かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#5】追う者たち〔2〕-01

(承前)

 パーテーションで仕切られた“天宮家惨殺事件捜査本部”の囲みの中。
 本部長の中屋敷警部は、今日も苦虫を噛み潰したような顔で煙草を吹かしながら、外回りをした刑事たちが上げた報告書を読んでいた。机上の灰皿には、根元近くまで吸い尽くされ乱暴に揉み消された吸殻が山になって、もう灰を落とせる場所もない。
 中屋敷が苛立つのも無理はなかった。通報があったその日にこの本部が設置されて以来、今日ですでに一週間が経っているにもかかわらず、事件解決の糸口どころか、凶器の特定さえ覚束ずにいるのだ。
 捜査開始後四日めから、方針は天宮家の長女、由衣を中心にしたものになった。
 通っていた高校の教師たち、友人たちはもちろん、小・中学生時代の友人、所属していたクラブの関係でよく行っていたというスポーツ用品店、趣味の関係だというアクセサリー店から、学校帰りによく寄っていたというファストフード店に至るまで、由衣の立ち回り先のほとんどが調べられた。だが、それでも犯人の目星どころか、事件そのものの全体像すら浮かび上がってはこない。ただ単に一家が惨殺され、由衣に至っては獣にでも食い散らかされたような無残なバラバラ死体になって見つかった、という事実しかわかっていないのだ。
 それはつまり、現場の状況だけが今わかっているすべてのことであり、捜査は何も行われていないも同様、ということだった。本庁から派遣された、捜査の指揮官であり責任者でもある中屋敷が焦れるのも、当然といえる。
「どうも具合よろしくないようですなあ」
 のんびりとした声とともに中屋敷の肩を叩いたのは、所轄署の大谷巡査部長だった。
「ああ、よろしくないですよ」
 憮然とした面持ちで中屋敷は答え、咥えていた煙草を灰皿に押しつけようとした。が、すでに目一杯に吸殻を溜めた灰皿には、火種を押し潰す隙間さえない。
「こちらにどうぞ」
 大谷が隣の机から灰皿を取り、中屋敷の山盛り灰皿の隣に置く。中屋敷は『どうも』と言い、素直にそこに煙草の先を揉みつけた。
「由衣さんの線、駄目ですかね」
 言いながら大谷が、近くの椅子を引っ張ってきて座った。中屋敷は、相変わらず憮然としたままで両手を大きく拡げ、万歳のポーズをしてみせた。
「当たりだと思ったんだがねえ。俺の勘も、鈍っちまったんかなあ。洗えば洗うほど、あの由衣って娘が事件に巻き込まれるようなタマじゃねえって話ばっか、出てきやがる」
 大谷は、わざとらしく目を丸く見開いて、「ほほう」と声をあげた。どうもこの大谷という男、動作がいちいち大仰だ。
「今時珍しい“いい子”だったんですな」
「まったくその通り。品行方正、純情可憐。文部省推薦なんぞ百個ぐらいまとめて取れそうな、心身ともどもの健康優良児だよ。
 怨恨の線、まずなし。不純異性交遊の匂いもなし。今日び中学生だって、手繰っていきゃあ逆恨みのひとつやふたつ背負ってるもんだが、由衣に限っちゃ誰ひとりとして悪く言う奴がいねえ。こうまで見事だと、ただ感心するばっかりだぜ」
「天宮の両親の方はどうです」
「そっちもからっきしだ。これまた見事にキレイなもんさ。中学生の弟もな。まあ、こっちは男だから、さすがに喧嘩友達程度に荒っぽい交遊もあったが、あんな大それたゴトに繋がりそうなもんは全然出てこねえ。本当に冗談でなく、お手上げだよ」
 言って中屋敷は、また煙草を咥えた。
「とにかく一から十まで、気にいらねえことばかりだ。あんたらも言ってたが、確かに、このヤマには心っつうもんが見えねえ。中にも外にもだ。あるのはただ、滅茶苦茶なゴトだけだ。ものの見事に、あのゴトだけがぱっかり切り取られて浮き上がっちまってるのさ。これじゃあ俺も手の打ちようがねえよ、けったくそ悪イ」
 大谷は、まあまあ、と中屋敷をなだめながら、机の上にあった資料ファイルの山から一冊を手に取った。
「資料も増えましたなあ。森沢さんはこれ、見てますか?」
「ああ。さすがに捜査の要が由衣に移って以来、とりあえず日に一度は資料室から出てきて、新着のファイルを見るようにはなった。自分の発言で変わった“流れ”ってやつが、気になるんだろうな」
 うんうん、と頷いて、大谷はばらばらとファイルをめくった。内容を見ているというよりは、報告書の仕上がりをチェックしているといった風だ。
「ま、現場百回とも言いますよ。行き詰まった時には、現場を見に行ってみるというのはどうでしょうね」
 大谷はファイルを山に戻すと、言った。中屋敷は腕組みをして、うーむ、と唸った。
「現場はとにかくとして、気になることがひとつ、外にあるんだよな。行ってみるか、森沢も連れて。気晴らしってのは変だが、ちょいと物の見え方が変わるかもしれん」
「それがいいでしょう。本部の電話番は、私がやっておきますから。外の空気、是非とも吸ってきてください」
「ああ、そいつはすみませんな。じゃ、よろしく」
 言うが早いか中屋敷は立ち上がり、椅子の背に掛けていた上着をひっ掴むと、のっしのっしと大股で部屋の出口へと歩いていった。
 その後ろ姿に、大谷は声をかけた。
「頑張ってくださいよ、警部。私もこの事件は、どうにも気になる。引っ掛かるんです。なんとかしてこの糸、ほぐしてください」
 中屋敷は立ち止まり、振り返った。そして、そのいかつい顔に珍しくにっかりと笑顔を浮かべ、親指をツンと立てた拳を肩越しに突き出して見せた。

