たった三人か。たったの。
 ボクのアタマに、無数の顔が浮かぶ。今までボクをないがしろにしてきた連中の顔だ。
 あいつにも、あいつにも、あいつにも……本当は、破滅をもたらしてやりたかった。
 ……ん。待てよ。そうか。
 どうせクタバるんなら、別に命の残量を気にする必要はないな。個別に狙う必要もないのかも。そういえばアイツがおもしろいことを言ってたじゃないか。
『これが蔓延したら、人類は終わりだ』
 ……それ、いいかも。いけるかも。
 ボクはそして、例のモノを全身で抱きしめた。そして、願った。

(了)