かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#6】闇狩り−04

(承前)

 美弥が胸元で両手を奇妙なかたちに組み、ドアを睨みつける。
 その手を前にゆっくりと伸ばし、美弥は伸ばした両脚を八の字に踏みしめた。
 さっきとは違う張り詰めた空気が、一瞬、辺りに満ちた。そして次の刹那、伸ばされた両手から、屍体を吹き飛ばした時とは比べ物にならない強烈な光束が迸った。
 軋みをあげる暇さえなくドアはひしゃげ、壁から剥がれた。そして、その向こうに一直線に伸びていた廊下を、砲弾のように、恐ろしい速さで真っ直ぐ飛んでいった。
 廊下は途中で二箇所を衝立で仕切られていたが、鉄扉の砲弾は、ばきばきと大仰な音をたててそれを易々と打ち破った。床に置かれていた幾つかの大きな鉢は、鉄扉の巻き上げる突風に煽られて舞い上がり、植えられていた観葉植物ともども粉々になって砕けた。
 鉄扉はそのまま突き当たりの、ワイヤー入りガラスのドアで閉ざされていた非常階段出口まで飛び、そのガラスドアもあっさりと破壊した挙げ句、ががァンという大音響とともに、隣のビルの外壁に突き刺さって止まった。
 辺りに、重い余韻が、ごぉおぉおん……と鳴り渡る。
 由衣は唖然としてそれを見ていた。
 相応の構えをとったからには、美弥にとっても、それなりに大きな力を放つのだろうと思ってはいた。だが、これほどのものとは。
待ち伏せはなかったみたいだね。じゃ、行くか」
 美弥が言った。
 そして、たった一撃で滅茶苦茶になった廊下を大股で歩いて行く。
 由衣は小走りにぱたぱたとその後を追った。
 十数メートルほどの廊下に、ドアは三枚。こちら側と非常階段側、そして真ん中。真ん中のドアの正面が、エレベーターの出口になっている。
「三枚の扉が並んでたら、真ん中を開くってのが、こういうゲームのコツさ」
 言いながら美弥が、廊下の真ん中まで進む。
(ゲーム、なのかな……。美弥さんにとって、これはゲームなんだろうか)
 砕け散った衝立や鉢植えの残骸を飛び越しながら、由衣は美弥の後ろ姿を見ていた。
 ここが暴力団の事務所だからといって、また、奥に巣食っているだろう敵の正体が人に害をなす悪魔だからといって、これをゲームと済ませてしまっていいのだろうか。
 由衣には、とうていそうは思えなかった。
 それに、美弥の目的は、同族を狩ることなのだ。ひとがそれをやったら、人殺しといわれるはずだ。なのにゲームと割り切れる美弥が、由衣にはわからなくなり始めている。
「入るよ」
 美弥がドアノブをひねる。ここはあっさりと開いた。美弥の肩越しに中を覗き込んで、由衣は驚いた。
 目の前がいきなり、衝立で塞がれている。
「なんだい、こりゃあ」
 美弥も戸惑っていた。
 よく見ると衝立は、入口を完全に塞いでいるわけではない。ひと一人がどうにか通れる幅に、隙間が造られている。
「迷路かい。部屋ン中にこんなもん作ってあるたぁ、いよいよここがそうだっていってるようなもんだね」
 言って美弥は、中に踏み込んだ。慌てて由衣も、それに続く。
 それは、迷路というにはあまりにも単純な構造だった。部屋を衝立で細かく仕切り、うねうねと曲がる道を造ってはある。その道は右へ左へと折れているものの、基本的には単に距離を稼ぐだけの代物なのだ。
「ああ、何かで聞いた憶えがあるな」
 美弥が言った。
「敵……警察であれ同業者であれ、仲間じゃない奴らにいきなり踏み込まれた時、応戦の準備か、逃げるための時間を稼ぐために、相手が真っ直ぐには進めないようにしてある、ってね。
 ついでに道筋を細くしときゃ、一気に大勢は入って来られない、ってんだったな。そんな仕掛けが、こういう事務所にはあるって話だった。多分この部屋は、そういう目的のためだけに使われてるんだろう」
 由衣はそれを聞いた時、自分がいる場所が、常に戦いの場として認識されているところだということを、初めて実感した。
 美弥はもちろん、戦うつもりでここに入ったのだが、相手も……もちろん、まさか悪魔と悪魔の対決を想定していたわけではないにしても、それでも攻め込まれることを意識して、この“砦”を組み上げていたのだ。
 自分の知らない世界──戦いが日常のように繰り返されている世界。
 それが、自分のいた日々のすぐ隣り合わせに、こうして、存在していたのだ。
