かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

ある推理

(誘拐だと?……奴らしくないな)
 第一報を受けた時、彼は強くそう思った。
(これも奴の“盗み”のうちか? いや、だが、それにしてはなにかがおかしい。……まずはいつも通りにやるか。調査、だ)
 彼は執務室にいる部下たちに作業の開始を命じた。

 まずは、調査。それがすべての始点になる。
 そして彼の調査は、常に完璧だった。
 でなければ、奴――あの盗賊を、あそこまで追い詰めることはできない。
 これまでに二度、身柄を確保した。一度などは一年に渡り収監し、極刑寸前まで持ち込んだ。それが執行されなかったのは、盗賊の奸智に負うところも大きいが、むしろ運だ。
 あの時、いくつもの場面で運は盗賊に味方した。
 そう、彼が盗賊にはっきり劣るところといえば、幸運の女神(というものが存在するとして)に対するセックスアピールぐらいのものだろう。
 代わりに彼には、調査の能力がある。幾人もの有能な部下や張りめぐらせた情報網を活用し、ことの事実を探し出す。あの盗賊についてのことなら完璧な調査が、彼にはできる。だから彼は追えるのだ。
 今回、現時点での情報はかなり限られていた。誘拐された女性の名前。誘拐された現場。そして“犯人”の名。それだけだ。
 だが、それにしても、
(誘拐……とは、どうも腑に落ちん。確かに奴に、いわゆるモラルはない。殺しも平気でやる。だが誘拐というのは……どうも違う)
 勘。
 あるいは奇妙な信頼感。
 それが彼に、今回の事件への疑念を抱かせた。

 そう、信頼感。
 彼は盗賊に対して、確かに信頼感と呼べるものをもっていた。
 それは長年に渡り盗賊とのチェイスを続けた中で育まれたものだった。いやあるいは、盗賊が盗賊になり、彼が今の職に就く、それよりずっと前――ともに学生だった頃から育まれ始めていたものかもしれない。
 奴には、“美学”がある。
 彼はそう思っていた。
 殺しもためらわない酷薄な男だが、手段は選ぶ。
 選んだ手段が殺しであれば躊躇せず遂行するだけで、そうでなければ殺さない。
 そして手段は、奴の美学に基づいて選ばれる。
(それが、女性の誘拐?……解せんな)

 彼の部下たちは、それぞれに情報を集め始めた。
 有能な部下たちだ。全員が彼という人間に、彼の熱意や彼が部下たちに捧げる信頼感と敬意に、惹かれている。魅せられている。それが部下たちの能力を鍛え、最大値にまで引き上げている。
 だからこまごまとした指示は要らない。ただ彼が「調べてくれ」と言えば、部下たちは自分がなにをすべきかを自分で見つけ出し、実行する。
 結果はすぐにあらわれ始めた。
 まずは現場の現状について。地勢や交通手段などの状況。誘拐の被害を受けた牧場については、場所・経営者・経営状況など。従業員の情報も集まってくる。
(……こいつは単純な誘拐事件じゃあないな)
 彼が確信したのは、従業員たちの写真入りリストが届いた時だ。
 三人の顔が彼の目にとまった。ちょっとした事件で当局の手をわずらわせた過去がある。ちんぴら、と呼ばれる手合いだ。
 世の中には、そういう者たちに更生の道を拓くべく、積極的に雇う事業主もいる。だがその牧場は少々違うようだ。リストの、写真と名前が一致していない。つまり偽名が使われている。
(いずれにしても、女性の拉致自体は事実のようだ。そろそろ現場、だな)
 彼は立ち上がり、長年愛用するコートを羽織った。
 周囲にいた部下たちが反応する。
「出動でありますか」
 数人が出仕度を調え、数人は改めて電話機に取りつく。
「ああ。B班C班は俺と出るぞ。D班は残って情報収集を継続。E班は各所への折衝を進めてくれ、現場一帯の封鎖は念入りにな」
「はっ!」
 部下たちの敬礼に頷き返し、彼は執務室を出た。

