かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

今日の格言

#338

場に応じて誰かが誰かに対して発する叱咤や指導のことばは、概してそれを発した者自身が同様の場に遭遇した時に採りがちな思考や行動に対して発せられている。すなわち、発した者自身が甘えを抱くような状況では他者に対して「甘えるな」と、また発した者自…

#337

この世に正解はない。だから間違いもない。あるのは“かもしれない”だけだ。正解かもしれない、間違いかもしれない――あるのは永遠にそれだけだ。あとは自分が自分の得た結論を、どれだけ信じられるかの問題だ。

#336

可能性を見出すのは賢者、可能性に挑むのは勇者、可能性の存在自体に気づかないのが愚者、結末までのすべてを予め知っていながらなにもしないのが庶民である。

#335

あらゆることに訓練は必要であり、また正式な訓練を受けた者がまったくの素人に完全に劣ることはない。「天才は違う」と言う者は、才能と技術のどちらかあるいは双方を理解していないのだ。もっとも、目的の成就と訓練の有無とはしばしば無関係だ。つまり訓…

#334

「タダより高価いもんはない、いいますやろ」「いいますなあ」「でもインフレちゅうもんが進んだら、それよか高価いもんが出てきとるん違いますやろか」「んなアホな。そもそもタダより高価いちゅうのはたとえ話で、要はひとさまの世話になるとあとでよほど…

#333

失ってみないと価値がわからないものは、実はそう大したものでもない場合が多い。失って再び得られないという事態がそのものの価値に上乗せされているから、大したものに感じられるだけだ。一方、本当に価値があるものには普段から注意を払っているから、む…

#332

自分が責められていると感じるのは、自分に後ろめたさがあるからだ。後ろめたさがあるということは、まず自分自身が自分を責めているということだ。自分に責められなければならない自分がある限り、周囲に対してどれほど自身の正当性を主張しても、自分が責…

#331

たとえば「月と鼈」という諺が嫌いだ。これが単に、「一見はどちらも丸いが、全然違うものである」というだけの意味であれば構わないのだが、通常はそこに価値の差を見出し、良いもの=月、大したことのないもの=鼈、という格差を付与している。月は月、鼈…

#329

こどもの発言を無条件に評価し、「いやあこどもの感覚には本当にかなわない。こどもって素晴らしいねえ、学ばせてくれる、気づかせてくれる」とか言ってるそこのキミ。それはこどもが素晴らしいわけじゃない。キミがつまらないものであるだけだ。

#328

巨大化したシステムに対して個は無力である。だが同時に、いかに巨大なシステムも覚悟を決めた個を制御することはできない。かくてシステムと個は、常に微妙なバランス――それは主に個の側の自制によってもたらされるものだが――を保って共存している。

#327

状況や可能性を理解した上で、成就し難いことを敢えてするのが無茶。理解せずに可能性のないことをするのが無理。だから無茶は時に見ていておもしろかったりもするが、無理にはなんのカタルシスも生じない。不快なだけだ。

#326

理解不能な事態には、理解不能となるべき幾つかの事情がある。代表的なひとつは、その事態の全体像を理解すべき者が、それを理解するだけの能力を備えていないことだろう。同様に代表的なひとつといえるのが、理解する必要もないところで事態が出来したとい…

#325

変化を認識するには、観測のための定点が必要なはずだ。だが世の中には、定点なしで変化を認証できる仕組みがあるらしい。今はとりあえず、なぜそんな仕組みが成立したのか、誰がそれを欲したのかを知ろうとしているところなんだ。

#324

頭の悪い人間の頭の悪い所以は自分の頭の悪さに気づくことができない部分にあり、頭の良い人間の頭の良い所以は自分の頭の良さの限界を比較的正確に把握している部分にあるのだが、どちらもそれゆえに行動が制限される点においては大差ない。

#323

「そんな話わけがわからん」という発言は、理解が及ばないという意味ではなく、理解したが許容し難い、あるいは許容不可能であるという意味だ。少なくとも、理解を及ばせたくないという意思は含まれている。そういう相手に諄々と意を説いても賛同を得ること…

#322

夢のない眠りは安らかだが、面白みがない。 夢の途切れない眠りは楽しいが、せっかくの眠りが休息になってくれない。 まあ目覚めている間も同じようなものなんだがね。

#321

あらゆる作品はすべて再現芸術の要素を備えている。つまり、受け手が作品と関わりをもつ時、必ず何らかの加工・創作をしているということだ。たとえば小説の場合、すべての視覚的情報は、どんなに細かな描写があったとしても、読者の想像力に委ねられる。そ…

#320

技術は最大値において才能を越え得ないが、最終的な総和において才能を凌駕することはあり得る。とはいえそれは、ひたすら継続ばかりを念頭におけばいいという話ではなく、常に限界値に達するほどの緊張を維持することが大前提だ。

#319

「理屈をいうな理屈を、感性をもっと重んじろ」と言う人の感性が素晴らしいと思ったことは一度もない。もちろんそういう人の論理性が秀でていた例しもない。

#318

ひとは成長の過程で、主に親との関係性の中から“疑う心”を学ぶというが、もしそれが真実であるなら、それは好もしいことといえるのではないか。それが学ばなければ身につかないものであるなら、ひとは本質的に信じる存在だと見做し得るからだ。

#317

幸運なんてものは存在しない。それは、成功者が妬みや嫉みを逸らすために未成功者たちに提示する免罪符のようなものだ。世の中には、すべてが実力の成果だとは認めたがらない者でいっぱいなのだ。

#316

イタいヤツをイタいと思う理由は自分の中にある。然り、イタいとはごく主観的な判断なのだ。本当にイタさと無縁な者は、痛車を見てもイタいと感じない。「あははー、おもしろい。あいつバカじゃねーの?」とか「新車にあれかよ、もったいねぇー」とか言うだ…

#315

あんまり生真面目になるな。大概のことは、少しルーズにやった方がいい。ガチガチの生真面目になるべき時は、趣味に没頭する時ぐらいだ。

#314

システムを滅ぼすのは、反システムのcellではない。システム内にあってシステムに無関心なcellである。

#313

その一歩を踏み出せる者は身の程知らず、躊躇うのは臆病者、踏み出すことを知らないのは若輩者、そこに踏み出せる場があることに気づかないのは愚者である。そしてこんなことをしたり顔で述べるのは、ただのひねくれ者だ。

#312

欲望に抗い馴致しようとすることは、まるで崇高なことではない。禁欲など、与えたくない誰かが言い出した妄言に過ぎない。けれど、欲望に従いそれを満たすたびに、憧憬とか目的といった財産が失われてゆくのは事実だ。欲望との拮抗とは、得る満足と失う寂寞…

#311

それが健全なものなのかどうかはなんとも言い難いが、健全な肉体に宿る精神は不健全な肉体に宿る精神ととりあえず異なることは確かだ。そして凡そ不健全な肉体に宿る精神の方が、その質はどうあれ、労働量が増える傾向にあるようだ。

#310

ひとが自ら死ぬのには理由が要る。それは、生きるのに理由が要らないことの逆説的な証明といえる。

#309

一所懸命とか努力とかいったものは、他者に対しては基本的に無価値だ。もしそれを他者に対してアピールし始める者がいたら、その者には他にアピールすべきものがないということになる。取引の相手としては、おそらく望ましくない相手だ。

#308

動物の調教は、基本的に恐怖に基づいておこなわれる。自分が到底敵わない存在=主人に攻撃されないため、その指示に従うという原理だ。犬のように賢い動物なら、その一段上、つまり主人の称賛を得るため、あるいは主人の歓心を誘うために指示に従うこともあ…