ものの百数十文字のやりとりで論破だなんだと騒ぐ方々の様子を拝見していると、その文字数に見合った情報量しかおもちでないのだろうなあと思えて微笑ましくなってくる。外部情報への誘導で論拠説明の代用とする方々には共通理解への信頼があるように思えてやや不憫になる。「誘導をしたから見るはず」という信頼はほとんどの場合裏切られるものだから、結果的になにも伝えられていない。結局ウェブで論は深まらないどころか成立すらしない。もっともでは現実に対峙すれば論が深まるのかといえばそうとも限らない。ただ、自身も相手も実存であることに感じる敬意については確実に現実の対峙に分があるだろう。