知らない贅沢
きっかけはホットサンドだ。
先日、思い立って自転車こいで合羽橋の道具屋街まで出かけ、ホットサンドメーカーを買ってきた。
今までもずっと「ホットサンドメーカーほしいなあ」と思ってはいたんだが、なにかもうひとつその気になれず、ずるずる何年も経てしまった。
それをついに実行した次第。
いや実行したとか大仰にいうような話でもないんだけれどねえ。
こういうのって、ひたすら気分の問題なのよ俺の場合。
およそ2千円の品で、はっきりいって安物。鋳鉄の逸品は5千円からする。だが別に俺はプロではないので、素人向けの品で充分。
本当は食パンサイズ二枚(都合四枚)を一度に焼けるサイズがほしかったのだが、取り寄せになるという。知らなかった。何十年も前に喫茶店勤めをしていた頃には、ふつうに二枚焼きを使っていたからなあ。
食パン一枚サイズを半分にして焼く。
帰り道に寄った電器量販店でたこ焼き器も買った。これの話はまた別の機会に。(※)
なぜホットサンドメーカーなど買ったかというと、ホットサンドを息子に食べさせたかったからで、なぜ食べさせたいかというと、おいしいから。
喫茶店時代、客向けのランチセットでも従業員向けのまかないでも圧倒的人気を誇ったホットサンド。
あのおいしさを息子にも。
ああ俺ってホント手前勝手な父親さん。
で、つくり慣れるために一斤分をちまちまホットサンドに仕立てて食った。ウマー。
これ本当においしいよなあ、調理自体は簡単なのに。
そしてなぜかそこらの店ではなかなか見かけず、見かけても馬鹿馬鹿しいくらい高価で、わざわざ金を出して食う気になれない。
まあ確かにコストはかかってるけどね。
具材になるものの仕込みは、タマゴサラダにせよツナマヨにせよそこそこ面倒だし。ただ挟んで切るだけのサンドイッチより、ふた手間み手間はかかっている。ある程度は高くなって当然だとは思う。
でも、だからといってふつうのサンドイッチより二百円高くて食べではもうひとつ、っていうのではねえ。積極的にオーダーする気にはなれないよ。
自分ちでつくれば安いもんなんだから。(禁句)
そうして一度入手してしまえば、使いたくなるもので。
昨晩もふとホットサンド食いたくなった……が、具材がない。
これからツナ搾るのもなんだしなあ。タマゴ茹でるのもなあ。
で、なぜか唐突に焼きそばを買ってくるのが、俺の奇妙なところだ。
ツナ缶もタマゴもマヨネーズもタマネギも買い置きがあるのに、わざわざ出かけて焼きそば買ってきて焼く。そっちのがよっぽどかったりぃじゃねえか。
「まあでも焼きそばホットサンドって食ったことないし、ものは試しで」
自分にそんな言い訳をしつつ、キャベツもなにも入れない本当にプレーンな焼きそばをまずつくったのだった。
結果として、焼きそばホットサンドはあんまりおいしくなかった。いやマズいわけじゃないんだけど。かといってわざわざ焼きそばつくってまで挑むもんでもない。
焼きそばパンはコッペパン系に限る。
それでふと思った。
「ビニールにパックされて売られている焼きそばパン、メーカー品のやつ、あれの焼きそばどうやってつくってるのかなあ」
零細というか、町のパン屋さんの手作り系だったら、そりゃパン屋さんが焼いてるよね焼きそば。でも大手の、どことはいわないがスーパーとかで量販されてるようなやつ、ああいうのは工場でつくられてるわけだよね。
工場の焼きそば。いったいどうやって。
調べればね、すぐにわかるよ。うん。
メーカーの広報に連絡すればいいだけで。
電話でもメールでもいい。今どきの広報さんは手慣れてるから、即答もんですよ多分。
でも敢えてそうせずに、いろいろ妄想してみるわけさ。
