かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

伝える 伝わる うれしい ありがとう

 入院なぅ。

 なにしろ娯楽の少ない入院生活ゆえ、食事は大いなる刺激の宝庫。
 もともと俺は食うのも料理するのも好きだしね。どうしたって食事には気持ちが入っちゃうね。
 で、この病院。
 盆には毎回、間違えて配膳しないようにということだろう、個人名入りの献立表がついてくる。
 その裏面が、感想を書く便箋になっているんだな。

 ええもう書きましたとも。毎食、毎食。くどくシツコく。10cm角ぐらいの紙に、びっしりと。
 ひとつには、書くことで自分の感想を具体化し、記憶するため。もうひとつには、日々の糧を仕度してくれる方々へ感謝の気持ちを伝えたいため。
 特にひとの親になってからというもの、感謝の気持ちを抱く機会は日々に多い。この辺書けばどんどん書けるが割愛。そして、親をひとり失ってからというもの、気持ちが生じたら伝えなきゃと思うことしきり。これまた書けばどんどん書けるが割愛。
 だから書いちゃう言っちゃう。どんどん。ある意味とんでもない傍迷惑w
 そしたらね、明日は退院って今日、栄養士、調理師の方々がご挨拶にいらしてくださったのね。

 毎食こんなに書く暇人ってどんなんだ、って見に来たんだろう……ってのは敢えてのワル読み。
 彼女たちには、まあ確かにそれだけ書く“客”は珍しかったんだろう。その珍しさはどうやら、彼女たちには好意的に受け止めていただけたようだ。
 励みになる、といった内容のことばをいただいた。

 ねえ、この嬉しさ、わかるかなあ。
 書いたことにこうも直截に返答があることの嬉しさ。
 いや、こちらの感謝が届くべきところへ届き、伝わったという嬉しさ。
 ねえ、わかるかなあ。

 俺はさ、確かに暇ではあってさ。
 だから書いたってとこは、ある。
 食うのが好きだから書いた、ってのもある。
 そしてそもそもに俺は、書きたい人間だからね。それで長く食ってきたしね。書くこと自体がまあ習性だわねえ。
 とはいえ、だ。
 俺がなにゆえ書きたい人間なのか。
 さらに傲慢を承知で拡大すれば、なにゆえ書くという行為そのものが存在するのか。
 それは、伝えたいから、だよね。

 俺はいろいろ感じいろいろ思いいろいろ考えている。おそらくそれが俺という個の意義なんだろうと思うし、ひいてはそれが俺の“生”だと考えている。
 もちろんそれは俺に限ったことじゃない。思うにすべてのひとが、それぞれとして感じ、思い、考えることによって、そのひとになっている。それが個であるということなのだろう。
 そして、せっかく感じ、思い、考えたなら、それを外へ伝えたい。でないとそれらのことごとは、俺という枠の中から出ることができず、ということは「なかった」のと同じことになってしまう。
 誰もいない森で巨木が倒れた、その音を聞くものはいなかった。ではその音は存在したのか。古典的な問いかけだね。
 これへの俺の返答は、否。
 存在はそれを他の存在に認識されることによってのみ成立する。
 それが俺のスタンス。
 だから、書く。言う。伝える。
 書きたい、言いたい、伝えたい。

 俺は、病院での食事をしながら、伝えたかったのよ。いろいろなことを。
 で、書いた。
 そしたらそれは、届いたらいいなあと思っていたところへきちんと届いた。
 あまつさえそれは、会ったこともない届け先のひとから伝えられたんだ「届いたよ」ってさ。
 こんなにうれしいこと、そうはないぞ。

 こういうことがあるから、書くことはやめられない。
 書くことがやめられないということは、伝えることがやめられないということだ。
 伝えることがやめられないということは、存在する個であることがやめられないということだ。
 それは自身の生への執着?
 ちょっと違う気がする。
 それは生を愛でる、生の機会を慈しむってことなんじゃなかろうかなあ。自分のものだけじゃなく、わずかでもそれが交錯した誰かのものも。もしかしたら交錯の事実はない、可能性だけの誰かのものも。
 そういうことなんじゃないかなあ。

 ついでにいえば、伝える手段は言う書くだけじゃない。
 それが、踊る、になるひともあるだろうし、歌う、のひともあるだろう。描く、のひともあるだろう。他にもいろんな手だてがあるだろう。縫うとか、建てるとか、笑うとか。
 料理もそのひとつであることは間違いない。
 栄養士や調理師の方々は、きっとその仕事で多くのひとびとに伝えようとしているし、そしてそれは伝わっているはずなんだ。きっと。

 ひとつひとつの、ひとのなすことが、かくも嬉しくありがたい。
 伝える、伝わる。
 嬉しい。
 そして今日も俺は確かに存在し、俺以外の個もいっぱい存在し、すべてが寄り集まった世界なんてものもまた存在しちゃっているのだ。違いない。きっとそうに違いない。

 ありがとうね。
 ありがとう。