魔少女・由衣 闇狩り【#6】闇狩り−03
(承前)
その若者の姿が、改めてはっきりと見えた。
派手なシャツの裾をルーズなズボンからはみ出させ、首と手首には太い金鎖を巻きつけている。短めに刈った髪は根元から色を抜かれて、おもちゃのような黄色に変えられている。
見るからに、という風体ではあった。おそらく、この街をうろついているうちにスカウトされ、この道に入ったという手合いなのだろう。その日々が彼にとって幸いだったのか不幸だったのかは、わからない。いずれにせよ彼はもう、命を失ってしまった……はずだ。
なのに若者は立ち上がり、ゆっくりと由衣たちの方に体を向けようとしている。目どころか、顔ごとをあらぬ方向へ向けたまま。
そして、その顔には、未だに恐怖が貼りついている。自身の最期の瞬間に見たなにものかへの、堪え難い恐怖に歪んだまま、凍りついている。
若者はそのまま、カウンターの中で、滅茶苦茶な方向に腕を振り回した。腕が振られるたびに、首がぐらぐらと揺れる。その揺れ方は、確かにそれが屍体であることを示している。
「まったく悪趣味なお出迎えだ」
美弥はうろたえもせず言うと、腕をすっと伸ばした。その指先が若者の額に向いた途端、美弥の手が眩く輝いたように見えた。
同時に、ボン! と濁った音が響き、若者の頭が跡形もなく弾け飛んだ。若者の背後に、バケツでぶちまけたような赤い染みが散る。細切れの白いかけらが、その赤い染みの中には混ざっていた。屍体は、元いたカウンターの中に、くしゃり、と沈み込んだ。
「………!! !!………!!」
由衣は声も出せずに、ただ口をぱくぱくとさせていた。目はまなじりが切れそうなほどに大きく見開かれている。
「大丈夫、どうせ相手は屍体だ。このビルのどこかにいる同族が、あたしたちを脅す気まぐれにでも動かしてみせたんだろうよ。てんでチャチな真似さ。……それにしても、だいぶ荒っぽいヤツが控えてるみたいだね。それだけ自信があるってことなのか、それとも……」
由衣を振り返り、美弥が言う。その表情は笑顔ではあったが、わずかではない緊張があることも、確かだった。
由衣はその表情を見た時、言いようのない気持ちを覚えた。
美弥が、この数日間を一緒に過ごした相手とは違うものに見えたのだ。
畏怖のせい、だろうか。ひとの体をああも簡単に破壊してしまう能力に対する、あるいはそれを自在に使いこなす技術に対する、畏怖。
いや、それだけではない。それを迷いもせずおこない、しかも緊張を漂わせながらとはいえ笑って見せた、美弥本人に対する気持ちが、確かに、あった。
あっさりとひとを破壊する者──しかもその直後に、笑顔を見せられる者に対する、恐怖の一歩手前の感情。由衣はその時、美弥に、はっきりそれを感じていた。
「まあ、そんなに脅えなさんなって。こんなの、大したことない悪戯だよ」
そう言って由衣を見ている美弥そのものに、由衣は違和感を覚えていたのだ。……が。
「駄目っ。まだ……!!」
由衣は気づき、指さした。美弥が鋭く背後を睨む。
そこには、首から上を失ったにもかかわらず、それでも再び直立して、がくがくと無様に腕を動かしている屍体の姿があった。
屍体はそのぎこちない動きでカウンターをよじ登り、転げ落ちた。そして、首からだらだらと赤褐色の液体を垂れ流しながら立ち上がり、由衣たちに近づこうとする。
「あちゃ」
呆れた声を美弥が出した。
「そりゃそうだ。生きてる奴なら頭を潰しゃおしまいだが、でもこいつは、元から死んでるんだった。頭も爪も、同じようなもんでしかない」
平然と言って、美弥は、また指先を伸ばした。その指先が、屍体の両脚の付け根を指す。再び光が放たれ、立て続けに二度、破裂する音が響いた。屍体は両脚を根元から失い、その場に崩れ落ちた。
