かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#5】追う者たち〔2〕-02

(承前)

 昔からの町並みではなく、最近になってから開発が進んだらしいその一画は、道幅もそこそこ広く、また道自体が几帳面な直角で構成されている。目指す浅見家は、その新興住宅地のうちでは、比較的古い区域にあった。
 路上に車を停め、二人は表札を確かめた。
「浅見。間違いねえな、ここだ」
 中屋敷は、門柱に取り付けられたインターホンのボタンを押した。反応は、ない。二度、三度と押しても、誰も出てくる気配がなかった。
中屋敷さん、中屋敷さん」
 森沢の声に中屋敷が振り向くと、森沢は門柱の脇の塀にしがみついている。肩ほどの高さのその塀には、塀を貫くかたちで、ポストが取り付けられている。森沢はそのポストの向こう側を、塀によじ登って覗き込んでいた。
「おい馬鹿、なにやってんだ。令状もなしでそんなことすンな。後が面倒だぞ」
「ええ、ですが……これは少々においますよ。新聞が、ざっと見て十日分ぐらいたまってます」
「なんだと。おい、ちょっと一緒に来い」
 中屋敷は森沢を塀から引きずり下ろし、隣家に向かった。森沢は、引きずられた拍子にタイピンが落ちたと騒いだが、中屋敷がそれに取り合うはずもない。
「え? 警察の方? ちょうど良かったわ、そろそろ相談しようかと思ってたんですよ。お隣の浅見さん、もうずいぶん姿を見てなくて」
 隣家の主婦は、わざとらしく眉間を曇らせてそう言った。
 中屋敷が、普段のがらっぱちな喋り方が嘘のような柔らかい口調で訊ねる。
「ずいぶん、ですか。具体的にはどれぐらいになります?」
「ええと……気になりはじめたのは、もう三月ぐらい前かしらね。最初のうちは、家族揃って旅行かしら、と思ったんですけどね。でも、娘さんの舞唯ちゃんは、毎日ちゃんと学校に行ってたんで、じゃあいるのかな、って思ってたんですよ。
 それが、その舞唯ちゃんも、ここ一週間……いや、十日ぐらいかしら、もう見てなくて。こないだ、近くでひどい事件があったでしょ? あんなことになったらヤだなあ、って思って」
 中屋敷はそれだけ訊き出すと、「後でまた伺うことがあるかもしれません」と言い、その家から退いた。目が久々に燃えている。
「ピンポンかもしれねえぞ森沢」
「僕らはビンゴって言いますね」
「そんな言葉、知るか。門、越えるぞ」
「……令状は?」
「後でどうにでもなる!」
 言うが早いか中屋敷は門をよじ上り、庭に入っていた。森沢が意外な敏捷さでそれに続く。門を越え、内側から庭の様子を窺ってみて、中屋敷は眉根をきりりと引き締めた。
「……シャレにならねえかもしれん」
 山ツツジ金木犀が植えられて、かつてはよく手入れされていたと思える庭は、今はすっかり雑草に覆われている。梅雨前ぐらいから、まったく省みられていないという風だ。
 だが中屋敷が見ていたのは、外からは見えない、塀のすぐ内側の庭土だった。
 庭土が、その部分だけ奇妙な形に膨らんでいる。一度きれいに盛り上げられたものが、時を経るにつれ内側の張りを失い、不細工にぐしゅぐしゅと萎んだという感じだ。
「浅見さん! 浅見さん!」
 中屋敷は、拳でドアをどんどんと叩いた。反応は、ない。中屋敷は家の周囲を回った。が、雨戸が閉ざされていて、中は見えない。
「畜生。いっぺん署に戻って、令状準備してからドア壊すか」
 中屋敷が悔しげに歯を剥き出した時、森沢が緊迫感のない声で言った。
「鍵、開けましょうか?」
 中屋敷は呆気に取られた。
「できますけど。僕」
「できますけど、って、おい。どうしてお前、そんなことができるんだ」
「留学中に、東洋人窃盗団の事件に絡みましてね。その手口が、こういうシリンダー錠を開ける、いわゆるピッキングって技術を使うものだったんですよ。それで、敵を知るにはってことで、実習したんです。道具も確か、ここに……ああ、あったあった」
 森沢は、スーツの内ポケットを探り、小さな革のポーチを取り出した。そのポーチの中から把手がついた針金を二本取り出し、両手に持ってするりと鍵穴に差し込む。
 カチャカチャと音をさせて針金を鍵穴に出し入れし、その針金を光に透かして見たりポーチに入っていたペンチのようなもので曲げたりを繰り返すうち、森沢は「できた!」と言ってクルリと鍵穴を回した。
 ドアの向こうで、ガチャリ、と音がする。
「はい、開きました。……二分四十二秒か、まあいい線でしょう」
「とりあえず褒めてやる。行くぞッ」
 中屋敷は手袋を嵌め、ドアノブを捻った。
 そのまま手前に引く。ドアはわずかに軋んで、開いた。
 玄関に一歩踏み込み、中屋敷は凍りついたように動かなくなった。中屋敷の後ろから玄関を覗き込んだ森沢は、その場でしゃがみ込んでしまった。
「……おい……こいつは……」
 鼻の曲がりそうな異臭が、室内から溢れ出していた。玄関ホールには、びっしりと小さな甲虫がたかっていた。虫たちは突然の闖入者に驚き四散したが、その虫がいなくなった床には、どす黒い染みがべったりとついていた。
「ありゃ血だよ……血の染みだ。それも、相当に古い。少なくとも、十日やそこらのもんじゃない。何週間、いや何か月以上ってもんだ。舞唯ってのは……浅見舞唯って女は、十日前まで、こんな玄関を毎日踏んで学校に通ってたっていうのかよ……」
 中屋敷が呆然と呟いた。その足元にうずくまった森沢は、必死になって嘔吐を堪えている。
「駄目だ。俺たちだけじゃ手に負えねえ。所轄を呼ぶぞ、森沢。……おい森沢!」
「は……はい……」
「車に戻って、所轄の一係……いや、天宮本部に連絡入れろ。大谷さんに事情話して、鑑識回してもらえ。俺ぁここで番してる」
「わがりまじだ……えぐ」
 よたよたと外に向かった森沢が、入った時とは別人のような鈍重さで門を越えた時だ。
「おまえ、誰だ!?」
 高い声で鋭く問う者がいた。
 顔色を紙のように白くした森沢が振り向くと、そこには、制服を着た小柄な男子学生が立っていた。
「あ、どうも。その、僕は。ええと、その」
 しどろもどろになっている森沢を、声を聞きつけて駆け寄ってきた中屋敷が門越しにひっぱたいた。森沢は、うう、と唸って再びしゃがみ込んでしまった。
「怪しいもんじゃない。こういう者だ」
 中屋敷がバッジを見せると、学生はびっくりした顔になった。
「警察……刑事、さん?」
「そうだ。君はなんだ? 浅見舞唯の友人なのか?」
「ああ……まあ、それに近いかな」
「名前、聞かせてくれないか」
 唇をきつく引き締め、睨むような目で中屋敷を見ながら、少年は答えた。
「……俺は、槇田。槇田直樹」

(続く)