かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#4】邂逅−04

(承前)

 質素な部屋だった。
 いや、質素という言葉は当てはまらないのかもしれない。求めるものはあれど自制し、極力省いた様子が質素であるなら、この部屋は明らかに違う。この部屋には、そもそも必要がないから物がないのだ。
 殺風景というのか、それとも空疎か……いずれにせよそこは、ひどくがらんとしていた。
「ここがあたしの今の住処だ。どうもさっぱりし過ぎちゃってるけどね。とりあえず居られる場所ってのは必要だから、借りてる」
 黒髪の女は言い、由衣を振り返った。
 由衣は、玄関から見える室内の、あまりにも乾いた雰囲気に戸惑い、入っていいものかどうか迷っていた。
「早くあがんな」
「あ……はい」
 女の笑顔に促されて、由衣は慌ててスニーカーを脱ぎ、室内に入った。
 あの街からは、電車で三〜四十分。ごく普通の住宅街にある、いささかならず古びた木造アパートの二階の2Kだった。由衣は、黒髪の女に導かれるまま、片手でキュロットのウエストを気にしながら、ここまでついてきたのだ。
 あの女──荒れたスナックで犯されていた女は、途中で電車を乗り換えた駅の、ホームのベンチに置いてきた。
 ふたりがかりで服を着せてやっているうちに目は覚ましたものの、彼女は、人形のようにぼーっとしたままだった。促せば立ち上がり、手を引けばそのまま歩いてもくるのだが、目は虚ろ、足取りも宙に浮いたようで、生気というものがまったく感じられなかった。
 由衣が心配に思っていると、黒髪の女は、
『心配ない。あと二時間ぐらいもすれば、だいたい正気に返るよ。ただ、この街にこのまま置いてったら、また同じ目に遭うだけだからね。ちょっと離れたところに連れて行くよ』
 と言った。そして途中の、少しは治安のよさそうな町に置き去りにしてきたのだ。
 けれど、それで本当によかったのだろうか。もっと何か、してやれることがあったのではないだろうか。
 それに、自分はこの女に、こうも無防備にのこのことついてきてしまって、よかったのだろうか。
「とにかく座んな。別に疲れちゃいないだろうが、立ったままってのも気詰まりだ」
 女は由衣に、座布団を勧めた。由衣は素直にその座布団に乗り、首をぐるりと巡らせて部屋の様子を改めて見た。
 本当に、何もない。
 キッチンにはグラスがいくつか並んでいるだけで、いわゆる食器の類も、調理器具の類もなかった。襖で隔てられたふた間のうち、ひと間には衣類を納める布製のファンシーケースが二本立っていたが、今いるもうひと間は畳も剥き出しのまま、家具のひとつも置かれていない。押入れがあるからには、多分ここが寝室になるのだろう。
 テレビはもちろん、テーブルのようなものさえ見当たらない。人が住んでいるとはとうてい思えないほどに、雰囲気が虚ろだ。だが掃除は行き届いているようで、長く使われなかった部屋が放つ独特の埃っぽさは、わずかも感じられなかった。
 由衣は部屋をひと渡り見回した後で、改めて女を見た。
 女は座布団に胡座をかき、由衣をじっと見ている。その瞳の深さには、なにかつくりものめいた冷たさがある。
「あの……」
 由衣は、その瞳を見ないようにしながら口を開いた。
 訊ねたいことが、山ほどある。あなたはあの時、どうしてあそこに現れたんですか? どうやってあの男たちをやっつけたんですか? いや、なぜあの男たちをやっつけたりしたんですか? それに私を、なんでここに連れて来てくれたんですか?……
 いったいあなたは、何者なんですか?
「ふふふ」
 女は、由衣を見て笑った。
「なんだか、いろいろ訊きたいことがあるって感じだねえ。ま、そう急ぎなさんな」
 心の中を見透かされて、由衣は、妙に恥ずかしい気分になった。その気分さえ読み取ったように、女は柔らかな声で言った。
「最初はきっと、誰でもそうさ。だが時間が経てば、自然と落ちつく。急ぐことはないんだ、時間はいくらでもある。……そう、時間はいくらでもあるんだ」
 女はそして、“よっこらしょ”と掛け声をかけて立ち上がった。
「風呂、入りな。支度してやるから。あんたも汗なんかかきゃしないんだろうが、でも、埃っぽいのはかなわねえだろ。そうだ、スカートも直してやるよ。ちょっと待ってな」
 由衣は慌てて女に声をかけた。
「あ、すみません、ひとつ……ひとつだけ」
「なんだい」
「あの……名前、教えていただけませんか」
 女は意外そうな顔をして由衣をまじまじと見た。
「ふぅん……やっぱりあんた、変だね」
「変って、何がですか」
「……まぁ、いいや。名前ね。ミヤ、ってのが気に入ってる。漢字で書くなら、美しいって字に弥生の弥。美・弥、だ。苗字が必要な時には、篠田って言ってるな」
「篠田、美弥さん……。あ、それからもうひとつ」
 言おうとして、由衣は口ごもった。
“あなたも悪魔なんですか?”
 鍵がかけられていたあの店に、あっさりと入ってきた能力。心に直接言葉を飛ばしてきたあの能力、そして飛んできた声の感触。そして、どこか人間離れした佇まい。
 このひとも悪魔なんだろうか。私の、同族……なんだろうか。
 そして同族だとしたら、敵なのか。味方なのか。
 美弥は由衣を見ないまま、肩と首を軽く回して言った。
「急ぎなさんなって。少しずつでいい。とりあえずしばらくは、あたしと一緒にいるといいよ。な? 由衣ちゃんや」
 その声には、どことなく突き放した感じがあった。だがそれは、冷たいものではない。むしろ、遠くからそっと由衣を包み込むような心地よい距離感があった。
 その距離感が、不思議なほど由衣を安心させていた。この女……美弥が、誰であってもいいのかもしれない。このひとは、信じてまかせてもいい相手なのかもしれない。
由衣は、しばらくぶりでひと心地ついた気分になっていた。
 その安堵のおかげで由衣は、自分がまだ彼女に名前を告げていなかったことに、まるで気づかなかった。

(続く)