かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

三ヶ日みかんGREAT!!

 ゆえあって転居中。
 転居中というのは、「日々転居作業に邁進してますよ」という意味。
 普通、転居ってのは一気にやるもんだよね。日々やるといったら、転居準備だよな普通は。でも、日々転居なの。
 どういうことかというと、家賃の心配のない場所から家賃の心配のない場所へ移動するので、少しずつ荷造りをしては少しずつ搬送してるんだな。
 毎日旧住所へ出向いては荷造りをし、乗用車で運んで、転居先で荷解きをする。それの繰り返し。もうひたすらに。転居準備自体は去年の秋から始めていて、実際の転居は11月半ばから始めているから、かれこれもう四か月も転居推進の日々が続いている。いい加減、飽きてきた。疲れも溜まっている。いろいろ面倒すぎて、全部ぜーんぶヤメにしちゃいたいぐらいだ。

 転居でやはり大問題になったのが、本。
 なにしろ無慮数千冊にのぼる本や雑誌。いい加減棄てちゃえ、と思うようなものもあるんだが(そして実際、百冊程度は棄てたが)、どうも本のかたちをしているものはねえ。棄てられない性分なんだよねえ。
 けれども新住所には、そんなに本は置けない。
 というわけで、コンテナルームを借りたんだな。

 当初は、本は段ボールみかん箱に詰めたまま、コンテナルームにとにかく運び込んでおこうと考えていた。本は本棚に晒すのが当然の保管法なのだが、問題はやはりコンテナルームの広さだ。本棚は本棚のサイズだけあればいいってもんじゃない。本が取り出せるように、本棚の前には少なくとも幅65cm程度の通路が必要になる。だが取り出すことを度外視し、とにかく収納だけを考えれば、段ボールみかん箱に入れたまま積むのが最も効率よく容積を活かせる。次善の策どころか、三善四善、本を本として=情報に素早くアクセスできるツールとして使うことのできない方法ではある。でも量を収めるには、それしかない。
 ところが、ものすごーく幸運にも、新住所から自転車で気軽に行き来できる距離に、10ftサイズのコンテナを安価で貸し出している業者さんを発見できた。
 10ftサイズは内側の面積がおよそ四畳。いにしえのフォークソング神田川』で若いふたりが同棲していた下宿より広い。巻き尺片手にあっちこっち測ってみたら、充分に本棚が置ける、どころか絶対に無理とあきらめていたカギつきロッカー書庫までも置けることが判明。
 いやあ俺ツイてるぜー。

 だが、当初はそんなラッキーな展開があるなどとは思っておらず、とにかく段ボールみかん箱が必要だとばかりに、ひたすら近所のスーパーへ通っては空になった箱をもらってきていた。なにしろ最初は、そのみかん箱に入れたらあとは何年開けずに過ごすかわからない、という状況だったんだからね。本を全部収められるだけの数の箱が必要だと考えていたのよ。
 で、なんのかんので七十個近くを入手したわけだが、結局それでは足らなかった。
 現在までにコンテナルームに運び込んだみかん箱は、のべで107個。コンテナルームに棚が置けるとわかってからは、運び込んではどんどん棚へ、という作業をするようになったので、七十個でも回転させられるわけだ。
 ところでなぜみかん箱かというと、これが本を収納するには実に好都合なサイズだからなのだよね。
 やってみるとわかるが、A5判・B5判・新書判・文庫判、この辺のサイズが見事にきっちり詰め込める不思議なサイズなのだ、みかん箱は。
 それに、目一杯に詰め込んだ時の重量が、紙の質にもよるが、12kg〜20kg程度になる。これは持ち上げて荷運びを続けられるぎりぎりの重量だ。質のよい紙で製本された雑誌をフルロードした時の20kgは、腕力だけで自分の胸の高さまで持ち上げられる最大重量になる。
 きっちり詰められるから積み重ねても大丈夫、重さもぎりぎりで大丈夫となれば、文句なし。本を運ぶには段ボールみかん箱、これはもう鉄板。揺るぎない事実だ。

