かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

ボブ・ゲルドフを通していろいろと語る

ボブ・ゲルドフというミュージシャンは、オレにとってはけっこう特別な存在だ。
 なんとなくその特別さを書いておきたくなったよ。


 学生時代のオレは、年齢のわりに懐古趣味的なところがあった。ファッションであれ読書であれ、流行とは離れたスタンダードとかトラディショナル、やや古典がかったものを好む傾向にあったのだ。とはいえそれは決してポジティブなノリでの懐古趣味ではなく、財政的に厳しい生活があったゆえのものだった。要するに、新しいものを常に追いかけ続けられるだけの資本がなかったということだ。
 音楽についてそれは顕著にあらわれた。
 もともとオレはものごとには系統立てた接し方をするのが好きで、となると聴く音楽もそういうかたちで選ぶことになる。たとえば『かぐや姫ライヴ』というアルバムを聴いて「あ、いい」と思ったら、まず かぐや姫というグループのアルバムを全制覇することを最初の目標とし、次には製作に参加したミュージシャン、たとえばフィドラーの武川雅寛を探し、武川のホームグラウンドだった はちみつぱい を聴き、さらには はちみつぱい が発展して結成されたムーンライダースへ向かい……といった具合だ。こうなるとどうしても聴くものが古い方へ偏る。おまけに財政的には常に厳しいわけだから、新しいものと系統ものの二者択一だったら、必ず系統ものへゆく。これじゃあ傍から見れば懐古趣味にしかならない。
 そんな具合で、気がつくとオレは1960年代の生まれなのに1970年代のロック、特にハードロックと呼ばれるカテゴリーに入る音楽を専らとする、時代後れ小僧になってしまっていた。


 '70年代のロックはアツかった。熱いのでもあるし、暑いのでもある。厚いのでもある。アメリカの真ん中ら辺で生まれたらしいロックンロールという音楽は、わずかな期間でどんどん成長を遂げ、'70年代に入った頃にはアートとして成立するものになっていた。さらにクラシック音楽との融合やジャズとの融合なども起き、その活況はまさに熱いものだったのだ。だがその熱は、'80年代に入る頃にもなるといい加減中途半端になり、「結局音楽ではなーんも変わらんかったね」というあきらめと、先進国がどんどん豊かになって生活に余裕が生まれるにつれ広まった享楽的な空気の中にいるとむしろ重たすぎるものになった。暑がられるようになったわけだ。なにしろその音は根っから重厚だったのだから、カラッとした気分にはそぐわない。
 そんなこんなで、ニューウェーブと呼ばれる音楽が台頭し始めたのが '70年代終わり頃。当時、ようやく実用の域に達し始めたシンセサイザー(ただしアナログ)をメイン楽器とし、'70年代の音楽の重さや熱さ、音の厚さを排除した新しいポップスが現れたわけだ。
 ボブ・ゲルドフは、まさにそのニューウェーブの旗手のひとつといえたバンド、ブームタウン・ラッツのボーカリストだった。


 さて、なにしろオレは '70年代ロック大好きな小僧だったわけで、年齢も当時まだ十代と熱気が余りまくっており、ニューウェーブのクールなタッチを、文字通りの冷や水のように感じた。つまらん、とも思ったし(当時のニューウェーブは、ミニマルミュージックのような単純なフレーズの繰り返しが多かったのだ。インプロビゼイション主体で次から次へと思いがけないフレーズが繰り出されるハードロックとは対極の位置にあったといえる)、なにより髪の毛が短いのが気に入らなかった。あれじゃあ中学生じゃないか。
 もちろんそんな事情により、ブームタウン・ラッツについてもオレは、同様の感想を抱いていた。たいした音楽でもない。シンセの使い方はうまいし、リズムのアレンジもいいけれど、でもニューウェーブじゃんか、と。
 ところが、高校生の頃にオンエアされたNHKのヤングミュージック・スペシャル、一時間の短い番組を見た時に、それがころっと引っ繰り返ったのだ。


 ヤングミュージック・スペシャル。もう名前からして古くさいこと夥しいのだが、これはそもそもNHKのヤングミュージック・ショーという不定期番組から生じている。
 今でこそ日本のミュージシャンも普通にプロモーションビデオを作るが、'70年代から '80年代前半に至っても、まだまだミュージックビデオというものは一般的なものではなかった。大きな転換期をつくったのはもちろんアメリカのケーブルTV曲MTVなのだが、MTVが発足するより前からNHKは、他国で撮られたライブフィルム(フィルムよ。ビデオじゃないのよ)の放映権を得てオンエアしたり、来日したミュージシャンのコンサート(ライブじゃないのよ。コンサートなのよ)を特別に撮影してオンエアしたりと、他局では到底無理な企画をやっていた。
 それがヤングミュージックショー。フィルムを借りて放映したバンドには、たとえばクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルとかローリングストーンズ、自局製作にはたとえばベイシティローラーズやキッス、スーパートランプがある。
 でヤングミュージック・スペシャルは、それらのフィルムやビデオを再編集して、'60年代末から '80年初頭にかけてのロックの流れを顧みるという、「おいよくそれが一時間に収められたな!」と感心してしまうようなプログラムだったのだ。系統大好きなオレにはまさにいいエサだった。しかも内容の案内役はミック・ジャガーときたもんだ。まさに当時の日本では、NHK以外の局では実現不可能なものすごい企画。NHKは時々こういうことをしれっとやっちゃうから本当に侮れない。


