かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔女・美弥 闇狩り【#2 魔法師淫祭祀】-01

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「見よ、この奇跡をっ」
 甲高い女の声が、周囲の山々に谺するほどの大きさで響いた。
 山間の小さな村の外れの荒れ地に、人が集まっている。その人垣の中心には、白拍子を思わせる衣裳に身を包んだ女が両手を広げて立ち、天を睨んで全身を震わせていた。
 女はなにかを祈っているらしく、荒々しく腕を振り回しては唇を小刻みに開閉させ、喉の奥から耳慣れないことばを搾り出す。
 時に飛び跳ね時に地を踏みしめ、上体を揺すり、かと思えばぴたりと動きをとめ、女は全身で人々の耳目を惹き寄せていた。
 その女の横には、見物人の中から選ばれたと思しき粗末な野良着姿の男が、おどおどとした表情で辺りを窺いながら坐り込んでいる。
 やがて女はぴたりと動きを止め、猛禽のような声で今一度叫んだ。
 と、坐り込んでいた男のからだが、じりじりと宙に浮き上がり始めた。
 おお、とどよめく声が見物人たちの間に巻き起こる。
 少しずつ、少しずつ浮き上がった百姓のからだは、地面から二尺ほどの高さに達すると、突然跳ね上がるような勢いを得て、一気に二丈の高みにまで舞い上がった。
「うひゃああーっ」
 宙に浮いた男は、そこで手足をじたばたと振り回しながら、裏返った悲鳴をあげた。
 それは滑稽な声と仕種だったが、見物人の誰ひとりとしてそれを笑おうとはしなかった。ただ全員が固唾を飲んで男を見上げている。
「みほとけの力、とくと見よっ」
 女が、宙の男をきっと振り仰いだ。いつの間にか指先には奇妙な印が結び合わされている。途端に暴れていた男の動きがとまった。暴れている途中の奇態のまま一旦凍りついた男は、そのままの姿でぐるりと宙を一回転すると、ゆっくり、かくかくとして人形じみた動作で、結跏趺坐の姿勢をとった。
 やがて男の顎が上にあがり始め、顔がまったくの真上を向く。
 ついに微動だにしなくなってから、男のからだはゆっくりと下がり始めた。
 ようやく一間ほどの高さに男のからだが降りてきた時、見物人たちの間に再びどよめきが広がった。
 天を仰いだ男の口が大きく開かれていた。そしてその喉の奥から真っ直ぐに一本の茎が伸び、その頂点には虹の七色に染まって仄かに光る蓮の華が咲いていたのだ。
 ざざ、というわずかな音とともに男のからだが地についた途端、その蓮華は消えた。
 同時に、男から動きを奪っていた力も消え失せたらしく、男は居眠りから急に醒めた時のような仕種で、くりくりと辺りを見回した。
「観世音菩薩の力! これぞ観世音菩薩の力なりっ。この力にすがりたき者あらば、明晩の我らが法会に来るがよい! 我らが法会に!」
 女は、肩で息をしながら、見物人たちに向かって叫んだ。
 同時に見物人たちは、怒号にも近い調子で口々にわめき立て始めた。
「行こう! 行こう!」
「ぼさつの力だ、ぼさつにすがるんだ!」
「ほとけ様はほんとうにいるぞ、生きて極楽へ行けるぞ!」
 女は、見物人たちの様子を確かめ、頷いて、真っ赤な紅で飾られた唇に婀娜な笑みを浮かべた。
 激しい祈祷の間にほつれた髪が、汗で額に貼りついている。よほど消耗したのか、目の下には隈までできている。
 その表情は凄艶、口でこそ観世音菩薩などと呼ばわっていたが、むしろひとを喰う悪鬼の方に近い。
 女の後ろで介添えをしていたらしい男が、女の肩に錦の衣を着せ掛けた。その男を振り返った時の女の顔には、ぞっとするほど淫らな媚が浮かんでいた。
 見物人たちは、口々に「極楽だ、極楽だ」とわめきながらその場で飛び跳ねている。目前で展開された“奇跡”に、抑制が利かないほどの興奮を覚えている様子だ。当然、女が放った媚などには、気づいてもいない。