「まったく趣味の悪い奴だ」
言い棄てて美弥は、さっさと奥へ進んだ。
屍体はまだ手をもがかせている。吹き飛んだ脚も、かくかくと膝を曲げたり伸ばしたり、まるで切り落とされたばかりのトカゲの尾のようだ。
由衣は呆然としていた。
いったい、何が起きているのだろう。自分の目前で起こっているこれは、何なのだろう。
「早く来な。置いてっちゃうよ」
美弥に呼ばれて、やっと由衣は、壁に背を押しつけたまま横歩きに移動し始めた。
「しかし、これだけ強烈な波長を垂れ流しにされてると、どこに御本尊がおわしますやら、まったく見当ってものがつかないね」
言いながら美弥が、階段を上っていく。
最近のビルにはよくある、狭い部屋に押し込められたタイプの階段だ。階段は何かあった時の最後の手段だから普段はエレベーターを使え、とでも言っているような造り。
美弥はその階段部屋への入口を見つけて、すぐにすたすたと上り始めた。エレベーターも目の前にあったのだが、見向きもしなかった。美弥は、階段をゆっくりと上りながら相手の波長を聞き分け、居場所を探そうと思ったらしい。
だが、それはすぐに無駄とわかった。
由衣の耳には、この建物に入ったその時から、波長が最大レベルで届き続けている。その強弱を測るなど、とうてい無理なほどの音量なのだ。聞く能力については、由衣よりわずかに劣るらしい美弥にも、それは同じことのようだった。
「なに、こういう場所じゃ、てっぺんにいいものがあるに決まってるもんさ。一気に一番上まで行っちまえ、それでハズレだったら順繰りに下りてくりゃいい」
三階辺りを越えた頃に、美弥はそう言った。
外から見たビルは、六階か七階ほどの高さがありそうだった。以前の由衣だったら、それを脚で上ろうなどと命令されたら、唇を尖らせていただろう。
けれども今は、気にならない。体が疲れないからでもあるが、それ以上に、心を支配する緊張感が、体を動かすことを望んでいた。
「さて、ここが最上階かね」
あっけないほど簡単に階段を上り切ったふたりは、鉄の重い扉の前に立っていた。
由衣はそのドアを見ながら、体が震え出しそうなほど気が張り詰めるのを感じていた。
狂おしく身悶えるような波長は、さっきからずっと頭の中に鳴り響き続けている。それは、これから起こるだろうことの凄惨さをはっきりと予感させる、あまりにも不快な音だった。
入口でわずかにあったいざこざでさえ、由衣の気持ちをひどく痛めつけたのだ。だが、これから始まるだろう美弥と敵の戦い……美弥にとっての“狩り”は、最前のものとは比べ物にならない凄惨なものになるのだろう。
それを思うと、緊張せずにはいられない。
けれど当然、退く道も、ない。
「ん、っと……。やっぱりね。鍵がかかってる」
美弥はドアのノブをひねり、言った。
「どうする? 吹き飛ばしちまうかい? それとも、“飛ぶ”か?」
由衣を振り返って、美弥が問う。由衣は一瞬、何を言われたのかわからずに、きょとんとしていた。
「どうする? 壊すか、飛ぶか?」
焦れたように美弥が言う。
「あ、そうですね。飛ぶ……いや、ここは、できるなら壊した方がいいかもしれません。逃げ道、作っておかないと」
美弥が、やれやれ、という笑顔を浮かべた。
「逃げ道なんざ、どこにでもあるさね。いざとなったら、また飛びゃいいんだから。だが、なるほど、確かに今飛ぶのは、軽率かもしれない。ドアの向こうに敵さんが待ち構えてないとも限らないからな。入りは派手にかましとくか。あたしの趣味じゃないけどね」
美弥は由衣に、手で“下がれ”と指示し、自分もまた狭い階段部屋の中で、背を壁にぴったりつけるほどに退いた。
(続く)