かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

逢瀬

『押忍ッ。戻りました、先輩ッ』
『えーっ。ちゃんとお盆に戻ってきたあっ』
『約束しましたから!』
『……うん。ありがとう。約束守ってくれて、うれしいよ』
『あ、でも、こっちの時間で三日ぐらいしかいられないッス……』
『いいよ。でもちゃんと、次のお正月にも、戻ってくること!』
『押忍ッ!』
『じゃあまず、腕相撲!』
『えーっ。それもう片ぁついたんじゃないんっすかあ?』
『勝ち逃げは、許さないよ!』
『あ痛ァ……』

 その異変に最初に気づいたのは、再編された組織で、研究チームの長に再び収まった女史だった。
「……あなた、老けないわね」
 同じ女性だからだろうか、細かいところまで意識せずとも見えてしまったらしい。
「あれから三年経ったけれど、肌の色や張りも髪のつやも、ぜんぜん変わらない」
 言われた当人は、まるで心当たりがない、関心もないという風だったが、女史の部下となったかつての同僚が「あ。そういえばそうだ」と同意した時には、さすがに少しは気になったらしい。
「……そうなの? あたしはこれでふつうってつもりなんだけど」
「おかしいよ。27歳にもなったら、目尻の小皺はそろそろ臨界点。毎日ケアしてても、どうしたって少しは目立ってくるもんなんだから。あたしだってこれでも一応やることやってるけどさ、ほら、ここ見て。ね? 25歳はもうヤバいのよ。でしょ、室長」
「私に確かめないで」
「あっ! もーしーかーしーてー」
「え?」
「真皮の細胞ちょっとくれる? 髪の毛でもいいから!」
「ええーっ。なにそれあたしをどうするつも」
「いいから! いいから! ね? 室長これいいですよね? これ対象になりますよね?」
「許可します」
「ちょっと! ちょっとおーッ!!」

『押忍ッ。遅くなりました、先輩ッ』
『本当に遅いよ。盆と正月には帰ってくるんじゃなかったの? 前の時からどれだけ経ったと思ってる?』
『いっやー、わからないんッスよ。こないだも別並行世界へ連れてかれて、まあいろいろ手伝ってきたんスけど、そういうことやってると盆も暮れもわかんなくなって』
『まあ、そうよね。半年ごとに戻ってきたのなんか、ホント最初の二、三年だけ』
『や、ホント申し訳ないと思ってるッス。その代わり今回は、三か月ぐらいこっちにいられると思うッス』
『そう! そうなの!? いいわ、じゃあそれで手を打ってあげる、今回は』
『押忍ッ』

 数本の髪から始まったその分析と研究は、予想外に大きなものとなった。
 遺伝子レベルの検査の結果、その構築にこそこれといった特徴は見当たらなかったが、部分的に奇妙に活性化した箇所があることが確かめられた。また、細胞分裂の際に通常は必ず起きるといっていいDNAの誤転写や、そのDNAに酸素・放射線などの影響で生じる損傷の類もほとんど生じない。つまり鉄のように頑丈なDNAが、分裂の回数制限を受けず活動し続ける。
 予算枠が確保され、検体はさらに多く取られて、より緻密な研究が進められた。結果、細胞、ひいては生体全体を維持するためのルール自体は完全に守られること、つまり癌化があり得ないことも確認された。
 また、他に三名、同様の“症状”のある者が見つかった。
 青年、中堅の年齢、初老の、それぞれ男性。
 推論から特定された彼らの検体にも同様の状態が見つかった。ただし彼らの状態は、彼女ほど顕著なものではなかった。それでも推算できる彼らの寿命は、おそらく150年に届き得るとされた。彼女ほどそれが徹底していれば、あるいは2百年を越えて肉体は維持されるかもしれない。
「……でも、脳細胞はダメなんでしょ? あたし、聞いたことがある。脳細胞は増殖が限られてるから、ある年齢を越えれば減るだけだって。そして脳細胞の絶対数がある限界を下回れば精神の活動はできなくなる、つまりボケちゃうって。からだが元気でも、頭が先に……。あたしはそうなるの?」
「んー。じゃあ脳細胞サンプル摂って調べてもいい?」
「……それはヤだ」
「じゃあわかんない」
「うぅ……。でも、なんであたしだけ、そんなにすごいのかな」
「いろいろ考えられるけどさ。結局は、気合いじゃない?」
「気合いィ!? なにそれェ」
「うーん……つまりね……」

