かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#1】誕生−05

(承前)

 その晩、由衣は一睡もできなかった。
 瞼を閉じると、テニス部の部室で絡み合う舞唯と高崎の姿が、鮮やかに脳裏に浮かぶのだ。
 それでも無理やり眠ろうとすると、心の中に、どう表現していいのかわからないどす黒い感情がわき起こってくる。そんな気持ちを抱く自分自身が、恐ろしかった。
 でも、だからといって、何をすることもできない。ただ目を閉じたり開いたり、ベッドの上に起き上がったり横になったり……そうしながらずっと涙を流して、由衣は一晩中を過ごした。
 朝になって、母親が由衣を起こしに来た。だが由衣は、
「気分が悪いから、今日は休む」
 とだけ言って、母親を追い返した。
「調子が悪かったら、お医者さんに行きなさい。保険証、テーブルの上に置いとくから」
 母親はそう言って、仕事に出掛けた。由衣の母は、契約社員としてある会社に勤めている。会社勤めの父親の稼ぎは充分以上であり、母親は特に仕事をしなくてもいい立場ではあった。だが母親には、外に出るのが趣味のようなところがあるのだ。
 中学生の隆はもちろん、父親も、定時には当然、家を出る。
 だから、朝のひと時が過ぎると、由衣は、家に一人きりになることができた。
 誰もいなくなる頃合いを見計らって由衣は階下に下り、まず洗面所の鏡を覗き込んだ。
(……ひどい顔)
 一晩中泣き続けた由衣の瞼は、見事に腫れ上がっていた。目も血走って、まるで気のふれた女のようだ。なのに眠気は、今もまるでない。
 由衣はざっと顔を洗い、水を飲んで、部屋に戻った。
 再びベッドに乗った由衣は、膝を抱えて座った。
 頭の中は、ぐちゃぐちゃだ。一晩の徹夜で、かなり精神的にも肉体的にも参っているらしいことが、自分でもよくわかる。思考が形をなさない。ただ、舞唯と高崎の淫らな姿だけが、繰り返し頭に浮かぶ。全校生徒の嘲笑もまた、耳の奥にこびりついている。
(あんなコトするなんて……先輩も、舞唯も!! ひどいよ、ひど過ぎるよ。みんな最低だよ、大っ嫌いだよ……)
 心の中で毒づきながらふと顔をあげた時、舞唯からもらった革のファイルが目に入った。
 それは本棚の、まだ本を詰め込んでいない空きスペースに、ちょこんと置かれていた。
 気持ちが一気に膨れ上がったのは、その時だ。由衣は立ち上がり、床を蹴るように歩いて、そのファイルを手にとった。
「こんな……こんなもの、私に渡して……。きっと舞唯は、あの頃から、先輩とあんなコトばっかりしてたんだ!! 私が、先輩のコトで悩むの見て、笑ってたんだ!! 馬鹿にして!! 許さない……許さないから!!」
 声に出して叫び、由衣は、そのファイルを床に叩きつけようとした。
 その時だ。
『いけない』
 誰かの声が、耳元に聞こえた。
「え!?」
 由衣はびっくりして、周囲を見回した。
 誰かがいるはずはない。きっと、疲れてるから空耳を聞いたんだ──由衣はそう思い、もう一度ファイルを、今度は窓から投げ出そうとした。
 と、また聞こえたのだ。
『棄ててはいけない!!』
 由衣は、ごくりと唾を飲み込んだ。
 由衣は、改めてそのファイルを見直した。
 そして、初めてそれを舞唯から受け取った時のように、ゆっくりと、開いた。
 中には相変わらず、汚れた羊皮紙が挟まっている。それをじっとにらみつけているうちに、由衣は、はっと気づいた。
(これ……変な文字だと思ってたけど、よく見ると、ただのアルファベットだ!!)
 その通りだった。奇妙な飾りをいろいろと付けて、それとはわかりにくいよう形を変えてあるものの、書きつけられた文字は、確かにごく普通のアルファベットなのだ。
(これが……Aよね。こっちが……D……)
 由衣は、無心にその“暗号”を解読し始めた。
 文字を普通のアルファベットに直し、別の紙に書きつける。だが、そのままでは意味がわからない。しばらくそれを眺めていると、どうやらそれは、中心から外に向けて、螺旋状に文字を並べたものであるらしいことがわかってきた。
 その順列に従って、改めて文を書き直してみる。
(英語だわ。これなら、英和辞典があればなんとか訳せそうだ)
 由衣は、その作業に熱中した。少なくとも、それに熱中しているうちは、舞唯たちのことを思い出さずに済むと、本能的に感じていた。
 文には、古語らしい言い回しが多かった。だが、それでもどうにか大意は掴めた。
(嘘……。こんなのが、本当にあるなんて)
 すべての作業を終えた時、由衣は少し寒けがした。
 悪魔召喚術。
 それが、その羊皮紙に記されていた内容だった。それも、観念的な話ではなく、ごく実用的で、由衣にも実行できそうな方法だった。
(夜中に、自分の血を九滴混ぜた水で、この図形を地面に書いて……呪文を唱えて……)
 その方法を反芻しながら、由衣は、どきりとした。
(私、悪魔を呼び出そうとしてるの? 呼び出して……どうするつもりなの?)
 その答えが、あまりにもストレートに自分の頭に浮かび、由衣はまたぞっとした。
(私、復讐しようとしてる。舞唯に、高崎先輩に……復讐を!!)
 由衣は、あわてて解読した暗号を裏返しに伏せ、ベッドに戻った。
(……落ち着いて。落ち着いて、私。こんなのウソに決まってるじゃない。悪魔なんか、この世にいるはずないじゃない! それに、復讐なんて……そんな恐ろしいこと……)
 必死で否定する。頭を激しく振り、瞼を閉じる。
 だが、そうすると、今度は昨日見た光景が、そして言われた言葉が繰り返し思い出されて、どんどんつらくなってゆく。
 逡巡は、そう長く続きはしなかった。
 やがて由衣は、立ち上がった。そして、服を着替えると、財布だけを持って家を出た。
(まずは、材料を揃えて来なくちゃ。何種類かのハーブが必要だわ。確か、あのアクセサリー屋にあったはず。それに、聖書とナイフ……)
 街に向かった由衣は、自分の中の衝動にまかせて、“準備”を始めたのだった。

(続く)