かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#4】邂逅−03

(承前)

 男たちの顔が、歪んでいた。
 屈曲率の違う何枚かのレンズを組み合わせ、わざとバランスを崩して被写体を捉えるカメラがあるなら、それに映された顔はこうなるのだろう。どの顔にも、いくつかの傷が見えた。その傷からは、おぞましい暗色をした、肉とも虫ともつかないものがはみ出し、もぞもぞと蠢いている。
「えへへへ……そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。今すぐ、イイ気持ちにしてやるからさあ。だから、ね? こっちにおいで。来なさいッ」
 男が勢いよく腕を引っ張った。由衣はひきずられて足を絡ませ、転んだ。ゴツッと硬い音を立て、由衣の膝が床を打った。
「あッ」
 骨に響く感覚が、脚に走った。同時に、横に控えていた男が由衣の腰を掴んだ。由衣はそのまま、床へうつぶせに押し倒された。
「や、や、やーっ! やめて、お願いっ。やめないと……やめてくれないとぉっ」
 今度こそ殺してしまうかもしれない。自分が、やってしまうかもしれない。
「やめてくれないと、どうなっちゃうのかなあ? 知りたいぜぇ。知りたいから、こんなことしちゃったりして」
 腰を掴んでいた男が、由衣の穿いていた白いキュロットスカートを強引に引き下ろした。キュロットは、バツバツッと糸の裂ける音をたてて、一気に膝の辺りまで脱げた。
 その時、由衣の頭の中に、再びあの声が届いた。
『……あんたじゃないみたいだね』
 由衣は押さえつけられたまま首を左右に振り、どこにいるかすらわからないその声の主を探した。だが見えるのは、薄汚れた店の、さらに汚らしい床や椅子の脚ばかりだ。
 その刹那、由衣の脳裡に恐ろしい記憶が蘇った。思わず由衣は、叫んでいた。
「誰なの? まさか……まさか!!」
 同族……悪魔!?
 そうだ。この声の感触には、憶えがある。あの声……悪魔が、直接に心に飛ばしてくる声だ。あの時、舞唯が語りかけてきた、あの声と同じ感触だ。間違いない。
 由衣は男たちの歪み爛れた顔を見回した。
 この男たちが、みんな悪魔なのだろうか。
 いや、それにしてはやることも姿も中途半端だ。
 悪魔は言っていた、一番喰べ応えがあるのは、憎悪とか恨みとかの、どす黒く卑しい感情だと。そのために人の心を操ることもできる、と……。
(じゃあ、この男たちの影に悪魔が控えていて、この男たちを操っているの? 舞唯が私や高崎先輩を操ったように、誰かがこの男たちを操っているの?……あの女の人や私を、少しでもおいしい喰べ物にするために)
 だとしたら、かなわない。勝ち目があるはずもない。
 由衣は瞼を閉じ、全身の力を抜いた。勝ち目、なくていいのかもしれない。このまま終わってしまうのも、いいかもしれない。うぅん、その方がいっそ……。
「そうそう、おとなしくしてればいいんだからね」
 男は下卑た笑い声を漏らしながら、器用に由衣をひねって仰向けにさせた。
『……あんた、なんか変だね』
 また声がする。心なしか、最初に聞こえた時に比べて、少し柔らかさを含んでいるような気がする。
『まあいいや。ちょっとお節介させてもらうよ』
「ふげ」
 唐突に男の一人が、奇妙な声を漏らした。
 由衣は閉じていた目を開き、その声を発した男を見た。
 由衣の頭上で腕を掴んでいた男だ。男は奇妙な声とともに尻餅をつくなり、後ろに転がって由衣の視界から消えた。続いて今度は、由衣の足首に絡みつくキュロットを抜き取ろうとしていた男が声を漏らした。
「えけっ」
 その男はビクンと全身を引き攣らせ、四つん這いの恰好でぶるぶると震え始めた。そして男はそのまま横倒しになり、発情した牡犬のようにかくかくと腰を揺すった。
「あぁ!? な、何した? おまえか? おまえ何をしたんだぁ?」
 うろたえたもう一人が立ち上がり、由衣の顔を蹴飛ばそうとした。だが、その爪先が前に振りだされた瞬間に、この男もまた、
「くゎ、くゎ、くゎ、くゎ……」
 と甲高い声をあげ、重心を崩して後ろざまに倒れた。照準を失った男の爪先が、由衣の頬をかすめて、宙を泳いだ。
 がらんがらんと派手な音を鳴らしながら、男は、撥ね散らかした低いテーブルと椅子の中に埋まると、やはり腰を突き出して、背を反らせた。
「ど……どういう、こと……?」
 由衣はゆっくりと立ち上がり、床に転がった男たちを見た。
 どの男たちもすでに意識を失い、あの奇妙な腰遣いも止めて、ぐったりしている。顔も、もう歪んではいない。
 いや、それだけではない。傷も、そこからはみ出し蠢いていたはずの汚物も、きれいさっぱり消えていた。代わりに男たちの顔には、どこか無邪気な、子供の寝顔にも似た安らぎと弛緩が浮かんでいる。
 いったい誰が、どうやってこの男たちを倒したのだろう?
 そうだ、奥の女のひとは?
 由衣が振り返ると、そこには、剥き出しの尻を高々と掲げて、床につけた顎と膝で無様な三角形を作り、ぶるぶると震えている男の姿があった。女の姿は、ない。
 え? えっ?
 由衣はきょろきょろと店内を見回した。
「とにかくあんた、スカート穿きなさい。あんまりみっともいいもんじゃないよ、女の子がぱんつ晒して突っ立ってるってのは、さ」
 店の扉の方から、声がした。頭に直接飛んでくる声ではない。ちゃんと耳を通して聞こえてくる、音としての声だ。
 見るとそこには、最前まで犯されていた裸の女を肩に担いで、見覚えのない女が一人、立っていた。
「あなた……誰?」
 由衣はまじまじとその女を見た。
 背は高からず低からず。どことなく今風ではない、少し野暮ったい服を着ている。だが、そのすらりとした肢体がモデル並みに見事なものであろうことは、その服越しにもわかる。
 長く、真っ直ぐな髪が腰の辺りまで伸びていた。その色は、漆黒。肌は髪とは対照的に抜けるように白く、顔だちはどこか人間離れして整っている。
 すらりと通った鼻筋、わずかな笑みを浮かべた薄い唇、尖り加減の顎の先……その全体の印象には、食肉目の獣を思わせる鋭いものがあった。
 そして、切れ長の目の奥の、吸い込まれそうに深い暗さを湛えた瞳が、一直線に由衣を見つめている。
「いいからスカート穿きなさいって。そんな恰好じゃ、外に出られないでしょうが。こんな居心地悪い場所、とっとと出たいと思わないの?」
 重ねて言われ、由衣はようやく自分の今の姿を思い出した。
 慌てて足元にくしゃくしゃになっているキュロットを拾い上げ、脚を通す。だが、無理やり脱がされた時にボタンが飛んでしまって、ウエストが止まらない。
「仕方ないねぇ。後で直してあげるから、ちょっとの間はそれで我慢なさい。じゃ、こっちに来て手伝って。このひとにも服、着せてやらなきゃ」
 黒髪の女は言い、肩に担いでいた女をテーブルの上に横たわらせた。

(続く)