『なんか……』
『どうしたの?』
『いや、先輩に勧められたから、今回はいっしょに実家へ戻りましたけど……』
『うん』
『母さん、なんかずいぶん老けちゃって……』
『仕方ないわよ。あんたと違って、ふつうの人間は齢を取るの。だからあんたも、年に二度とか言わないで……とかいって、今回は一年半も間があいてたけどさ……、もっとちょくちょく帰ってきて、親孝行しなさいよ』
『押忍……』
『時間は限られてんのよ、ふつうは!』
『押忍! 次は早めに来ますッ』
『よし!』

「つまり、推論するに」
 十数年がかりで調べられる限りを調べ尽くした彼女は、言った。
「寄生性の生物には、変わった能力をもつものがいるわ。たとえば、ロイコクロリディウム。こいつは鳥に寄生する吸虫の一種なんだけど、中間宿主であるカタツムリを操って、自分たちの繁殖を効率的にするの」
「どんな風に?」
「カタツムリはふつう昼間には活動しないけど、ロイコクロリディウムはたぶん視神経か視覚器官に影響を与えることで、昼夜を問わない活動をさせる。さらにカタツムリのからだの中でいちばん目立つところに集まって――具体的には触覚なんだけど――カタツムリの触覚をイモムシみたいに変えちゃう」
「うげぇ。すると、どうなるの?」
「イモムシの捕食者であって、かつロイコクロリディウムの最終宿主である鳥類が、そのカタツムリを食べます」
「えっ」
「鳥の中で産まれたロイコクロリディウムの卵はその鳥の糞とともに木の葉に落ち、これをカタツムリが食べて、また鳥へ」
「気持ち悪いヤツね」
「でしょ? こいつに憑かれたカタツムリがまた気持ち悪いんだようー。見る? 動画あるよー」
「……ヤだ」
「まあとにかく、そんな風に宿主を操る寄生虫がいるわけ」
「……なんかあたし、すっごくヤなこと思い出したんだけど」
「だよねー! つまり、そういうことなんじゃないかと思うの」
「どういうことよ」
「ヤツらの場合は、潜伏をやりやすくするために宿主のからだをいじるんじゃないかと」
「うっ……吐き気がしてきた……」
「まあ聞いて。つまり、寄生が表沙汰にならない方がいいなら“引っ越し”は少ない方がいいでしょ。実際、“引っ越し”がヤツにとってはけっこうリスキーなこと、ヤツ自身の体力を大きく削る行為だってことは、実験でも解剖でも確認できてる。そしたら、一度すみついた宿主は、長く元気であった方がいい。ヤツには、そういう風に宿主を変える能力があったんじゃないかな」
「………」
「ある意味、共存共栄よ。寄生生物にはそういう傾向がけっこう見られるわけ。知的にもかなり発達を遂げた種なら、その辺はきっとすごく巧妙になってるはず。あるいは逆に、そういう巧妙さがあったからこそ、知性を発達させられるほど淘汰をすり抜けてこられたのかもしれない」
「じゃあ、あたしのからだが、そうなってる……なっちゃった、と?」
「うん。で、ヤツのそういう能力には、宿主の状態――精神や肉体の――次第の相性みたいなものがあって、それによって効果が違ってくる」
「おそらくそれで正解ね」
「あら室長。すみません、まだレポート完全にはまとめてないんですけど」
「いいえ。まとめなくてもいいわ。というより、まとめちゃ駄目ね」
「なっ、なんでですかぁあっ!? これ、大発見ですよお!!」
「そうよ。だからこそ、この成果は公開できない」
「どうしてっ」
「争いの種になるわ。私だってもう思ってる、この技術がほしい」
「あ……確かに」
「でも、これは再現できる技術じゃないわね。少なくとも私たちの力では」
「はい……」(ちっ、解剖は早まったか)
「いずれにせよ、宗教的な問題も含んで大問題になることは間違いないわね。発表するわけにはいかないわ、少なくとも人類がもっと成熟するまでは」
「……ですよねえ……」
「となると、問題は」
 室長と研究員は、当の女性――“不老不死”となった彼女を、見た。
「この“事実”を、どう隠蔽するか……に、なってくるわね」
「……うそ。じゃああたし、処分……されちゃう……とか!?」
「なるほど、さすがに頭と胴を切り離したら、どんなにDNAが頑丈だとしても、個としての生存は無理ね」
「……!!」
「いっやー、そこまであたしら鬼じゃないですからー。しませんってば。本当に」
「でも、ある程度の年齢になったら、周囲の目を欺く必要はあるわ」
「その先は……」
 室長と研究員の視線に対して、彼女は答えた。
「あたしが、決める……ことになる?」
 ふたりは頷いた。