 そのヤングミュージックスペシャルの最後を飾ったのが――つまりトリを取ったのが、ブームタウン・ラッツだった。
 曲は、今でも忘れられない、Diamond Smiles。死ぬほど暗い内容の歌だが、曲調自体は明るい(あとから歌詞を調べてその落差にぶっ飛んだ)。
 聴き初めは、なんだニューウェーブか、てなもんだった。だが次第に引き込まれてゆく。それは演奏力の高さのせいもあったし(だいたい当時のニューウェーブバンドはライブとなるとウンコみたいな演奏をするものだった、ポリスとカーズを除いては)、編集挿入されたイメージカットのせいでもあった。壊れた人形がライブ映像にすーっと割り込んでくる、あの編集は誰が担当したのだろう。素晴らしい。
 だがなによりも、ニューウェーブの音を出しながら、なのに決してオーバーなアクションはせず、ストイックに歌い続けるボブの姿が響いた。
 オレは思った。
「……もしかしてこのひと、音楽を信じてるんじゃないか? 音楽には力がある、音楽にはやるだけの価値があると信じてるひとなんじゃないか? 商業主義的な足場に立って今一番その頂点に近い市場にありながら、でもどこかで純粋に音楽を崇めているひとなんじゃないのか?」と。
 '70年代調のシャウトではなく、ニューウェーブらしい喉奥に溜め込んだような発声。歌の巧みさよりも力強さを重んじたスタイル。ミニマル的に繰り返されるフレーズはニューウェーブらしいが、端々にブレイクな部分が混ざって、それが生身を感じさせる。それは確かに、熱い音楽だった。
 そしてついにラスト、ボブは(あんなに暗い歌なのに)笑みを浮かべ、自分自身が向かっていたマイクをスタンドごと客席に差し伸べて、リフレインのコーラスを歌いつづけるオーディエンスに捧げる。まるで「主役は君たちだから」と言っているようなその仕種、その表情。
 延々と続くように思われた演奏は、けれど、当然ながらやがて終わりを迎える。その時ボブは、客席を見渡し、大丈夫か、もういいかと問いかけるような目をした。そして客席全体が納得したようだと見極めた時、演奏が終わり、ボブは帽子を脱ぎ身を反らせて、自身の役目を果たし終えたことを全身で表現したのだ。
 熱かった。素晴らしく熱かった。ニューウェーブに力を感じた瞬間だった。
 画面は背を反らせたボブのストップモーションでセピアダウンしていった。
 オレはテレビの前で震えていた。


 あの瞬間以来、ボブ・ゲルドフというミュージシャンは、特別な存在になった。
 だからその数年後、バンド・エイドという企画が世界を騒がせた時にも、オレは別に驚かなかった。なにボブなの? ああやるでしょあのひとなら。つか、あのひと以外誰がやる? って感じ。
 やがて共鳴したひとびとが集まり、United Support of Artists for Africa やら、Live Aid やらが生じる。でもボブはもう表立っては出てこない。いやもちろんグランドフィナーレには歌ってたけどね。要するにあの時と同じなのだ。お膳立てをして延々と場をあたため続け、そして「主役は君たちだから」と、観客席=アフリカ救援に気持ちを割いたひとびとに、すべての功を譲ったんだよ。
 ボブは特別なのだ。


 '60年代末から '70年代初頭の音楽を好きなひとたちが、どうしてもウッドストックの呪縛から逃れられないように、'70年代後半から '80年代初頭に最も音楽に多く接していたひとびとは、どうしても一連の“エイド”ブームからは逃れられない。しかもその前段階でボブ・ゲルドフにヤられてしまっていたオレは、なお病が重篤だ。
 その後音楽全体はほどよくアツさを取り戻し、けっこういいバランスで続いてきているように思えるが、アンバランスな時代だったからこそ '80年代初頭は最も熱かったのかもしれないと最近は思っている。そうだ、アツさから脱却しようという勢いもまた、アツさあってこそのものだったのだ。
 そういう感慨が今抱けるのも、多分ボブ・ゲルドフのおかげなんだろうとオレは思っている。感謝だ、ボブ。