かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

セミ

 よくさぁ言われるじゃない。
 セミは何年間も土の中に暮らして、地上へ出たらほんの一週間かそこらで死んじゃう、長い長ぁい準備期間を経て命の盛りはほんの少し……みたいなことがさ。
 アレがなんかね、疑わしい。

 いや単純な話、地上へ出るのが、そんなに華やかなことなのかよ、と。
 ケラなんてさ、基本ずっと土の中でしょ? それで人生、じゃねえや虫生は充分に足りてるぞ、と。
 セミは成虫の期間が短いからって? いや別に成虫である必要とかないじゃんよ。だいたいにおいて昆虫って、成虫の期間が短いよね。となるとむしろ昆虫の虫生の重要なとこは、幼虫時代にあるんじゃね?
 うん、まあ確かにさ。生物は生物である以上、次代を残す、これ使命よね文字通りに。そしてそれは成虫でなければできない、だから成虫にならなきゃいけないんだけどね。でもそれを追求してくと、次代を残す以外に存在意義はねえの? ってなっちゃうわけで、そしたらアリはさ、ハタラキアリなんてのはさ、あれぜんぶ生物じゃねえじゃん。
 次代を残す能力は女王アリとごく少数のオスアリだけのもので、アリの人口、てゆか虫口? そのほとんどは生殖能力をもたないわけで、次代を残すのが生物の重要な務めだっていうんなら、ハタラキアリあいつらぜんぶ生物じゃねえぞ、アリって生物は事実上存在しないようなもんだぞ……って話になっちゃわない?
 それは俺、ひどいんじゃないかなーって思うワケよ。
 そりゃ確かにさ、種としてのアリ族の維持のために必要な労働力って観方で、一匹ずつじゃなくコロニーひとつでひとつの生物、ちょうど俺ら多細胞生物は引き剥がされた一個の細胞だけじゃ生物として存在し得ないように、アリもコロニー単位で生物と見做す……みたいな考え方はアリかもしれない。アリだけに。
 でもそれだと、個々に判断能力を備えて走り回るハタラキアリという存在自体が、なんかとてつもなく報われない気がする。
 ええと違うな、なんだっけ、そうセミだよ。
 セミもね、成虫なんてのはもうオマケ、というよりは死ぬ前の義務であってね。幼虫として土中に潜んでいる時代が、虫生の本番、本質なんじゃあないかな、って思うわけ。
 むしろ「あー成虫の時期が来ちゃったなあ、ヤだヤだ。オレなんかもうずーっとここで根から樹液チュウチュウやってたいんだけどなー。てゆか日光? アレ嫌いなんだよ暑いし渇くし、このしっとりして重い土の中がだねオレはね。あ。なんかカラダの奥から時計の音がする、地上へあがれと音がする。ヤだよヤだよ。ヤなのになぜ脚が。脚が。なぜオレの脚は土掘って地上へあがろうと。あ・あ・あ・あ出ちゃったもう。うう木があるよコレ登らなきゃってナニカがいってるよあ・あ・あ・あ・あ。もうダメだオレおしまいだ背中が割れる、オレおしまいだ」とか思ってるかもしれねえじゃんよ。
 幼虫同士、会話してるかもしれねえじゃん「オマエまだ先があるからいーよな、オレもう来年だよ」とか。「あーくそもう少し時間があったら世界の真理とか会得できたかもしれねえ」とか。いやそれはさすがに冗談だけど。でも幼虫と呼ばれる時代の方が本体で、成虫時代なんてのはそのツケ払わされる期間で、セミにとっちゃ嬉しくもなんともないかもしれないじゃんよ。ねえ? そうは思わない?

 人間だってさ、もしかしたら、サトリへ至ることが種としての義務で、でもほとんどの個体はその域へ達することができず、幼虫いや幼人のままで死んでってるのかもしれないぜ……ってのは冗談だけどね。
 地下暮らしは準備期間、陽光の下へ出てこそ! って考え方は、なんかこう、サトリへ至らない人間の傲慢に思えて仕方ないんだよねえ。