 で。
 段ボールみかん箱を集めたといっても、そこはそれブランド指定できるわけでもないからね。いろんな産地のいろんなみかんの箱が集まってくるわけだ。
 それでいくつもの箱を見て、気づいたことがある。
 三ヶ日みかん、えらい。てことはJAみっかびがえらい、ということか。

 どういうことかというとね。
 箱というものは、一枚の段ボールをぱたぱたとたたんで作られているわけだ。
 容積だけでなく強度も確保しなければならないから、底と天は折りたたんだ段ボールが重なるような構造にならざるを得ない。
 だが、だいたいのみかん箱は、底面/天面が完全な二枚打ちにはならないように設計されている。
 真上から見た時の長辺から折り込まれた部分は中央まで届いて完全な底をかたちづくるが、短辺から折り込まれた部分は途中まで、というのが普通のパターンだ。
 ところが、三ヶ日みかんの箱は、短辺から折り込まれた部分も中央まで届き、結果、底面/天面は完全な二枚打ちになるようにできている。
 手元に集まったみかん箱の中で、そういう構造になっていたのは、三ヶ日みかんの箱だけだった。

 これがなぜえらいのかというと。
 短辺からの折り込み分が中央まで届かない場合、当然だが箱の中に段ボールの厚み分だけの段差ができることになる。強度の問題もないではないが、段差がある場合、中に収められたみかんがわずかでも踊ると(輸送中に揺すられたりして中で転がるということ)、その段差の角に当たって傷つく可能性がある。
 場合によっては、底が水に濡れることもあるだろう。そんな時、一枚分しか中央まで届いていない場合、その一枚が濡れた時点で強度はほぼなくなる。底が抜ける可能性がぐいよっと高まるわけだ。みかん自体に湿気が届く可能性だってある。
 だが完全二枚打ちになっていれば、それらの不安はほぼない。
 もちろん箱詰めの時には、極力みかんがおどらないように詰め込んでいるのだろうし、濡れるなんてのはほとんど起きない事態だろう。でも、もしそういうことが、万が一にも起きた場合、三ヶ日のみかんは、それでも万全の状態で小売店まで届けられるだろう。
 箱に求められる機能のひとつが内容物の安全の確保だとした場合、三ヶ日のみかん箱はまさにそれを追求した造りになっているわけだ。

 だが、そういう構造にすると、段ボールの必要量が増える。つまり高コストになる。
 それに、実際に箱を解体してみるとわかるが、三ヶ日みかんの箱は不自然なかたちになる。不自然ということは無駄がでているということだ。他のみかん箱を解体すると、気持ちいいぐらいきっちりとした方形になっている。裁断も楽なことだろう。
 つまり三ヶ日みかんは、コストがかなり増すものの、みかん自体の安全を確保する箱に守られて小売店まで届けられているということになる。
 これをえらいといわずしてなんというか。
 生産者としてのみかんに対する矜恃、あるいは敬意とか愛情のようなものを感じないか。俺はびりびりと感じるぞ。

 そんなわけで俺は今後、みかんは三ヶ日のものを全面的に信頼し食することにしたいと思う。それだけの注意とコストを払って出荷されるみかんなのだ、うまくないわけがない。生産者の心意気も嬉しい。
 みかんは三ヶ日。緩やかな転居の中で俺が見出した、転居とはなーんの関係もない、しかし俺にとっては確実な情報だ。
 よい発見だったと思っている。

 ……ついでにね。
 完全二枚打ちの底だと、中に本を納めた時にも、収まりがよいの。段差ないから。
 だから、結局箱から出せない(本棚を置けてもさすがに全部は晒しきれないのだ)本に関しては、三ヶ日みかんの箱に入れとく。他のとこの箱の方が印刷されたデザインはカッコよかったりするんだけど、でも三ヶ日にする。
 俺の本も護ってくれる安心の仕様、それが三ヶ日みかん箱の最大の魅力なのよね。