かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

嫉妬しようぜ

 今日は開設記念なので、ふたつめ書いちゃう。
 今後は多分、こーいうことしない。面倒だからw

 世の中ってのは、というよりひとの関係ってのは、けっこうな部分嫉妬心で成立してるなあと思うんですな。

 嫉妬ということばが刺激的すぎるのなら、羨望とか憧憬でもいいけど。
 つまりは、多くのひとが自分以外の相手を自分より上位に据えているということと、そしてしばしばそのことに対して決していい感情をもってはいないということ。
 あ、そこ。「だとしたら羨望や憧憬では違うでしょう」とか突っ込まないように。なこたぁわかってますから。ちょっと待ってて。

 重要なのは、嫉妬心をどう操るか、であるわけで。
「アイツ、ホントはオレより仕事できないのに、オレより多く給料もらいやがって」
 ってな感情を抱いたとします。
 そこで「アイツ気に入らねえ、憎い憎い憎いアイツ敵アイツ潰す」となったら、まあふつーに嫉妬なんですが、でも中には謙虚さというか真面目さというか自意識過剰というか、悪い方向へ向きがちな気もちを上手に押さえ込めるものをもつひとがあって、
「アイツみたいになろう、なれるよう努力しよう。とりあえず自分はアイツより仕事はできるんだから、がんばって仕事を続けてみよう」
 なんて思ったりするわけね。
 でも、そういう殊勝げな心もちも、根本的には、ひとを見下したところから始まってるといっていいんではないか、と。
 それが羨望とか憧憬に変わってゆくのは、普通は一重に当人の努力の成果なんですw 普通じゃない場合は、そのうち気が向いたら詳しく述べますが、一応今日の分を最後まで読めば、わかるひとにはわかります。

 実際のとこ、そうでないと――殊勝な心もちも僣上から始まっているような状態でないと、なかなかニンゲンってものはやっていけません。
 努力なり鍛練なりの動機が、常に「自分マジ駄目なヤツっすから。こーでもしないと、皆さんと並ぶのも烏滸がましいっすから」みたいなものだったら、つらすぎるでしょ。
 誰だって自分のことは好きであるべきだよ。で、自分が好きなら、自分に優る相手は認めたくないもんさ。それはそれでいいの。むしろ当然なの。
 たとえ自意識過剰でもなんでも、一旦は自分を低いところへ置く。その上で自分を鼓舞し、上を目指す。そういう具合に気もちをすり替えられれば、それは多分、いいことなんだろうと思うのね。

 そう、嫉妬心が起きるのは、むしろ自身に矜恃をもってるからなんですよ。
 それを失うのは、いろいろとマズイだろうと思うわけです。

 そして、そういう具合に各々が自分を励ましてきた結果が多分、人類の進歩とか前進とかに結びついてきたんだろうし、今の世の中の微妙なバランスもつくっているんだろうなあ、と。
 そもそもさ、自分が他者より劣っているかもという想像ができなくて、他者が自分よりいい状態にあるという判断もつかない者ばかりだったら、ひと同士って多分、関係できないよ。全員が屹立するオレサマばっかりってことだもの。だったら他者なんか要らないもの。
 嫉妬は世の中をよくするんだよ、使い方さえ間違えなければw

 まあ、つまり。
 いろんなことあるけど、とりあえずは自分を肯定しましょうよ、というお話です。
 その上でみんな、きっちり嫉妬しようぜ。