 軽い眩暈を感じた。由衣にとって、平和でないことを前提に生きる者たちがあるということは、それだけでショックだった。
 左右にうねる道は、ものの二分も歩かないうちに終わった。だが、火急の時には、その二分がきっと、よほど有効に機能するのに違いない。
 最後の角を左に折れた二メートルほど先が突き当たりとなり、その右側の壁にドアが一枚あった。意外に安っぽい、どこの事務所にもある、ごく普通のアルミのドアだ。おとながひと蹴りすれば破れてしまいそうなほど、それはちゃちだった。
「……におうね。におうよ。いるな……ここに」
 ドアの正面に立った美弥が呟き、少し離れている由衣をちらりと見る。
「あんたはここにいていい。迂闊に手出しをしないことだ。それから、ひとつ注意しておく。あたしらの戦いは」
 すべてを言う前に、由衣の目前で、美弥がドアごと吹き飛んだ。
 まるで室内で爆弾が炸裂し、その爆風がすべてドアに集中したかのような衝撃。それをまともに食らった美弥は、背中側にあった衝立の何枚かもろとも、今しがた抜けてきた迷路部屋の向こう端まで飛ばされたようだ。
 由衣は反射的にその場に身を伏せ、首だけを美弥の飛ばされた方に突き出した。
「美弥さん!! 美弥さん!?」
 返事がない。
 なぎ倒された何枚もの衝立が折り重なり、奥が見えない。美弥の姿が、見つからない。美弥の呻く声すら、聞こえてこない。
「……誰です?」
 代わりに由衣の耳に届いたのは、軋れて中途半端に高く、聞き覚えのない男の声だった。
「さっきから、ばたばたとうるさいと思ってたんですけどね。ここの連中はあらかた始末しちゃったはずですから、新手ってところですか? 応援を呼ぶ隙は与えなかったと思うんだけどなあ」
 由衣は、身を伏せたまま、声の聞こえてくる方──ドアが吹き飛んだ部屋の中を覗き見て、息を飲んだ。
 そこはかつて、組長室、とでも呼ばれていた場所なのだろう。ドラマなどで見るのとは違い、ずいぶんと質素な造りになっている。あるのは、壁にかけられた組の看板と、大きく豪華な机、そして応接セットぐらいだ。
 だが、その質素な室内は、散々に荒らされていた。いや、荒らすという言葉は適当ではないかもしれない。調度のひとつひとつは、本来あるべき位置から多少はずれてはいるものの、壊されているわけではないのだ。
 汚されている……そう、すべてがどろどろに汚されていた。
 汚しているのは、血であり、肉だった。
 由衣の脳裡に、最後に見た家の風景が浮かんだ。だがそれを由衣は、すぐに打ち消した。
 あの比では、ない。
 この場に比べれば、まだ自分の家の方が、よほど、ましだった。
 目の前に、脚が、転がっていた。だが、その脚は体に繋がっていない。ズボンをまとわりつかせたまま、靴も履いたままの脚が、まるで読みかけの新聞か何かのようになにげなく、床に転がっていた。それがかつてくっついていただろう体は、近くには見当たらない。
 首が、落ちていた。ありがたいことに顔は向こうを向いていたが、強引に捩じ切られたらしい断面から覗く赤黒い肉は、流れ出た血をまだ固まらせきっていないまま、くちゃりとした光沢を跳ね返している。
 いったい何人分のかけらなのかの見当もつかない、ひとの残骸の数々。それが部屋中に散り、壁を床を、天井までも汚している。
 思わず目を逸らした先に、腕が、あった。
 他の残骸同様に千切られ、投げ捨てられたらしいその手に握りしめられているものを見て、由衣はブルッと身を震わせた。
 拳銃だった。
 本物は、初めて見る。ずいぶん薄っぺらいものなんだな……由衣はまず、そう思った。
 安っぽい銀色に輝くそれは、場所がここでなかったら、玩具に見えただろう。だが、それはきっと、本物なのだ。
 そして、この拳銃の──いや、腕の持ち主は、それを悪魔に向けたのに違いない。だが撃つ間もなく、壊され、果てた。いや、何発かは撃ったのかもしれない。その銃弾が、悪魔には通用しなかっただけなのかもしれない。
「ねえ、あなたたちがさっきからの騒ぎの張本人なんですか? それにしてはずいぶん、非力そうに見えますが」
 由衣は視線を上げ、声の主を見た。
 部屋の一番奥、壁際の窓に寄り掛かり、この血の海と骸の山の向こう側に立っている。
 だがそれは、獣ではなかった。いかにも戦い慣れていそうな者でもない。
 由衣は目を凝らした。
 冴えない、ほっそりとした、中年男。
 目に映ったのは、そんな姿だった。

(続く)