かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【ネイバーフード】(後編)

(承前)

 あれからいくつの世界を渡り歩いたろう。鍵の数を勘定すればいいだろう、って? いや実は、あの鍵束はもう、棄てちゃった。
 ふと気づいたんだよ。持ってても何の意味もないじゃないか、って。
 最初のうちこそ、『これまでに通過した世界のどれかに戻ったんじゃないか?』って思って、持ってる鍵を全部試してみたりとかもしたんだけどね。合った試しがない。
 なのにジャラジャラ鍵ばっかり集めるのも、バカバカしい。それでだいぶ前に、棄てた。ただ、それでも一番最初から持ってる、本当にボク自身の鍵だけは棄ててない。
 ま、慣れてみると、違う世界をどんどん渡り歩くっていうのも、そんなに悪いもんじゃないんだ。言いようによっては悲劇なのかもしれないけど……「ループする時間に呑み込まれ、先に進むことができない」とか、「自分の世界から遠く離れて、戻る方法がない」とか。
 でも、どの世界にもボクは存在してるわけで、だとすればどの世界も自分の世界であることに変わりはないわけだし、一週間の滞在実験でわかった通り、あの小道に戻りさえしなければ、ループから抜け出すことはできるんだ。ただし、別のボクがあの小道に入ったなら、その限りじゃないけれど。
 とにかく、慣れれば悪いもんじゃない。不動産屋に何度も同じ説明をして、何度も同じ態度で鍵を渡されるのは、決して楽しいことじゃないけれど、それで自分の部屋に入って、『今度はどこが違ってるだろう?』なんてリアル間違い探しをしてみるのも、おもしろいっていえばおもしろいものさ。
 ひとつの世界に、一か月ぐらい長居してみたことも、十度や二十度じゃない。一番長い時には、半年ぐらいも過ごした。
 だけど結局、あの小道に戻っちゃうんだよね。
 考えてみればさ、どの世界にいたって、そんなに違いはないんだよ。ボクは毎日出かけて、やるべきことをやり、家に戻る。やるべきことは、世界によって違う。でも、数日間家にこもってれば、その世界で何をすればいいのかは、だいたいわかってくる。
 部屋にあるボク自身の持ち物でわかる時もある。誰かから電話がかかってくることもある、「何日も無断で休んでるけど、大丈夫なのか?」とかね。つまり、移動しようがしなかろうが、実はあんまり違いはないんだ。
 あとはボク自身が、その世界を認めるかどうか。
 でも結局はあの小道に戻っちゃうわけだから、今までのところ、ボクはすべての世界を認めてないってことになるわけだけど。
 あの小道を通るたびに、ボクのいる世界は、確かにほんの少しずつ変わっていってる。そしてそのズレは、一番最初にいた世界と比べると、かなり大きなものになってる。
 友達のラインナップは、ずいぶん変わった。初めて“いるはずだった友達が、その世界ではちょっと前に事故で死んでた”なんて事態に出くわした時には、ずいぶん驚いたけどね。今はもう、ね。
 いや、最初の世界にどんな友達がいたのかも、正確には思い出せなくなってる。
 町並みも変わったよ。角のコンビニの有無だとか、その先の本屋の看板とか。もしかするとこの先、ボクの部屋があるアパートも、違う建物になっちゃうかも。
 今、一番恐いのは、あの小道がない世界にいっちゃうことかな。いや、でも、それよりも、いきなり何もかもがない世界に飛び込んじゃった方が恐いか。
 そういう恐怖を感じながら、それでもボクがまたあの小道へ戻るのは、いったいどういう気分のせいなんだろう?

 この世界に落ち着いて、もう一年ぐらいが経つ。ボクの鍵……一番最初の世界でボクが使ってた鍵は、もう棄てた。
 といってもボクは、この世界がすごく気に入ってるってわけじゃない。
 ボクは今、探してるんだ。もっとすごい小道を。
 いや、あの小道がなくなっちゃったってわけじゃないさ。それは毎日ちゃんとチェックしてる。でもボクは最近、ちょっとしたことに気づいて、そのためにあっちこっち歩き回ってるんだ。
 ちょっとしたこと……それは、あの小道なんて、実はごく小さなホコロビみたいなもんなんじゃないかな、ってこと。
 もしパラレルワールドが、たとえば映画のフィルムみたいなものだったとして……つまり一コマめと二コマめはほんの少しの差、二コマめと三コマめはまたほんの少しの差で、でも画が動いて見えるようにするために必ず少しずつ変わっていってるもの、だったとして、あの小道が、一コマめから二コマめへとだけ移動できるものなんだとしたら?……ってことなんだけど。
 つまりどこかに、十コマとか二十コマとか、そういう大きな規模で移動できる道があるんじゃないか、ってことなんだ。
 一コマずつ移動するようなものだと、本当に少しずつしか変わらない。それでも友人や町並みが変わってたり、ボクの“仕事”が変わってたりっていう変化が現れたのは、それだけボクが移動を続けたからだ。
 でも……。
 そういう小さい移動には、なんか飽きてきたんだよね。
 だから、もっと大きく、どーんと世界が変わるような道を見つけたいんだ。
 だからボクは、この世界に来て以来、やるべきこと(この世界でのボクは学生だったらしい)を放棄して、ひたすら小道を覗きまくってる。もしかしたらそれは、小道とは違うかたちをしてるのかもしれない。だからボクは、小道がなくてもそこら中をきょろきょろ見回して、陽炎を探しながら歩いてる。
 そう、大きな扉。大きな扉さ。
 ボクには、それを見つける自信がある。だってボクには、友達には見えなかったあの陽炎を見つけることができたんだから。似たようなものがあれば、きっと見つけられる。
 その道に入っていったら、ボクはいったいどうなるんだろう?……それはわからない。わからないけれど、なんだかすごく魅力的なことのように思える。
 きっとそれは、それこそ全世界がいきなりガラッと変わるようなものなんだ。もしかしたら、ボク自身が消滅しちゃうような入り口だって、あるのかもしれない。それを通っちゃったひとが、神隠しに遭った、っていわれてきたのかもね。
 でも、もう恐くはないんだ。
 そもそもあの時、思ったじゃないか。
 自分自身が陽炎そのものになっちゃったのか、それとも自分以外の全世界が陽炎になっちゃったのか、って。
 つまりは、そういうことなのさ。
 どっちが陽炎なのかは、わからない。両方なのかもしれない。でもボクがここにいるなんてことは、そう、どっちみち陽炎みたいなことなんだよ。
 それに気づいたからボクは、ボクの鍵を、棄てた。
 もしもキミの街に、小道と見ると覗き込んでるやつが現れたら、それはきっとボクだ。新しい道を探してるボクなんだ。
 ヘンなやつ、と思うだろうけど、もし見かけた時には放っておいてね。そして、もしその道の奥で消えちゃったとしても、あんまり気にしないでね。
 もちろん、ボクを追いかけてきてもいいよ。
 ただし、どんな世界にキミがたどりつくのか、それはぜんぜん、わからないけど。

(了)