気楽に聴いてもいいんだねえ
中学生ぐらいの頃から音楽というものに興味を抱き、その後ほとんど切れ目なくずーっと音楽と親しんできました。といってもクラシック方面ではなく、お定まりの軽音楽方面です。(もっともクラシックにはまったく無縁というわけではないんですけどね)
わりと執念深いたちですから、別にプロを狙っていたわけではありませんが、30歳ぐらいまではライブハウスで演奏したりもしていましたっけねえ。
現在では、ほんの戯れにギターを抱えて、一日に数分ぐらい指を動かす程度ですが、デスクサイドには常に何本かのギターを置いてあります。こんな感じに。
で、そういう具合に音楽とかかわってきて、かつまた性格が性格であるゆえに、音楽についてはかなり攻め系の思考が身についてしまっております。
つまり音楽は、能動的になすべきもの、と思っているんですね。
演奏はもちろんのこと、音楽を聴くという行為も、攻めでなければならないw
それはたとえば、演奏者との“勝負”であったりします。
てめえこのヤロ、演る気だな。おぅ、そのケンカ買ったろうじゃないかい。ほれ演れスグ演れ演ってみろぃ。む、そうキやがったか。やるなこの。この野郎め。だがどうせそんなもんだろう。ぅお。そうか、まだその手があるか。だがまだまだだゼ、かかってきなさいっ。
……と、そんな風に音楽を聴くわけですね。
大変にバカっぽい感じではありますが、でも自分は、自身が演奏者であった時代があるゆえ、ついそういう態度で音楽に接してしまうのです。どんなジャンルであっても。
だもんだから、サティの主張なんか全然ぴんときませんでしたし、いわゆるイージーリスニング的なもの、寛いで和むような嗜み方をすべき音楽には、あまり魅力を感じませんでした。
それがね。
いつの間にか、変わっていたようです。
この震災騒ぎのさなか、ふと気づきました。
NHKなんかでね、流すわけですよ。トロいピアノとか。まあACでもかまいませんけど。(ところで自分、ACというとむしろアダルトチルドレンを想起してしまうんですが、誰か「そうだよねえ」って方、いらっしゃいませんかね)
わりと悲惨っぽい、被災地の方からのメッセージを読み上げる時とかに、ごくごく静かな、いかにもヤル気のなさそうな音楽をね、とろとろと流してる。
そういうの聴いてて、それを否定していない自分に気がつきました。
以前だったらね、「くぉのトロピアノがッ。もっと気合いを入れろ、奮迅せよ、ピアノの鍵盤に貴様自身を叩きつけてみろッ!! おまえはそんなモンか? その程度か!? 違うだろう、おまえの限界はまだまだ先にあるッ!! 聴かせろ、おまえ自身を聴かせてみろッ!!」みたいなね、勝負の態度が出ちゃってたんだろうと思うんですね。もしくはもっと思いっきり見下しちゃって、「はン。くだらねぇ音で稼いでますか、そーですか。だっせー」とかね。
でも、そうとも思わずにふつーに聴いている自分がいらっしゃいましたとさ。
まーそれだけ、こっちの神経もへたばってたのかもしれませんが。
けれど、けっこうな発見だった気がします。
そういう音楽も、あっていい。
これは、いってみれば、新しい世界がいっこポンと拓けたような感じなんです。
一方で、攻めの聴き方は、ちゃんと健在なんですから。
あるいは単純に、火急の際には火急の挙あり、というだけのことなのかもしれませんが、けれど、自分にとって新しい広がりが見出せたのは確かなことだと思います。
災厄は喜ばしいものではありませんが、探してみれば――あるいは気づいてみれば、それによって得られるものもあるんでしょうね。