かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【#4 僕のこと。】-06

(承前)

 騙されていたような気がする。いや、僕が勝手に考えすぎていたのかもしれない。幻を求めていたのかもしれない。すべては理詰めで理解できるはずだ、という幻を。
 今僕は、きっと間違いなく正しいことに触れている。正しい? いや、それも間違いだろう。今あるのは、事実。それだけだ。それで充分だ。
 そして僕は、もうそれへの不信を感じていない。それにむしろ、満足している。
 いや、馬鹿馬鹿しい、と思っている。
 本当は単純なことだったんだ。でも、考えるということ、知るということにあまりにも囚われ、振り回されていた。そうだよ、ナカニシも言っていたじゃあないか。
“考えるってのは、頭の中でことばを組み合わせるってことだ”って。
 それはやはり、正しかった。とても正しかったんだ。
 ただ、組み合わせるということ、それは無造作にできることじゃない。理屈とか筋道といったものに基づいて、きちんと進めていくべきものだ。
 ことばを組み合わせるには、法則に従わなければならない。それを文法という。そして法に縛られている以上、その組み合わせには幅をもたせ過ぎることができない。“りんごに丸が赤いし甘酸っぱく木の実を秋の”は、感覚としては間違っていなくても、考えと呼ぶわけにはいかない。きちんとしていないからだ。
 それに、ことばというものそのものも不充分だ。だってそれは、ことばとしての機能を得るために、ギリギリまで対象を削ぎ落とし、抽象化したものなのだから。
 不十分なパーツとしてのことばを、窮屈な法に則って組み合わせる。その限界は低い。ナカニシの言ったことは、ことばの可能性をいったものじゃなかった。むしろ逆だ。ことばの限界を示唆していたんだ。
 けれど、その作法を上回ってはるかに大きなものが在る時、それを捉えるには、必ずしも法やパーツは必要にならないらしい。なぜって、それが在るということ自体が、すでに法だからだ。いや、律だ。律の上に君臨する、メタ律だ。
「まったくその通りなのだよ、マサフミ」
“伝の3”の声が聞こえる。この声にしても、きっと喉を鳴らし空気を震わせて伝わってくるものじゃないんだろう。その声があるということ、そのものが事実だ。
「ことばはまだまだ不足だし、そしてすでにあることばも完全ではない。だから個々の心は、常に新たな要素を携えて生まれてくる。ことばを――心を繋ぐツールを、より高めるために。その中から普遍たり得るものを見出し、それを保全するのが、我々の勤めだ」
 いったい誰が、いや、なにがそんなことを求め、おこなっているんだ?……いや、そんな問いも、もう無意味かもしれない。それは、最初の素粒子がなぜできたのか、というのと同じ問いだ。答えは得られないし、得たからといってなにが変わるものでもない。今在るということ、維持されているということ。その事実の前には、子供の遊びに等しい。
「マサフミの携えるものは、あるいは普遍であるのかもしれないし、あるいはその枠から外れているのかもしれない。もしそれが普遍であるなら、マサフミはやがて我々の一部として迎えられるだろう……ふ」
“伝の3”の語尾が濁った。
「ふ、うむ、これはどうしたことだ」
 僕の隣では美春が俯いている。俯いたまま、クックッと小さな声を漏らしている。
 美春が顔をあげた。
 ああ、笑顔だ。満面の笑顔。前にも見たことがあるけれど、あれよりもずっと大きな笑顔だ。満面どころか、満身の笑顔。そんな形容が成り立つかどうかは知らないけれど、そんなこと、それこそ知ったことじゃない。
 美春が、おかしさを堪えきれないといった調子で言う。
「うふ、うふふ……。デンノサンも引っ張られてるのよ、マサフミに。ふふふふ。あたしも……あたしも、かなり……だから……もうあたし……あは……あははは、ははは!」
「うむ、ふふ、どうやらそうらしい。ふふふ、なるほど、ふは、ミハルはこういう具合にマサフミに、ははは、同調してしまったというわけか。わは」
“伝の3”が、その猫背を反らし、からだを思い切り後ろへ曲げた。
「わーっはっは! そうか、そうか。はっはっは、はっはっは! これは……これは!」
「あははは、はははは」
「くふ、くふー……。う、うっうっ……」
 僕たち三にんは、そして、笑い転げた。
 これでいいんだろう。僕は、知りたいことを知った。いや、わかりたいことをわかったという方が正しいのか。そんな重要なことすら、その時の僕にはどうでもよかった。
 ただひとつ、でも、間違いないことがある。
 今、僕たち――僕と“伝の3”、そして“見張る”――いや、やっぱり僕にとってミハルは美春だ!――は、ひとつのことを通じて、いっしょに笑っている。
 それは確かに、僕たちが繋がっているということの証なのだった。
 僕の心という、内側に向かって閉ざされた世界。けれどそれは同時に、あらゆる外と結びついている世界でもある。そして今、僕たちは、その結びつきによって、同時に笑いを共有しているのだ。
 これ以上の繋がりがあるだろうか。そして、それ以外の繋がりは必要だろうか。
 僕は――僕たちは、ただ、笑い続けた。
 それは爽快な笑いだった。

(続く)