(……やはりな)
 執務室に残した情報収集班は地道に作業を進め、牧場経営の裏も探り出した。
 移動中にも逐一の報告を得る彼の頭の中には、ひとつの構図がまとまりつつあった。
 拉致は、盗賊がおこなったものではない。まず、牧場経営者がおこなったものだろう。盗賊は、なぜかそこから女性を救出した。理由はまだわからないが、おそらく奴の“美学”ゆえだろう。
 第一報と同時に現場へ向かわせたA班は、盗賊がトラクターを使って逃走中という情報を彼にもたらしている。彼はそのトラクターが走る一本道を、部下の運転する車で移動中だった。ほどなく盗賊たちと、正面から対峙することになるだろう。
(牧場主はおそらく相当のワルだ。三日もあれば俺のチームはその過去を調べ上げてくれるだろう。だが今は時間がない……少々フライングの感もなくはないが、今はまず行動が必要だ。なにしろ女性の命にもかかわる……来た!)
 視界にトラクターが入る。
 チームのドライバーたちは鮮やかなハンドルさばきで二台の車両を操り、瞬時に道を封鎖した。
 気づいた盗賊が道を逸れようとするが、左右はラフ。トラクターとはいえ自在には走れない。盗賊はトラクターから飛び下り、女性を連れて逃走した。
「待て! 逃げても無駄だ、神妙にその娘をこちらへ渡せ!」
 盗賊を追いながら彼は叫ぶ。だが盗賊は足をとめない。それでいい、逃げろ……でなければ追うこともできないんだからな。彼は心のどこかに少し歪んだ笑みを浮かべながら、追いすがる。
 その足元を、突如、銃弾が襲った。
「ぁあ!?」
 見上げた彼の目に、所属不明のヘリコプターが映った。さっきからバタバタとうるさい音を撒き散らしていたのは、あいつか。
 そのヘリコプターから短機関銃の弾が、彼らの足元へ向けて撃ち出されていた。
「くそぉ、手下か!?」
 言いはしたものの、彼はすぐその考えを捨てた。
 あり得ない。
 ヘリコプターの飛行は決して安定したものではない。そこから、そもそも命中精度に劣る短機関銃を乱射すれば、肝心の盗賊にも不測の弾が当たりかねない。
 あれは、俺たちはもちろん、盗賊にも、また誘拐された女性にも弾が当たってかまわない者たち、ということだ。
 しかし……だとすれば誰だ?
(牧場主による女性の拉致が事実だったとして、拉致に意義があるのなら、女性の身柄は無事に確保したいはずだ。すると牧場主の手の者とは考えがたい。だが現在のところ、盗賊、牧場主に次ぐ第三の“勢力”は確認できていない――誰だ? それとも……)
 牧場主にとって、女性の生死は問題ではない、ということになるのか。可能性としては、あり得る。ならばなぜ今まで生かして拉致していた?
(そもそも、女性の身元が未だ明確ではない。……そこか)
 どうあれ今のところは、我々の足止めがあのヘリの目標のようだ。彼らは敢えて盗賊たちを狙おうとしていない。ならば採るべき行動は決まっている。
「一旦、退くぞ」
 彼は部下たちに命じた。

