かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#4】邂逅−02

(承前)

(別の所へ逃げようか。人が全然いないような山奥とか。いっそ、その方がいいのかもしれないな)
 次第に活気を増す街を眺めながら、由衣が、そんなことを考えるともなく考えていた時だ。
『いやああぁっ!! やめて、やめてよぉっ』
 若い女の悲鳴が聞こえた気がして、由衣は思わず辺りを見回した。
 だが、誰も気づいてはいない。いや、元からそんな悲鳴など存在しないように、何事もなく皆、それぞれの行くべき方向へと歩いている。
(今度は、空耳か……)
 由衣は、ため息をついた。
 と、また。
『誰か!! 誰かぁっ!! お願いィ、助けてぇ……タ・ス・ケ・テェ……』
 確かに悲鳴だ。聞こえる。
 それは、耳元で鳴っているような、それなのに妙に微かな声だった。
(誰も気づいてない? もしかしたら、私だけに聞こえる声?)
 由衣は、気持ちを集中して次の声を探した。
『ひぃぃ……嫌よ、嫌よお……そんな、私そんなつもりじゃ……』
(聞こえる、間違いないっ。誰かが呼んでる……私を、呼んでる!!)
 由衣は、弾かれたように立ち上がり、走りだした。周囲の人々が、驚いたように彼女を避ける。中には大声で、
「気をつけろっ、お前、キチガイか!?」
 と由衣を罵る者もいた。
 どこから悲鳴が聞こえてくるのかはわからなかったが、なぜか由衣は、自分の走っている方向が間違っていないという確信を持っていた。その確信のままにいくつもの角を曲がり、気がつくと由衣は、かなり入り組んだ路地の奥まで来ていた。
 立ち止まって、耳を澄ます。さっきよりもよほど鮮明に悲鳴が聞こえる。いや、それはすでに悲鳴ではなかった。切れぎれの啜り泣きに変わっていた。
『く……ひっく……う、くぅっ……きひ、い、痛い……やめてよ、もうやめてよぉ……』
 一連の悲鳴と、今聞こえるその声が意味することが容易に想像できて、由衣は一瞬“追跡”をためらった。
(……いいえ!! これは、私を呼んでる、私だけに届く声なのよ。だから私、行かなくっちゃいけない……行かなくっちゃダメ!!)
 由衣は自分を叱咤し、もう一度気持ちを集中させた。
 目的地は、もう目の前らしい。目を閉じて方向を探る。
 と、頭の中に何かが閃いた。そして瞼を開いた途端、数メートル先の古ぼけたビルの地下への入口が、鮮やかに飛びだして見えた。
(あそこだ)
 由衣は、ゆっくりとその入口に歩み寄った。
 階段を下り、重そうな鉄の扉の前に立つ。
 そっとドアノブを捻ってみる。回らない。どうやら内側から鍵がかけられているようだ。
(このドア、越えられる? 私、できる?)
 きっとできるはずだ。由衣は口許に力を込め、念じた。
(このドアの向こうへ)
 景色が一瞬揺らぐ。陽炎越しに眺めた遠くの風景のようだった。そして次の瞬間、由衣は、ドアを越えていた。
(すごい……。やっぱり私、人間じゃ、ない)
 由衣は、再び恐怖を覚えていた。自分が身につけた、いや自分が乗っ取った悪魔の能力が、いったいどれほどのものなのか想像もつかないことへの恐怖だ。
 けれど今は、それに竦んでいる場合ではない。由衣は、極力気配が漂わないように注意しながら、周囲を窺った。
 室内は薄暗い。どうやら、スナックのような場所らしい。
 だが、店としての状態はかなりひどく、壁一面に卑猥な落書きや、汚らしい染みがあった。
 客用と覚しきソファにも、煙草の焦げ跡や裂けた跡、それをカバーするために張られたらしいガムテープなどが見える。とうていまともな店とは思えなかった。
「あう……く、ひっく……っく……」