『押忍ッ』
『ああ、おかえり。その後、どう?』
『ちょー忙しいッス。でも先輩は必ず待っててくれるから、気合いが入ります。これ片づいたら戻るんだぞ、って。必ず戻るんだ、って。……でも』
『でも、どうした?』
『ここんとこ、ほかの誰にも会えないッスね』
『……まあね。あたしもだよ。でも、必ず来てくれるから……待っていられる』
『ありがとうッス!』
『もう、あんただけになっちゃったからね。あんただけになって長いからね』
『え? なんの話ッスか?』
『いいんだよ。あんたが気にすることじゃない。それより、タピオカ買ってきてもらおうかなあ。今また久々で流行ってるんだ。あの頃ほどじゃないけど』
『ええーっ。いきなりオツカイっすかあ? しかもまたまたタピオカぁ?』
『ヤなの?』
『いえ、喜んで!』

「“彼”が戻ってきたようです。観測班からの連絡がありました」
「ああ、では彼女を向かわせないといかんな」
「ところで室長。彼女、何者なんですか?」
「私たちの機関の最高機密だそうだ。私もよく知らない。ただ、彼女にはくれぐれも失礼のないようにとは、先々代室長からの決め事になっている」
「生活も自由もできる限り保証して、しかし逃亡・自殺等は極力回避……その上で失礼もないようにっていうのは、だいぶ厳しい決め事ですね」
「まあ彼女は協力的だし、苦労はなかろう。老いない美女は不気味ではあるがね」
「いえ、そんなことはありません」
「ふむ?」
「自分は不気味なんて思いません、むしろ彼女が好きですね。特に数年に一度の、この外出の時には、戻ってくると本当に愛らしい少女の顔になっているんです。その顔を見ると、わけもわからず力が湧いてくる感じで」
「……君もそろそろ担当を外れた方がいいかもしれんな」
「いや、今のはなかったことにしてください。いつも通り、つかず離れずの護衛に当たります。自分は彼女を、見ていたい」
「ああ、頼むぞ。私もできれば“関係者”は増やしたくない」

『押忍ッ! 戻りました、先輩!』
『待ってたわよ。ずっと、ずーっと……。さあ、今日はどこに行こうか』
『先輩の行きたいところなら、どこへでも!』
『じゃあ……』

“あなたの行くところ”
 ……とは、言えないよね。言っちゃいけないよね。
 結局は生身の人間なんだし、遠い旅には耐えられない。
 だから、今回も言おう「タピオカ」と。
 洋子はそして、遥輝の腕を取り、その顔を見上げた。


(了)