「……ああ、わかった。ありがとう」
 D班からの報告を鉄路の上で受けながら、彼は素早く“要素”を組み立てていた。
 A班は、盗賊の逃走情報を送り続けてきている。現在、盗賊は森林鉄道の機関車で移動中だという。その情報に基づいて彼は、鉄路を車で封鎖し、盗賊を待ち構えていた。
 そこへD班から、女性の身元に関する興味深い情報がもたらされたのだ。
 女性の父親はかつて、盗賊の父の仲間だったらしい。
 盗賊の父は、やはり盗賊だった。その父もだ。少なくとも三代に渡って、奴らは盗賊を稼業とする一族ということになる。
 その仲間であるとすれば、女性の父親も、カタギではあり得ない。
 その父親は、盗賊の父が逝去して以来、消息を断っているという。
 これは裏の世界からの情報だそうだ。
 となるとこの調査は、かなりリスキーな橋の先で実現したものだろう。この仕事には、よくあることだ。だが、もしこの情報がもとでソースに影響が及ぶような事態になれば、D班の誰かが矢面に立たされ責任を負うことになる。それは望ましいことではない。部下はひとりも失いたくない、部下たちは彼の仲間であり宝だ。
(ということは、コトの真相はどこにも明かせないということか……)
 もっとも、女性の父がかつて悪党だったとしても、それは彼の知ったことではないし、今さら旧悪を掘り返すのが彼の仕事というわけでもない。
 彼はただ、奴、盗賊を捕らえ、奴の目論見を破綻させられればいい。
 彼は考える。おそらく牧場主も、盗賊の父の一味だったのだろう、と。
 奴の父。“誘拐”された女性の父。牧場主。三人の年齢はおよそ一致する。ならば活動の時期が一致してもおかしくないし、そこに何らかの関係があったとしても不思議はない。
 その三人の間で何らかの悶着があり、女性、いや娘は、人質に取られた。それを盗賊が助けにかかったのは、亡き父親の尻ぬぐいのようなものだろう。それなら奴の美学にも合致する。
(さて……どう処理する?)
 全容を表沙汰には、しない方がよさそうだ。女性の未来、将来の問題もある。女性の父親が消息を断ったのは、それゆえに違いない。そういう話には根本的に弱いからな、俺は。俺の“趣味”としては、女性をどうこうというよりも、その父親の面子を立ててやりたいところだ。奴に美学があるように、俺にだって美学はある。
 牧場主も後ろ暗い人間であることは、間違いなかろう。ならば事件がかたづいたあとでも、迂闊に表立った行動には出ないだろうし、出たらその時に叩けばいい。いや、あるいは奴が――盗賊が、自ら始末をつけるかもしれない。つけるだろう。奴ならきっと、そうする。
 となれば……。
「どうしたんでありますか」
 考え込む彼に、部下が尋ねた。
「ああ、いや。これは、誘拐事件だな」
「……はい。そうですね」
 部下は、なにを今さら、という顔だ。
「これは誘拐事件だ。奴が、理由はわからんが、娘を“盗んだ”。そうだな?」
「はい」
「奴は毎度、奇妙なことをやる。これもそのうちのひとつだ」
「そうですね」
「我々の任務は、第一に人質の救出。第二に奴の確保。それだけだ」
「はい」
「……そろそろ奴らの機関車が来るな。そうだ、E班に連絡してくれ」
「なんでありますか」
「陸軍に出動を要請して戦車を出させろ……とな」
「はいッ!」

 そうとも。これは誘拐事件だ。
 気まぐれな盗賊の、気まぐれな盗み。それだけのこと。
 それを追うために戦車も駆り出す。派手な捕り物は、誘拐そのものよりも盗賊への追撃に周囲の目を向かせることになるだろう。うまく奴を捕らえられればそれでよし、取り逃がせば予算の無駄遣いだの重なる失態だのと、騒ぎはこっちへ引きつけられる。誘拐事件の背景など、敢えて追いたがる者もそうは出るまい。
 そうなれば、娘の将来に陰がさすことはない。彼女の父親の目論見は、達せられる。
 そして今回もまた道化は、俺の役目になるわけか。
 くそう。奴め。
 こいつは、貸しだからな。



「警・戒・が・厳・重・な・の・で・あ・た・し・を・置・い・て・逃・げ・ま・し・た」
 娘の、感情がこもらない声。やはりな。話はできているようだ。
 ならば彼女たちの“出番”はここまでだ。この先は俺と奴の喜劇にもちこむとしよう。
「あとは頼む! 俺はルパンを追跡するぞ!」
 そう、あとは頼む。ここからが俺と奴の、本当のステージだ。

(了)