 今度は、頭に直接響いてくるような悲鳴ではない。耳に聞こえる、本物の啜り泣きだった。
 由衣は、声のする方向に目を向けた。
(!!……)
 由衣は、半ば想像していたこととはいえ、思わず息を飲んだ。
 一人の女が、犯されていた。
 店の奥、テーブルや椅子を片隅に押し退けてやや広くした床に押し倒されて、女は、すっかり抵抗する力を失い、泣いていた。
 男は、四人だった。
 それぞれに、いやらしく崩れた笑顔を見合わせている。
 一人は、仰向けに寝かせた女の両腕を、女の頭の上で重ねて押さえていた。二人は、それぞれ脚を一本ずつ押さえている。そしてもう一人が、女の股間に腰を押しつけて、盛んに前後に揺すっていた。
「まったくよォ、困ったオンナだったなぁ」
「ああ。ここまでついて来て、帰るもクソもねえっつうの」
 脚を押さえている男と、腕を押さえている男がしゃべり合っている。
 女はもうすっかり男たちのなすがままになり、ただしゃくり上げるばかりだ。
 股間に陣取って、今、女を凌辱している男は、行為に夢中らしく、周囲の会話などはまるで聞いていない。ただ無心に、腰を振り続けている。
(どうしよう? あのひと、助けなきゃ。だってあのひと、同じなんだもの。あの時の……あの車の中での私と、同じなんだもの。助けなきゃ。でも……どうすれば?)
 由衣はただ、目前の光景に見入っていた。
 と、その時、再び耳鳴りが訪れた。
(なんでこんな時に!? しかも……強い!)
 それは今までとは比べ物にならないほど強い耳鳴りだった。いや、強弱の違いだけではない。音の質そのものが、違う。
 以前のものは、ぶぅぅぅん……と唸るような音だったが、今聞こえるものはもっと甲高く、鋭い。硬質なガラスの表面を、鋭利な針で無理やりに削り落とそうとしてでもいるような音だ。
 しかもそれは強烈に鳴る。その音自体が、耐えがたい攻撃力を秘めている。もろに肉体に響く、吐き気を覚えるほどに不快な音だった。
 由衣は両手で耳を押さえ、その場にうずくまってしまった。
『あんたかい?』
 その耳鳴りの中に、不意に言葉が混ざった。
『あんたなのかい?』
 女の声だ。だがその声は、耳に聞こえてくる音としての声ではない。だが、さっきまで聞こえていた、あの女の悲鳴とは違う。音の感触そのものが、まるで違う。
「誰なの? あなたこそ、誰!?」
 由衣は大声で問い返した。店の奥で女を犯していた男たちが、びくっと体を震わせ、由衣の方を見た。
「おやあ?」
 女の片脚を抱えていた男が、立ち上がった。
「どうやって入り込んだんだ、このアマぁ」
 男はゆっくりと歩み寄ってくる。だが由衣は頭を抱えたまま、気づいてはいない。
 まだ女の腕を押さえつけている男が言う。
「てゆうか、儲けモンって感じ? 誰だって、どうやって入り込んだんだって、いいじゃん。順番待ち、しないでいいってことだよな。もういっこ増えたってことは」
 女を犯している男が言った。
「こいつ、もう全然アバレないからよ。お前ら、あっちヤッちゃっていいぜ」
「おっけー」
 三人ともが、由衣に向かってきた。由衣はようやく目の前の危険に気づいたが、その時にはすでに一人の男の腕が伸び、由衣の腕をがっちりと握ってしまっていた。
「あ、きゃあっ。な、何を……」
「何をって、なあ。楽しいことじゃん?」
「あんた、可愛いねえ。どうやって、どうしてここに入ってきたの。って、やっぱ楽しくヤルため? だよねぇ、それっきゃないよねえ」
「さっそく仲良くヤろうよ」
 男たちは、しゃがんでいる由衣を引きずり上げ、無理やりに立たせた。由衣はその時、初めて男たちの顔をはっきりと見た。
「ひぃ」
 軋んだ悲鳴が、由衣の喉からこぼれた。


(続く)