#1180
正義と力の時代には翳りがさし始めている。代わって内省と容赦の時代が訪れるだろう。そこで問題になるのは、正義を叫び力を崇めて余剰の意気を消費していたモノたちの今後だ。そのモノたちには内省をおこなう智も容赦をおこなう恕もない。あるのは無闇に肥大した自我とそれが周囲に認められない不満であり、しかもその自我は当然ながら自認するほどに偉大なものではない。周囲が認めないのも必然なのだ。しかしそのモノたちはそうは思わず、認めない周囲に苛立ち余剰の憤りを育む。その憤りの使途が正義と力だった以上、その道が閉ざされればそのモノたちの余剰は蓄積される一方となる。その時そのモノたちがなにを始めるか。それへの思惟を怠らず先手を打って対策を講じておくことが、内省と容赦の時代に求められる矛盾した課題となるだろう。