「うわあ、お日さまが眩しいなあ……」
 森沢は、署から一歩出るなり呟いて目をしばたたかせ、足元をぐらりと揺らした。
 その間の抜けた声を聞いた中屋敷は、森沢の腰を分厚いてのひらでひっぱたいた。
「阿呆。刑事がお天道サマの下でフラついてんじゃねえ。もっとこう、堂々と、しっかりと大地イ踏みしめて歩かんかい」
 中屋敷の一撃を食らって、森沢は危うく玄関前の階段から転げ落ちそうになった。足を踏ん張り、どうにか転倒は回避したものの、歩調は相変わらず頼りない。顔色もまた、すぐれないようだ。だが髭は一応、剃られている。
 森沢は、本部設置以来ずっと泊り込みで資料を当たっていた。だが、さすがに六日めの昨日には体中が垢じみて汗臭くなってしまい、資料室の管理係に懇願されて、昨晩は宿舎に戻り、風呂に入ってきたのだ。
「で、どうだ。資料ン中から、めぼしいもんは見つかったかい」
 車に乗り込み、エンジンをスタートさせながら、中屋敷が問う。問われて森沢は、考え込む顔になった。
「……とりあえず過去十年以内には、今回の事件と関係のありそうな話はありませんね。殺人や傷害、窃盗だけではなく、婦女暴行や変質者の類も当たってみましたが、引っ掛かってくるものはありません」
 それを聞いた中屋敷は、目を丸くした。
「おい、過去十年以内って。いくらこの署がさほどでかくはないったって、コロシにタタキにツッコミまで含めたら、件数は軽く三千を越えるだろうが。それをお前、もう全部調べ終わったっていうのかよ」
「ええ。ここ、資料の作成と整理がとても上手なんで、とても効率的に調べられました」
「だが、だからって……」
「ああ、そうだ。それにここの署の方々、字も上手でしたよ。おかげで読みやすくて」
 中屋敷は呆れてため息をついてから、車を発進させた。森沢は、そんな中屋敷の様子には気づきもせずに言った。
「ただ、犯罪とはまるで関係ないと思われるんですが、この管内、ここ数か月に渡って、変死が多いんですね。驚きましたよ」
「変死?」
「ええ。最初の気になる事例は、五か月前のものですね。外傷なしの変死体が、市の外れの県道で見つかったというんです。四十六歳の男性です。毎日、夕方から夜にかけてジョギングに出掛けていたっていう男性なんですが、その途中でバッタリ逝っちゃった、ということのようで。解剖所見では心臓麻痺ってことになっていたんですが、多分、それ以外に死因の考えようがなかったってことだと思います。で、この遺体は、死の直前に、どうやら、その」
「その、どうした」
「……射精していたらしんです。パンツの中で」
「どういうことだ。パンツ穿いたままシゴいて、中でイッて心臓麻痺ってことか? なんだか下品なくたばり方だなあ、おい」
 大声であけすけなことを言う中屋敷に、今度は森沢が呆れ顔になった。
「まあ、そういうことなんですが……。ただその人は、心臓に病歴がないんです。どころか、学生時代には陸上の選手だったとかで、普通よりも心臓は強そうなクチでしてね。もちろん、パンツの中に手を突っ込んだような着衣の乱れも、なかったようです」
「だがイッておっ死んだ、と」
「だから変死なんです。で、その類の変死事件が、以来、七件もあります。内訳は、男三人、女四人。男はどれも射精して、女はどれも失禁しているようです」
「……なんだそりゃ」
「変でしょう? それで思い出したんですが、天宮家の事件も」
「……そうだ。壮一と隆は射精していた。縁も失禁していたぞ……」
「ただ、その変死事件はどれも単独で、遺体もきれいだったといいます。ですから、その七件は横に並べることができるものの、天宮家事件については、ちょっと単純に同列には扱えないんですけれどね」
「いや。それはアリかもしれん」
 中屋敷は険しい顔になった。
「あ、ところで中屋敷さん。僕らこれから、どこに行くんですか」
 森沢は今さらのように訊いた。
「ああ。まずそっちを片付けよう。行き先は、由衣の一番の友人だったっていう、浅見舞唯って女ンとこだ。
 こいつ、担当させた刑事が三回聞き込みに行って三回会えてねえ。学校もここンとこ休んでるらしい。それで、その聞き込みは俺が預かるってことにしといたんだ。
 一連の変死事件については、後で署に戻ってから資料を見せてくれ」
「わかりました」
 二人を乗せた車は国道を逸れ、閑静な住宅街へと進んでいった。

(続く)