パンだって自動でタネつくって成型して焼いてるんだからさ、焼きそばだってきっと機械でつくってるよね。人間がやるのは材料の補充と機械の手入れぐらいなんじゃないか。
どんな機械だったら焼きそば効率的においしくつくれるだろうな。
ドラム型洗濯機を巨大にしたようなドラム型加熱器があって、そこに油をまぶした麺を入れてるんじゃないか。ドラムが熱くされつつぐるんぐるん回って、その中で麺がまんべんなく熱を通される。回り続けるから焦げつかない。で焼き上がったらバットにあけて、ソースがまぶされる。
最終行程の挟み込みだけは人間が手でやってるとか、そういう感じか。
でも、おもしろさからいったら職人だよな。
一流メーカーの工場の奥に、この道何十年の焼きそば職人がいるわけよ。
工場の奥に、他と隔てられた一角がある。
油気とソース臭がパンについちゃうと困るから、別室になっているのだ。
入ると正面に神棚。職人さんは毎朝、柏手を打ってから作業に入る。
鉄板に火を入れ、充分に暖まったら仕事開始だ。
ひたすら無言。鮮やかなスパチュラ捌きでどんどん焼きそばを仕上げてゆく。
ずっとひとりだ。
十五分に一度、係の者が扉を開いて山のような焼きそばを搬出し、代わりに材料を置いてゆく。それをまた焼く。ひとりで焼き続ける。9 to 5、焼きそばの日々。
スパチュラは使い続けると先がこぼれるので、週に一度は研ぐ。最初は15cmばかりあった先端部が5cmになるまで使う、使い切る。もうこれ以上は……となると新品に換えるが、用済みの品もすぐには棄てない。一年間取り置いて、旧暦霜月の二番目の卯の日に神社へ奉納し、供養してもらう。もちろん社費で。供養には役員級が必ず出席する習い。
「今年もずいぶん焼いてくれたねえ、ご苦労だったねえ」
現場たたき上げの役員のねぎらいのことばに、職人さんは照れて頭を掻く。
日々浴び続けるソースの湯気で、もう肌は褐色だ。ソース焼け。仕事中はマスクもしているが、供養の日に見せる笑顔は歯が真っ白で鮮やか、爽やか。
でも工場では職人の存在自体がトップシークレットになっている。近代化された工場の中で、そこだけが旧態依然だから、ちょっと表に知られたくないのだ。
職人さんもそれを理解しているから、家で孫に仕事を尋ねられても詳しくは答えない。
焼きそば一筋で育て上げられた息子はさすがに知っていて、焼きそばパンを見ると思春期のことを思い出す。
自分が焼きそばで育てられたと知り、でもそれを友人に言えず、グレかけたことがあった。焼きそばパンを見るたびに誇らしさと恥ずかしさが同時に湧きあがり、なんともいえない気分になった。一度、青春の苛立ちのあまり学食の焼きそばパンを床に叩きつけたことがある。踏みつけてやろうとしたができなくて拾い上げ、持ち帰って、土手にひとり座り泣きながら食った。
そこへ通りがかった後輩女子が、今の細君だ。
その後の恋物語や、息子氏が商社へ入社する時の悶着は、また別の話。
バカですか。俺やっぱバカですか。
いや、でもね。こんなのホント広報さんに尋ねればイッパツでわかるし、多分機械でやってるわけですよ。それをね、敢えて調べない、知らずにすませる。そして妄想を膨らませ、大手惣菜パンメーカー焼きそば職人伝説とか考えるわけですよ。
それってたのしいじゃん。
事実なんて、知っちゃえばそれまでよ。でも知らずにいれば、いろいろ考えられる。
こういうのって、ものすごい贅沢だと思うんだよなあ。
もっとも、その贅沢がわかるようになるには、ある程度の知識を蓄積しなきゃならないんだけどね。もしかすると、弄べるだけの知識をもつことがまず贅沢なのかもね。
※――こちら↓ を参照されたし
【挑戦してみた】コンビーフチーズ焼き - かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』