かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#4】邂逅−05

(承前)

「さぁて、今日もあの街に出掛けるか」
 カーテン越しに朝の光が入り込んでくる頃。
 布団から抜け出した美弥は、伸びをひとつして言った。
 その声に由衣は目を覚ました。
(あれ? ここ、どこだっけ……。この声、誰だっけ)
 昨夜はずいぶん久しぶりに、ゆっくりと眠れた気がする。でも、なぜ久しぶりなんだろう? 毎日ちゃんと寝て、毎日ちゃんと学校へ行って……それが自分の生活のはずなのに、なんで久しぶりなんだろう?
「あっ」
 由衣は叫んで、撥ね起きた。
 左右に忙しく顔を巡らせ、きょろきょろと辺りを見る。
 記憶が順繰りに戻ってくるにつれて、胸が苦しくなる。頭の中の整理がついた時、由衣はようやく、目の前に腰をかがめて自分の顔を覗き込んでいる女の名前を思い出した。
「おはよう、由衣ちゃん」
 美弥は、にーっと笑った。いったい何歳になるのか見当もつかない美弥だが、その笑顔には、少女を思わせる無邪気さがある。
「あ、おはよう……ございます。美弥さん」
「ああ。よく眠れたみたいだね。もっとも、よく眠れても眠れなくても、あたしたちの体調なんてもんは、そうそう変わったりはしないもんなんだけどね」
「なんだかそうみたいですね。家を出てきてから、ちゃんと眠れた気がするのは今日ぐらいだけど、確かに睡眠と体調には、あんまり関係がなくなってる気がします」
 由衣は、寝覚めのまだところどころがぼやけた頭を頷かせ、何気なく美弥の言葉に相づちを打っていた。
「今日もあの街に出掛けようよ」
 美弥は言って、立ち上がった。
 黒のスリップとパンティだけの姿だ。それが美弥の夜着なのだろう。成熟した女の、いやらしくない艶めかしさが、美弥の全身から放たれている。由衣には美弥のそんな姿が、とても眩しく美しいものに見えた。
「出掛けるんですか?」
 由衣は掛けられていたタオルをはいで、上体を起こした。自分もまた美弥のように、スリップとパンティだけだ。だがその色は幼い白だし、それに包まれた体も美弥のように充実してはいない。ふとした恥ずかしさを覚えて、由衣は再びタオルを体に引き寄せた。
「ああ。気になることがあるんでね。そいつを片づけるまでは、落ちつく気になれないのさ。あんたかと思ったんだけど、それはまるで見当外れだったみたいだしね」
「……私だと思った、って?」
「ま、行き当たればわかるさ。とはいっても、これはあたしの問題だ。あんたは、のんびりしてていいよ。そう、あんたはゆっくりやればいい。やることがわからなければ、わかるまで待ってたっていいんだ。なにしろ時間は、いくらでもある」
 言って美弥は、隣の部屋に行ってしまった。
(私には時間がある……ゆっくりやればいい……でも、何をやればいいんだろう。このひとは私に、何をやれと言っているんだろう。それに……)
 由衣の頭に、再び疑問が湧きあがった。美弥という女についての疑問だ。
 美弥があの店にあの時現れた理由。男たちを倒した理由や方法。そして美弥が、なぜ自分をここに連れて来てくれたのか。……いったい彼女が何者なのか。敵なのか、味方なのか。
 昨夜それを問おうとした時には、巧みにはぐらかされてしまった気がする。
 勧められるままに風呂に入り、出てくると床の準備ができていた。カプセルホテルのよそよそしいベッドとは違う、柔らかな、太陽の匂いのする布団だった。
 交代で美弥が風呂に入っている間に、由衣は、弾け飛んでいたキュロットのボタンが、色は合わないがぴったりのサイズのものに付け直されているのを見つけた。
 美弥が風呂から上がったら礼を言おうと思っていたのだが、布団に横になったら、そのまますぅっと眠り込んでしまっていた。
 そして気づいたら、朝だったのだ。
 昨日問えなかったことを、今なら訊ねてもいいのだろうか。由衣は、布団から抜け出して隣の部屋を覗いてみた。
 と、そこには、全裸でファンシーケースに首を半ば突っ込み、今日着る服を見定めている美弥の姿があった。
「あ、あっ。ごめんなさいっ」
 同性とはいえ、着替えを覗いてしまったことがひどく申し訳ないことに思えて、由衣は慌てて退いた。
「あー?」
 ひどく間延びした声をあげて、美弥が部屋から出てきた。
 どこを隠しもせず、素っ裸のままだ。だが顔を背けている由衣は、美弥のそんな恰好に気づいていない。
「あ、その、見ちゃって……着替え、覗いちゃって。美弥さんが裸だって知らなかったものだから……きゃあっ」
 しゃべりながら振り向いた由衣は、再び甲高い声をあげてくるりと体を反転させた。
「わはははは。面白い娘だねえ、あんた。構やしないじゃないか。女同士なんだし、見られて減るもんでもないんだしさ。見たけりゃ、じっくり見たっていいんだよ」
「そんな、見たいなんて……」
「まあ、いいさ。ところであんた、着替えはあるのかい? 昨日破けた服は直しておいたけど、だいぶ汚れちゃってるみたいだねえ。なんだったらあたしの服、貸してあげようか?」
「あ。一応あります、着替え」
「そうかい。じゃあ、出掛ける前にその服、洗濯してった方がいいかもしれないね」
「します、洗濯。したかったんです」
「洗濯機、ドアの外にあるよ。洗剤は風呂の入口ンとこに置いてある。機械の使い方はわかるよね。洗っといで」
「はい」
 由衣はデイパックから服を出し、着替えた。
 昨日まで着ていた服と、デイパックに入っていた何枚かの汚れものを丸めて抱え、洗剤の箱を持って部屋の外に出る。
 洗濯機は、外の通路に置いてあった。今時珍しい、二槽式の古びた洗濯機だ。古臭いというよりは、むしろ面白い。夏の朝早くの、早くもじりじりと地面を焼き始めた陽光を浴び、機械の洗濯槽に水を溜めながら、由衣は、不思議なほど気持ちが和らいでいることを感じていた。
(なんだか、いい気持ちだな。……いいのかな、こんなに和んじゃって)
 許されないことだと思う。両親が、弟が、自分自身までが、自分の弱さのために死んだ。そして自分は、それらすべてを放棄したまま逃げてきた。そんな自分が、こんな平穏な日常に埋没していいわけがない。罪を贖いもしないまま、気分を安らがせていいわけがない。
 だが、それでは何をどうしたらいいのか。
 それが皆目わからないのも、確かなことだった。
『やることがわからなければ、わかるまで待っていたっていいんだ』
 美弥の言葉が、胸の中に蘇る。
(そう……そうだよね。まずは、何をしたらいいかをわからなくちゃいけない。自分が何をしたかは知ってる、だからそれをどうすればいいのかを、まず私はわからなきゃいけないんだ。それが私の、最初の課題なんだ)
 由衣は洗濯機に服を投げ込み、タイマーのノブをセットした。古い洗濯機は、がらんがらんと派手な音を響かせながら、けれどいかにも生真面目にはたらき始めた。

(続く)