 その騒ぎを放ったまま、白拍子風の女と介添えらしい男は、その場を離れて行った。
 そんな中に、ひとりだけ光景から浮いている者がいた。
 女だ。
 色褪せた袴の裾に旅人風の脚絆を巻き、笠も携えている。一応は羽織るものもあったが、それとて埃にまみれていて、世辞にもきれいとはいえない。
 だが切れ長の目はいわく言い難い深みを備え、その奥に今はなにか鋭いものを宿らせて、去って行く女たちを見ている。
 ほっそりとした体格ながら乳房ははっきりと盛り上がっているのが衣越しにも見てとれ、その成熟を示していた。腰に届くほどの髪は長さの中ほどの辺りで紐に括られ、緩やかな曲線を描いている。どこか俗世間離れをした雰囲気があるのは、その髪の黒さと、埃染みた衣にはおよそそぐわない無機質めいた白さに透ける肌の色のせいかもしれない。
 そしてなによりも、周囲の狂騒をよそに、ただひとり、いかにも得心がゆかぬといった表情を浮かべている、その超然とした居住まいが彼女をその場にふさわしくないものにしていた。
 彼女に気づいた村の民らしい年嵩の女が、上擦った声で彼女に話しかけた。
「あんた、見たかいっ。見たね、見たよねっ。あれこそがほとけ様の霊験だよ、あのほとけ様にすがってこそ救われるんだよね! ねえ、そうだよね、そうだよねっ」
 しかし、話しかけられた女の方は、相変わらず曇った表情を変えないままだ。その表情のまま女は、ゆっくりと視線を百姓女に合わせた。
「あんた、旅の途中かい。見かけない顔だよ。いや、そんなことはどうでもいいさ。あんたも行きなよ、行こうよっ。明日、明日だよ。あの人たちが待ってるお山へ行って、ほとけ様に救ってもらおうよ、ねっ」
 女は答えない。だが百姓女は一向に気にせず、なお上擦っている声で訊ねた。
「そうだ、そうだ。あんた旅してるんだろう、旅してるんなら今夜寝る場所が要るんだろう。心当たりがないなら、今夜はあたしんとこに泊まってゆきなよ。施しだよ、施し。ほとけ様は、施しをする人を救ってくれるんだものね。だからあたしも施しをするんだ、そうだよ施しさ。ねえ、だからさ、あんたもあたしに施しをするんだと思って、泊まってっておくれよ。お願いだ。そうだ、名前も教えておくれよ、あんたの名前をっ」
 女は視線を揺らし、百姓女の目に焦点を合わせた。
 百姓女は女の返答を待って、心なしかわずかに震えているようにも見える。
 女は、ぽつりと呟いた。
「……あたしの名は、美弥」
 途端に百姓女は満面の笑みを浮かべ、その場で飛び跳ねながら、「みや、みや!」と口の中で繰り返した。そして、
「泊まっていってくれるよね、泊まるよねっ」
 と何度も言い募っていた。

 後に応仁文明の乱と呼ばれることになる騒ぎがようやく鎮まって幾年かが経ち、帝が新たな時代を築こうと新たな御世を捜し求めていた頃。
 さむらいも百姓もまだそれぞれの仕事を戦と耕作に分けきってはおらず、戦う百姓もいれば土地の開墾に心を割くさむらいもいた。
 しかし役割が定まっていないということは、つまり世の中が相変わらず騒然としているということでもある。殊に、この荘のように主が不甲斐なく治世が確りと行われていない土地では、民の不安は常に高い。
 逃亡はあとを絶たず悪党は跳梁して、民がいかに自警に心身を煩わせようとも月に数度は寿命に足らない人死にの噂が聞こえた。
 人々の間には、誰が頂に立つのでも構わないから、要らぬ心配をせずに夜を迎え朝を迎え、翌月を、翌年を迎えたいという気持ちが広がっていた。
 奇跡を見せ法会に誘う男女に、村人たちがこぞって身代を差し出し極楽への引導を望むことは、不思議でもなんでもなかった。
 むしろ当然きわまりないことだった。

(続く)